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淡い密室

あらすじ
 高校生のわたし(弓原梢)はある夏の日、教室の窓から、宙を舞うシャボン玉を目撃する。だれか生徒の遊びかと思われたが、しかし、わたしはかつて似たような風景を見たことをおぼろげながら思い出す。
 帰宅後、姉の部屋で見た記憶があったため探してみたが、目当ての物は見つからない。折良く帰ってきた姉に訊ねると、それはもしかしたら絵ではなく、詩だったのではないかと答えられる。姉が示したのはコクトーによるたった三行の短い詩だった。しかし窓辺で見せた彼女の表情は、なにかを隠しているわたし自身によく似ていた。わたしはその違和感の正体を突き止めるため、その背景を調べはじめる。

 銀の額縁の向こうで、鮮やかな色の群れが泳いでいる。
 白のない、プールの底のように均一な青。
 七月の色彩。
 その中空を、透明でありながら、色を持った球体たちが踊っている。陽の差し込まない教室を、うす暗い水族館の一室に変えてしまったかのようだった。夏服を着たわたしたちは、水母でも魚でもない、ふわりとした虹色の群れに目を奪われる。
 だれかが指をさして、シャボン玉、とつぶやいた。
 やがて風に吹かれたその球の群れは舞い上がり、空のなかへと消えていった。もしくは陰のないまっさらな校庭へと落ちていった。クラスメイトたちはみな一様に、綺麗、とこぼしては食事の手を休め、その光景に見入ったり、手に持っていたスマートフォンのカメラを向けたりした。おそらく、どこかの生徒が遊び半分で窓から飛ばしてみたのだろうと遅れて思った。
 それから泡の現れる気配がなくなると、教室のなかにいる生徒たちはすぐに興味を失って、めいめいの作業やグループでのお喋りに戻っていった。
 けれども、わたしはそのままなにもできずにいた。
 つめたい水が床を流れてきたみたいに、足の底がしんと固くなった。
 その光景を、知っている気がした。
 
