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親として、ただそこに「居る」

外から帰ってきて、なかなか手を洗わない2歳9ヶ月の息子。
今日も手を洗う前にプラレールで遊び始めてしまった。

何度か「帰ってきたらまずおてて洗うだよ」「洗わないと遊べないよ」と促したけど、私の精神もすり減るので、もう言わないことにした。

しばらく遊んでるのをほうっておいたら、ふいに自ら「電車とおてて洗いに行く」と言って、プラレールと一緒に洗面所に向かった。
私の目を気にする様子もなく、プラレールを傍に置き、ちゃんとハンドソープを使い自分で手を洗う息子の姿を見て、驚きと少しの感動を覚えた。


もともと叱ることに疑問を持っていた私。
自分が叱られて良かったと思う記憶がない。
叱ってるその人はどれだけ立派なんだ?と思ってしまう。


それよりも自分から気付いたことや、時間がかかっても小さなことでも自分からできた行動に大きな意味を感じる。
もちろん人から言われたことで成長させられたことはたくさんある。
でもそれは叱られたというより、その人の感情だったり対話によるものだ。


・子どもが知らないことは教える
・「私はこう思う」という思いを伝える
・叱らない


子育てにおいては以前からこのスタンスでいようと決めていたけど、
子どもが成長してきて、他の子とも比べちゃったりして、周りの目も気になって、
持っているつもりだったけど全然できていなかったなと気付いた。


子ども自身に任せて待つことが最大の教育なんじゃないかと私は思う。
期待もしない、信じもしない、それは少なくともこちらの希望が入ってる。


常識は教える、私の気持ちは伝える、あとは任せる。
待つのさえいらないかもしれない。
ただそこにずっと「居る」ことが親というか、親としての私の役目かなと思う。
(もちろん色んな親子のかたちがあると思うので、私の場合は。)


おわり

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