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「今、この世界」の認知について

タイ古式マッサージの師とされるシバコ・コマラパ師は、ブッダ(ゴータマ・シッダールタ)と同時代の人で、ブッダの考えに深く影響を受けたということを授業で習った。マッサージと仏教のつながりというのを日本ではあまり実感しなかったけれど、チェンマイのお寺では、敷地内にタイ古式マッサージ屋さんが併設されている所が多く、驚いた。

現在はマッサージセラピストを外部から雇っているようだが、当初は僧侶によって施術されていたらしい。授業で、「お寺というのは心と体を整える場所。心が整ったら、体も整えようと思うのは自然な事で、どちらもお寺で完結しようという考え」と解説があったが、とても納得した。

マッサージスクールでは座学の授業もあって、そこではこのような「考え方」、具体的に言えば歴史的・哲学的なタイ古式マッサージの背景に触れることが重視されていた。その中で、「今」ということの認知についての話があった。私たちは「今」そのものを見ているというより、「今までと違う部分」を見ているという。確かに、バックパッカー一人旅で最初に降りたホーチミンの記憶がものすごく鮮明なのは、すべてが「今までとは違う」ことだったからだと思う。

ここから先は個人的な考えだけれど、おそらくこれは脳の機能的な問題だと思う。効率よく外部からの情報を処理するために、「すでにある情報=過去の経験や記憶」をなるべく再利用して、情報処理にかけるエネルギーを減らす。

正直、ホーチミンの思い出がものすごく鮮明なのは、ほとんどすべてが新しい情報で、自分の過去の記憶や経験がほとんど当てにならず、ものすごいエネルギーをかけて目の前の世界の情報処理が行われていたからなのではないかと思う。店を出て移動するたび、ちょっと立ち止まって冷静さを取り戻す必要があったあの頃が遠い昔のように思われる。あれがたった2ヶ月前だなんて……Unbelievable‼︎

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