   *
 
 姉の部屋に入るのは、たぶん数か月ぶりだった。
 春休み以来だろうか。東京の大学に通う姉はひとり暮らしだ。数年前の高校卒業を境にして、室内の変化は緩やかなものになっている。
 勉強机があり、ベッドがあり、クローゼットがあり、本棚があり、それらで空間は埋められている。六畳ほどの子供部屋。ここ数年で増えていったのは東京から送られてくる使い終わった教科書類や衣類の詰められた段ボールで、定期的に母が掃除をしているためにフローリングの床にはほこりもない。だから制服姿であっても、あまり汚れを気にする必要がなかった。
 明かりはつけないまま、本棚の前に立ってみる。
 夕暮れのうす暗さのなかであっても、並んでいる背表紙は確認できた。その日焼け具合のばらつきも、書名のラインナップも統一感が見られない。多いと感じるのは大学受験用の参考書や小説の文庫本だけれど、純文学の横にはライトミステリーがあり、そうかと思えば古めかしい現代詩のタイトルや、学術文庫が挟まっている。一部は講義で使ったのか、ところどころに付箋が貼られていた。
 しばらく調べていたものの、目当てのものはどこにもなかった。
 わたしが探していたのは昼の景色と似た構図の絵で、不確かながら姉の部屋で見た憶えがあったのだ。鮮やかな印象であるのに、なぜか暗い感覚が染みついている。それが胸につかえていた。だからもう一度だけ実物を見れば、その違和感の正体も突き止められるのでは、と考えていた。
「あると思ったんだけどな」
 そっと息をつき、こぼすようつぶやく。
 すると背後から蝶番のきしむ音が聞こえた。
「なにがあるって」
 振り返ると、ちょうどひとりぶんの影が視界に映った。
 カーテンのあいだから差し込む朱色を受けて、輪郭の先で髪が透けて光っている。自分とおなじ鳶色の瞳がのぞき、視線が溶け合う。鏡を見たような感覚をそこに抱く。というより抱いてしまう。向かい合った身体はどちらも動かなかった。
 わたしは影を見つめたまま、口を開く。
「お姉ちゃん」
「ただいま、梢」
「いま帰ってきたの」
 訊ねると、そんなところ、と姉は軽く笑った。
 髪のかたちや色はずいぶんと違っているのに、どうしても似ている箇所を意識する。鼻の稜線や爪の丸みが等しくあること。はじめて自分の声を録音して聴いたときの不自然さ。見れば見るほど、数年先の自分の姿を予告されているように思える。あるいは、それ以上の自分を想像できないような気さえする。
 姉は小首を傾げて言った。
「探してたの、なに」
「参考書とか」
 そう、咄嗟に思ってもないことを答える。
「教科は?」
「英語。文法のやつ」
「上級? 入門?」
「入門のほう」
 あれね、と姉は得意そうにうなずき、学習机の引き出しをがらりと開ける。どこに置いたままなのかをまだ憶えている口振りだった。しばらく漁って、一冊の本を取り出してみせる。Zという字からはじまる出版社のシリーズ。白い表紙には、戦略、という意味の英単語が躍っていた。それを、はい、と向けられる。
 受け取って、ありがと、と言葉を口にする。
「あとさ」
「なに」
「画集とかって、ある。美術の」
 その問いかけに、姉はふたたび不可解そうに首を傾げた。
 わたしは訊かれる前につづけて言った。
「むかしどこかで見た気がするんだけど、思い出せなくて。夕暮れで、絵のなかの窓枠が白い額縁みたいになってて、その向こうに大きなシャボン玉が浮かんでる。でも奥には大きな丸い穴があって、そこはなぜか真っ暗なんだよね。でもそこまで暗い印象はなくて、空気感っていうのかな、そういうのが淡い色遣いで描かれてるの。油絵なのに。知ってる」
「いや、知らない。なんか」
 変な絵だね、と姉は眉を寄せる。
「それって有名なやつなの。たとえば印象派みたいな」
「わからないから訊いてるんだけど」
「それもそうか」
 けれどもそこで、あっ、とちいさく声を上げた。
「どうしたの」
「もしかして、詩集じゃない」
「詩?」
 今度はこちらが首を傾げる番だった。
 姉は本棚の前に立つと、一冊のうすい文庫本に迷いなく指をかける。黒い表紙に白い字でタイトルが書かれているが、こちらの角度からはうまく判読できなかった。姉の指先は、目次らしきの頁を開いて、なにかの言葉をなぞっている。黙ってうかがっていると姉はさらに頁をめくり、あったよ、とこちらに向き直った。
「なにが」
「だから、シャボン玉だって」
 言いながら差し出され、その見開き部分に視線を落とす。
 小説の本とは違って、空白部分のほうがずっと広い。
 開かれた頁の上半分に、数行ずつ言葉が縦に並んでいる。だから、それが詩集の一部だということはすぐに理解できた。そっと目を凝らしてみると、シャボン玉、という文字列がたしかに表記されていた。
 姉が示してみせたその詩は、たった三行だけのものだった。
 
