見出し画像

ルアンパバーン小学校訪問

ラオス一人旅、最後の週に、北海道出身の元小学校教師と出会った。教育の話などで盛り上がり、出会った初日に朝4時まで語り合った友人2人目(1人め目の話は少し前に投稿済み)となった。一つについて深い話題まで気が合う人というのは、他の多くのことについても同じ意見を持っている場合が多いのだろう。

彼と、ラオスの学校の話をした。私はラオスの学校がどこの街も活気に溢れていたということを話した。彼は、学校を遠くから見て、いつも色々なことを考えていると言った。

その時、私の友人のバックパッカーが、海外の学校は開放的で、アポ無しで学校見学に行っても、快諾してくれる場合が多いと言っていたのを思い出した。しかし私はそんな経験がなく、1人でいく勇気がなかった。元教師と一緒なら、1人で行くより許可が降りそうな気がした。

彼は少し不安そうだったけれど、2人で小学校に向かった。ちょうど昼休みで門は開いていた。門番はおらず、生徒を送迎に来た家族がバイクに乗ったまま学校に入っていった。その流れに乗って私達も入った。周りを見ると私達以外の観光客らしい人も2,3人いた。こういうのはラオスではよくあることなのだろうか?それとも観光地のルアンパバーンだからか?

2人で校庭を歩いているとちいさな女の子に手を引かれた。一緒に遊ぼうよ、と言われた(多分)。気付けば、彼女と彼女の友人たちが私の周りを走ってはしゃいでいた。無邪気で、楽しそうで、嬉しそうで。昼休みと、掃除の時間が終わり、正式に授業が始まるまで2時間以上の長い昼休みだった。でもあっという間に過ぎた。2時間なんて気がしなかった。子ども達と永遠に遊んでいたような気がした。

実はその日の夜、その学校で子ども達と遊んでいる夢を見た。夢のなかでは自分が今旅をしているということも忘れていた。自分が何歳で、どこ出身で、これからどう生きていくのか、そんな自分の過去や未来、全てに無縁だった。ただそこにいること、子ども達と手をつないで楽しんでいる自分、それだけが真実だった。

「私が今ここにいること」。そのことに、理由がなくたっていいんだと思った。そういう柔軟さがないと、どんどん「らしさ」に固執してしまって、成長とか変化のきっかけが得られないのかもしれないな。

子ども達との時間は、私にそんなことを気付かせてくれた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?