 
  シャボン玉の中へは
  庭は這入れません
  周囲(まわり)をくるくる廻っています
 
 
 一瞬を、切り取ったような言葉だと思った。
 空と地面と跨ぐように飛んでいく、いくつもの虹をまとった球体。その表面の膜は鮮やかに映し出されていくけれど、内側にはなにもない。境界だけが色を持つ。周囲(まわり)をくるくる廻っています、と末尾の十五音がさやかに響き沈み込んでいく。
 わたしは姉に視線を向けた。
「これって」
「教科書かなにかに載ってたんじゃないの」
 そう、姉は軽く説明するように答えた。
「短いけど、これって絵みたいでしょ。だから頭のなかでそう感じて、イメージで憶えていたんじゃないのかな。まあ、穴があったのかはわからないけど、表紙は真っ黒だし。もしかしたら梢が見たのには挿絵があったのかも」
「そうかな」
「わたしに答えられるのはそのくらいだよ」
 本を手にしたまま、わざとらしく肩をすくめる。
「読む?」
「じゃあ、読む」
 すると、こちらが抱えていた参考書の上に文庫本をしずかに乗せた。それから部屋の窓を開け、ポケットから紙の箱と安っぽいつくりのライターを取り出す。わたしは姉とその組み合わせをはじめて目にしたので、いっとき、戸惑う。
「吸ってるの」
「たまにね」
 言葉に嘘はないようで、その箱はどこかやつれているようだった。
 銘柄は、と訊ねると、安いやつだよ、と返ってくる。やがてその細い先にちりちりと焦げるような橙が灯り、翳るような日差しの赤に混じっていく。煙草の火は呼吸に合わせてつよくなったり、弱くなったりするものなのだとそこで知った。
 煙を吐き出すその横顔を見つめながら、わたしはなにか引っかかりのようなものを感じていた。けれども違和感はっきりとせず、ともすると、ただ時間を置き去ってしまいそうになる。それをどうにか阻もうとして、あのさ、と口を開く。
「お姉ちゃんって」
「うん」
「美術部だったよね」
「中学の途中までね」
「そのとき描いた絵って、残してる」
 どうだろ、と窓の外を眺めたまま彩度のない色を吐く。
「お母さんなら知ってるかも。画材は引っ越す前に処分したからなあ」
「引っ越す前って」
「憶えてる」
 と、姉は遠い話をするように目を細めた。
「わたしたち、小田原に来る前は葉山に住んでいたんだよ」
「それは、なんとなく」
 曖昧に答えてから、その言葉によって思い起こされていく。
 神奈川県の、東から西へ。
 いまの新居へと移り住んだのは、小学二年の終わりごろだったろうか。六歳離れた姉は中学二年のはずだった。引っ越しそのものはずいぶんと前から決まっていたせいか、ふたりとも駄々をこねるようなことはしなかったはずだ。
 まだ桜の咲き切らない三月。父の運転する車に乗ってあたらしい家へと向かった。わたしたちは後部座席に並んで座っていた。わたしは外を見ている姉の横顔を眺めていた。そんな気がする。磨かれた車の窓はシャボン玉のように周囲の景色を写し取っていて、その色調は、姉の肌にもほのかに差し込んでいたはずだった。
 けれどそこにあった表情は、不思議と明るくなかったことも憶えていた。
「つらかった?」
 と、思わず訊いていた。
 姉はいっとき驚いたようにこちらを見返した。
「なにが」
「友達と別れたりするの」
「どうかな。忘れたよ、さすがに」
 だってもう七年前だよ、と苦笑する。
 開いていた窓から、鳴き疲れた蝉の声がさらさらと降ってくる。
 空の向こうの色は、ゆっくりと移り変わっていくさなかだった。昼の熱は、だれにも気づかれずに冷めていく。わたしが教室で抱いた既視感と不安は、まだうまく拭えないまま胸の内に残っている。ふと、潮時だろうか、とも考える。
 だからそれは、なにかをはっきりと思い出す前の、名前のついていない色のようなものでしかない。無理やり答えを出さなくても、困ってしまうようなことはない。その程度の些細なことは、きっとどこにでも、だれにもあるはずだった。
 それでもひとつだけ、姉妹だから気づいたことがあった。
 窓辺で見せた姉の表情は、なにかを隠しているわたし自身によく似ていた。
 
   *
 
 翌日の朝、姉は家を出ていた。
 朝食を摂り終え、わたしは着替えて駅へと向かった。平日より人のすくない東海道本線籠原行きの列車に乗り込み、四十分ほど無言で揺られる。大船駅に着いたところでいったんプラットホームに降り立ち、案内板の矢印を頼りにしながら横須賀線逗子行きの車両に乗り換える。
 目的地は、以前住んでいた葉山町だ。
 親には、学校で苦手科目の土曜講習がある、とだけ伝えていた。だから着ているのは私服ではなく制服で、けれど向かっている方向はまったくの正反対だった。
 記憶のなかにある景色を探したい、などと言っても理解してもらえないとは思っていたし、どこか後ろめたい気持ちもあった。とりわけシャボン玉を見たときに抱いたかすかな不安や、姉に対する違和感などは、具体的な裏づけがあるわけでもなかったし、自分自身、うまく説明をつけられなかった。
 それでも向かうには理由があった。
 電車のシートに座ったまま、わたしは昨日借りた本を鞄から取り出す。
『コクトー詩集』堀口大學訳。
 その最後の頁に、一枚の名刺が挟まっていた。
 見つけたのは昨日の夜だった。それは東京にある美術大学の学生のもので、おそらく展覧会かなにかを開いた際のものではないかと推(すい)した。本の奥付には、平成二十三年十二月二十五日 六十六刷、とある。八年前。古書店で使われるような値札シールや鉛筆による印などがなかったので、姉はこの詩集を新刊で買い求めたことになる。
だからこれを挟んだのも、おそらく姉自身のはずだった。
 忘れているのだろうか、と訝りもした。けれど直接問いただせば、いとも簡単にはぐらかされてしまう予感がした。
 そして迷ったのち、名刺の連絡先にメールを書いて送っていた。
 つよい確信があったわけではない。けれど名刺には葉山町の住所が記載されていて、そのつながりに理由を欲しがっている自分がいた。
 だからわたしは自分がただの高校生であること、おそらく直接の面識がないこと、名刺が姉の私物に混じっていたこと、幼いころに見たシャボン玉の描かれた絵を探していること、そして可能であるならばそれを見つける相談に乗ってほしいことを文章にまとめ、祈るように送信した。
 幸い、昨夜のうちにメールに返事があった。
 逗子まで来ていただけるのであれば、という条件つきの了承だった。
 
   *
 
 久しぶりに訪れたJR逗子駅前は、思ったよりこざっぱりとしていた。
 改札を抜けた先のロータリー周辺には時間貸駐車場や都市銀行の支店が並び、コンビニエンスストアやファーストフード、チェーンの喫茶店がすこし離れて控えていた。利便性の順に各施設が置かれているという印象だった。
 近くには海水浴場があるので、そちらに向かう人の流れも見える。まだ本格的なシーズンではないものの、海開きは六月末に済んでいた。そこから以前住んでいたあたりまで行くなら、南に向かうバスに乗る必要があった。
「弓原梢さん?」
 待ち合わせ場所の交番横に立っていると、声をかけられた。
 視線を向けると、姉と同年代くらいの女性がいた。すらりとした体躯で、軽く髪にメッシュを入れている以外はごくふつうの格好だった。夏らしい白いシャツにデニム生地のガウチョパンツ。美大生というからには奇抜な服を着ているという先入観がどこか自分のなかにあって、そのため構えていた気持ちがさらりと崩れた。
「えっと」
「須田です。昨日メールいただいた」
 それからこちらを見て、驚いた、とつぶやく。
「ほんとうに高校生なんだ」
「それって」
 どういう意味ですか、と思わずにわたしは訊ね返してしまう。
 対して気まずそうに、ああ、と苦笑する。
「最初はいたずらかと思ってたから。よくあるの。名刺だけは沢山刷ったし。でも話は細部もあって嘘っぽくないし、とりあえず返事だけは送ろうかなって」
「はあ」
 だとするなら、わたしは幸運だったことになるのだろうか。
 すると、ごめんね、と須田は軽く手を合わせた。
「ここでする話でもないよね」
 それから彼女に先導され、わたしたちは近くの喫茶店チェーンに入った。店舗がスーパーに併設されているのがなんともベッドタウンらしいと感じる。
 レジカウンターで須田はブレンドコーヒーを、わたしはアイスのカフェモカを注文する。まだ午前中のためか店内はほどよく空(す)いていた。制服を着た高校生や数人の主婦が雑談をしているくらいで、本格的に混みはじめるのはこれからなのだろう。
 ドリンクを持って席に座ったのち、わたしは簡単に礼を述べた。
「それで、メールでもお伝えしたんですが」
「シャボン玉の絵を探してるんだっけ」
 はい、とうなずき、鞄からルーズリーフを取り出す。
 ふだんは授業で板書された内容を写し取るために使っているものだが、事前にその一枚にシャープペンで図を描いていた。むろん須田に見せるためだった。
「こういう絵なんですけど」
 言いながら、相手に見えるよう紙を差し出す。
 アルミサッシの窓が白く色を抜かれていて、絵のなかにもうひとつ額縁があるような構図。その向こう側の空間に大小さまざまなシャボン玉が宙を舞っている。その背後に広がるのは、おそらく学校のグラウンドだろう。しかしその中央には巨大な穴が穿たれている。なぜかはわからない。ただそのような絵を見たという記憶だけが、異物めいた感触を残しながら心の底に転がっている。
 だが、それを見た須田の反応はこちらの想定とは違っていた。
「やっぱり」
「えっ」
 思わず、そう声が出る。
 懐かしい、と相手はそっと目を細めてつづける。
「これ、わたしが描いた絵だよ」
 その言葉を聞き、一瞬、戸惑ってしまう。
 てっきり、美術部のころの姉が描いた絵だと思っていた。昨日はそれをわたしに思い出されたのが恥ずかしくて、わざと嘘をついていたのではと考えていた。
 けれど、そうではなかった。
 そうそう、と須田は当時を思い出しながら述べていく。
「中学の美術部の引退前にね、これで賞を貰ったの。地域のちいさなやつだったんだけど嬉しかったな。それで高校も美術部で、美大に進むことにしたんだよね」
「そう、だったんですか」
「うん。あっそう、これこれ。児童画展ってやつ。名前あるでしょ」
 見て、とスマートフォンを向けてくる。
 その画面上に開かれていたのはとあるコンクールのウェブサイトだった。入賞者一覧、とゴシック体でリストに記載されているなかに彼女の名前があった。須田三春(みはる)。タイトルは『淡く飛ぶ』。特別賞。簡潔な記録だけで、画像はなかった。
「あの、表彰とかってされましたか」
「あった、あった。美術部を介して出したわけじゃなかったから、学校の体育館に集められてみんなの前でおめでとうございます、っていうパターンはなかったけどね」
 どこか照れくさそうに須田は答えた。
 しばらく考えたのち、じゃあ、と確認する。
「わたしが見たのは、須田さんの絵だったんですね」
「ありきたりだし、似た構図はあるだろうけれど、時期がおなじだもんね」
 言われ、その通りだと思う。
 シャボン玉をモチーフにした絵は数多あるだろうが、似たような色遣いや構図まで含めてしまうと、かえってそれが別物であると考えるほうが難しい。それにわたし自信が幼いころ、という個人的な条件にも合致する。
 加えて、あの絵には巨大な穴が描かれている。
 ゆえにアイデアが被るとしたら、有名な先行作が存在すると仮定したほうがいい。とはいえ現状、その可能性はかなり低かった。
「そうですね」
 濃いグリーンのストローで、わたしは飲み物をゆっくりとかき回す。白いクリームとチョコレートの黒が次第に溶けて混じり合っていく。あの絵もおなじだった。夕暮れの一瞬と、淡くにじむような光線のたゆたい。それがガラスでも氷でもない透明なシャボンの膜に吸い込まれ、球体というかたちに閉じられている。
 庭は這入れません、周囲(まわり)をくるくる廻っています、とコクトーの詩がよぎる。
 そういえば、と顔を上げて訊いた。
「あの絵って、小学校の景色ですか」
「わかるの」
 須田はすこしだけ目を丸くする。
 わたしはうなずいた。
「むかし通ってたんです。あそこに」
 だから憶えていたのかもしれない、といまになってようやく思う。
 自分の知っているはずの風景が、まるで異世界のような色調で描かれているのを、きっと生まれてはじめて見た。だから引き込まれた。すくなくとも自分にとって、絵画を前にしたつよい鑑賞体験は遡れるかぎりそれしかなかった。
 でも、と内心で考える。
 どのような機会によって見たにしろ、そうやってわたしが憶えていたものを、当時の姉がまったく知らなかった可能性はほんとうにあるのだろうか。
 なによりそれだけの絵を、姉はあっさりと忘れてしまえていただろうか。
 
   *
 
 いったん逗子駅前に戻り、須田とはそこで別れることにした。
 土曜の昼にさしかかる駅の周辺には、たゆみない人の流れがあった。それまで気づかなかったが、ロータリーに停まるバスもよく見れば数台が忙しそうに入れ替わっている。日差しは高くなり、並ぶ人たちが気怠そうに顔のあたりを仰いでいる。
これから須田は列車に乗り、東京の大学に向かうという。それとは反対に、わたしは久しぶりに訪れた町の周辺を散策するつもりだった。
 改札に入ろうとする前に、きみってさ、と須田は振り向いて言った。
「岬ちゃんの、妹だよね」
「知ってるんですか」
 いまさら、驚くほどのことではなかったかもしれない。
 おなじ葉山に住んでいたのだし、歳ごろも重なっている。そんな狭い環境で美術部だったというのだから、かえって知らないと言い切るほうが不自然な話だった。
 そりゃそうだよ、と須田はおおらかに答える。
「おなじ苗字だし、顔だってすごく似てる。考えないほうがおかしいって」
「姉とは、仲がよかったんですか」
「おなじ部活で、同級生だったし、放課後に遊ぶくらいにはね。まあ、お互いの家には行かなかった程度の友達かな。それに転校しちゃってからは会ってないし、連絡が来たときは驚いたよ。あの名刺だって、直接渡したわけじゃなかったんだから」
 言われ、ああ、とわたしはそこで納得する。
「いたずらかと思った、って」
「そういうこと。まさかほんとうに妹が来るなんて思わないでしょ、ふつう。でも、ごめんね、わざわざ電車に乗って来てもらって悪かったね。せっかくだし、まだ訊きたいことがあるなら、もうあとすこしくらいは答えられるけど」
 どうする、と言葉を向けられる。
「じゃあ、そうですね」
 口元に手をやり、しばらく考える。
 それから顔を上げ、気になっていたことを口にする。
「シャボン玉の詩って、わかりますか」
「詩? ああ、童謡ね。飛ばずに消えたっていう、ちょっと怖いやつ」
 それがどうしたの、と相手は訊ね返してくる。
 わたしは首を振った。
「いえ、もしかして絵を描くときに考えてたのかなって」
「まあ、すこしはね。むかしの話だし、気にはするけど。でもわたしは見たものしか描けないから。それを絵にしたってだけだから、べつに他意はないかな」
「そういうものなんですか」
 まあね、と須田は気さくに微笑んだ。
「今日は梢ちゃんに会えてよかったよ。むかしの絵のファンなんて、まずいないしね。初心に返れたっていうか、うれしかった。ありがとう」
「いえ」
 こちらこそ、と深く頭を下げると、相手は恥ずかしそうに頬をかいた。
 そして改札の先に首を向けた。電光掲示板が発車時刻を伝えている。
 最後に、すみません、とわたしは口にする。
「もうひとつだけ、いいですか」
「いいよ。なに」
「あの絵って、いまはどこにありますか」
 すると彼女は、あれね、とわずかに視線を遠くはずした。
 そこにどこか含みのようなものを感じる。
「すみません、答えにくい質問なら」
「ううん、そうじゃないの。なんていうか、あのころってまだ美大とか本格的に考えてなかったんだよね。だから展示から戻ってきて、一年かそこらで捨てちゃった」
「じゃあ」
「うん。だからもう」
 あれはどこにも残ってないの、と笑った。
 
   *
 
 そのあとは、以前通っていた小学校に向かった。
 駅前のロータリーで水色のバスに乗り、南に下るルートをたどっていく。京急新逗子駅と逗子市役所のあいだを抜けてからは左右に一戸建ての住宅が建ち並び、時折、ちいさな薬局や医院が顔を出す。流れていく景色にその地域の暮らしが漂っているせいか、海辺の避暑地という雰囲気はそれほど感じない。
 それから南北に伸びるトンネルを抜けて、ふと窓に記憶が映った気がした。
 出発の日だ、と思う。
 思わず後ろを振り返る。ゆっくりと暗いトンネルの出口が遠のいていく。
 あの日、わたしはあの暗い穴を通って町を出た。
 となりの座席に姉がおり、ただじっと窓の向こうを見つめている。そっとうかがうように視線を追うと、そのガラスの表面にひっかいたような細い線がつたっている。小雨だった。受信状況の悪いラジオがざらざらと耳を撫でる。わたしはひさびさの旅行に出かけるような、ほのかな高揚感を抱いていた。
 だから、姉の煮え切らない表情にどこか疑問を覚えた。
『次は―、―』
 車内アナウンスにはっとして、降車ボタンを押す。停留所でバスが減速する。
 運賃を小銭で支払い、運転手に軽く頭を下げ、夏の空気に身を浸す。
 小学校は、そこからほど近い場所にあった。
 あたりにレース織りめいた日陰があったことに感謝して、葉擦れと蝉の声が重なる通学路を進んでいく。歩くうちにじんわりと汗が染みて、ブラウスの生地が肌に貼りつく。それをぬるい風がさらっていく。わずかに傾斜のある舗道は正門までつづいている。はやる気持ちからか、ローファーでの足取りは思うより軽い。
 当然ながら、学校の正門は閉ざされていた。
 教職員の車などが出入りする裏門のほうに回り込むと、そちらはあっさりと開いていた。土曜日や長期休みにはボランティアによる課外講座があったはずだから、その風習がいまもつづいているのかもしれなかった。犬の散歩に通る人も多かった。駐車場を抜けると校庭が見渡せるはずだ、と記憶の景色とすり合わせていく。
「あった」
 と、それを目の前にして、声をこぼした。
 いちめんの砂利に覆われた校庭は、当時の印象よりずっと狭い。トラックを大きく一周にしても、ようやく一〇〇メートルが稼げる程度だろうか。
 両端にはサッカーに使われる白いゴールがひとつずつ置かれ、それぞれ表面に橙色の錆を散らしている。すこし離れた場所には背の高いポールや鉄棒が立っていた。桜の樹は外周を覆うよう等間隔に根を下ろし、悠々とその葉を茂らせている。
 そっと息を整える。しずかな興奮を感じている。
 やはり、絵で見た場所だと思った。
 図に描いてきた紙を取り出さないでもわかる。教室棟の二階か三階の窓から見下ろせば、おそらく構図としてはおなじものがいまも確認できると確信する。
 さすがに校舎内には入れないが、収穫としてはじゅうぶんだった。つばのように飛び出した屋根のつくる日陰に入り、鞄からミネラルウォーターの入ったペットボトルを取り出して飲み干した。用意していたタオルを使い、汗を丁寧に拭っていく。
 それから、頭のなかで整理をする。
 わたしが見た絵は、七年前に通っていた小学校の景色だった。
 それを描いたのは、当時、中学生だった姉の同級生で、美術部員の須田三春だった。そして現在、姉はその絵のことを憶えていない、もしくは知らないふりをしている。わたしは後者の可能性が濃いのではないかと疑っている。
 なぜなら姉は、何年も会っていないはずの須田の名刺を持っていた。
 どうしてそれを本に挟んだままにしていたのかは、わからない。それに須田自身はコクトーの詩を意識していないようだった。もしかすると、姉が絵のことを隠す理由はそこに関係があるのかもしれなかった。
 そして、もうひとつ。
 スマートフォンを取り出し、祈るように指を動かす。
 ブラウザを立ち上げ、さきほど須田に見せてもらった児童画展のサイトを開く。確認しようと思ったのは、その時期だった。平成二十四年。西暦に直すと二〇一二年。須田は中学三年の部活引退を前に、そのコンクールで賞を取った。ページに記載された情報によれば、その年の受賞作品は横浜にあるホールで展示されたという。
 けれど、それはおかしい。
 
 わたしには、あの絵をそのような会場で見た記憶がない。
 
 大賞作品は、ウェブサイトにカラーの画像で掲載されている。
 けれどそれ以外の入賞作は名前だけしかわからない。つまりわたしには、あの絵を直接見る機会がどこにもなかった。ましてや姉と須田は引っ越したのちに一度も会っていない。きっとそれは嘘ではない。
 さらにウェブページをスクロールする。コンクールの募集要項には作品の募集期間が記載されていた。毎年、六月の中旬が提出締め切りだった。
 あの年、わたしたちは三月末に引っ越していて、葉山にはいなかった。
 だから物理的に、あの絵に触れることはできなかった。
 あの時点では。七年前では。
 唇に手をあてる。なにかが心に引っかかっていた。
「七年前」
 と、違和感を口内で転がす。
 鞄に入れていた『コクトー詩集』を出す。その奥付を確認する。
 平成二十三年、とある。
「八年前」
 だから、それは嫌な感覚だった。蝉の声がじっとりと肌にまとわりつくようだった。
 たしかに七年前では、あの絵を見る機会はない。
 
 けれど八年前なら可能性はあるのではないか。
 
 その時点ですでに絵があれば、わたしが目にしていた記憶はじゅうぶんに説明できる。
 では、いつ、どうやって。
 中学時代、姉と須田はおなじ美術部に所属していた。
 ということは放課後か休日に、家にスケッチブックを持ってきて、下絵を描いていたのではないか。そして偶然、開いたままにしていたそれを小学生のわたしが見つけた。その可能性であれば、ある程度は考えられるのではないか。
けれど、違う、と判断する。
 須田は、互いの家に行ったことはない、と話していた。わたしも、中学生の須田に会ったという記憶はない。だからそうではない。それに見たのは、ただの下絵などではなかった。ほとんど完成品と呼んでもいい出来だったという印象がある。
「完成品?」
 そこで、とある可能性が浮かぶ。
 日陰でゆっくりと冷えていく汗が、そっと背中をつたっていく。
「もし」
 思わずつぶやいていた。
 たとえばもし、須田が、姉の絵を盗んでいたとしたら。
 つまり姉が一度描き起こしたアイデアを見て、盗作していたとするならば。
「いや、そうじゃない」
 違う、と声に出して否定する。
 仮にそうだとするなら、須田はわたしと会っているはずがない。昨夜送ったメールは、過去の罪状を暴こうとする行為と見なされてしまう。そのうえで、わざわざ自分が描いた絵であることを彼女から主張することなどありえない。なによりわたしに声をかけて、いたずらかと思った、なんて冗談でも口にできるはずがない。
 なら、どういうことか。
「コンクール」
 そうつぶやく。もう一度スマートフォンを操作し、ブラウザを開く。
 検索エンジンに、複数の言葉を入力する。
 神奈川県、中学生、美術、コンクール。
 須田は、コンクールには美術部を介して出したわけじゃない、と説明した。
 でも、それはすこし奇妙だと思う。
 美術部といえば、規模の差こそあれ、どの学校にも根づいている種類の部活だと思う。すくなくともひとり、教科を担当し指導できる教員がいるからだ。ならば体育会系の部のように、いわゆる公式戦のようなものに出ないか、と部員に話を持ちかけることも起こりうるだろう。そう仮定する。そう仮定したならば。
「やっぱり」
 スマートフォンの画面に、検索結果が表示されていた。
 神奈川県美術展覧会、中高生の部。それが一番上にサジェストされた言葉だった。おそらく、県下でもっとも大きなコンクールのはずだと思う。
 応募要項の文字をタップして、ページを開く。
 出品について、と大きく文字が出る。探している言葉を見落とさぬよう、わたしはゆっくりと画面をスクロールし、詳細を確認していく。
 そして、見つけた。
 その場で、わたしはしずかに息をついた。
 まぶたを閉じ、そして震える唇で、その言葉を口にした。
「十一月」
 そのコンクールの募集時期は、秋だった。
 だから、あの絵を見ることができたのだと思い至る。もちろん展覧会といった公の場ではない。わたしが見たのは自分の家にある、姉の部屋以外にない。
 ゆえに、答えはひとつしかなかった。
 八年前の秋。 
 姉は、須田三春がコンクールに出品するのを妨害するために絵を盗んだのだ。
  
   *
 
 絡まっていたはずの記憶の糸が、音もなくほどけていく。
 にじむような空白に、さやかに色がついていく。
 葉山にいたころの姉の部屋。そのすみっこ。勉強机の横にある狭い空間に、見慣れない、大きなものが立てかけるように置かれている。丈夫な布の袋に覆われていたはずなのに、すぐにその中身が一枚のキャンバスなのだと勘づいた。
「お姉ちゃん?」
 わたしは振り返り、姉を呼んだ。
 母は絵具の持つ独特のにおいが苦手で、だから家で絵を描くといった習慣は、わたしたち姉妹には決して根付くことがなかった。その日、陽はゆっくりと沈みかけていて、窓枠から差し込む光線の色が、くっきりと床の色を塗り分けていた。鮮やかな橙色は、暗い廊下の奥にまでつづいていた。
 しばらく待っても、姉の返事はなかった。
 袋の口に指をかけた。その隠された内部をのぞき込んだ。
 数センチほどの側面に、膨らんだ傷跡のように複数の色彩がこびりついていた。わたしはそれまで油絵というのをちゃんと見たことがなかった。だから、絵というものがただの平面上に発生する現象ではなくて、本来はもっと物質的な、三次元的な厚みを持つことさえも知らなかった。あのとき、学校で使う画用紙よりもずっと大きなキャンバスを見るのもきっとはじめてだった。
だから、それは知らない世界への窓に思えた。
 あのころ、いつも姉になにかを止められていた。ちょっとした悪戯心を抱いても、すぐにその企みを見抜かれていた。間違わないように手を引かれていた。
 けれど、その日だけは違っていた。
 姉は不在のままで、ほのかに暗い室内は密やかな気配に包まれていた。
やがてしずかな好奇心が、覆う袋を取り払った。
 そうやって、わたしは見つけたのだった。
 音のない、その一瞬の色を閉じ込めた長方形。あるいは直方体。
 淡い密室。
 
   *
 
 もう一度バスに乗り、逗子駅方面に戻っていく。
 引っ越してから何度か、姉の使っていたノートや教科書を見たことがあった。母とともに姉の部屋の掃除をして、整理するなかで自然と目に入るからだ。
 そこには、下線ひとつなかった。
 どの頁を開いても、ただ整然と文字だけが連なっていた。つい授業中に気を抜いてしまったような落書きも、図解さえもそこにはなかった。だから姉は、そういうノートの取り方をする人なのだと勝手に思っていた。なにひとつ疑念を抱かなかった。
 でも、そうではなかったとしたら。
 新逗子駅前でバスを降り、そこから東に向かって歩く。
 数分もしないうちに、ガラスに覆われた箱型の建造物が見えてくる。
 逗子文化プラザといって、商業施設と比べても遜色のない小綺麗な見た目をしている。目的地はそこにある市立図書館だった。記憶通りであれば、建物にはほかに演奏会などができる大型のホールやギャラリー、温水プールなどが併設されている。入口横に立てられた掲示板には、催事に関するポスターがいくつも貼られていた。
 エントランスを抜けると、高い天井とほどよく涼しい風が迎えてくる。図書館内は広い窓から光を受け止めて、白く明るい。視聴覚・インターネットコーナー、と書かれている場所に足を運んでいく。そこでPCを使いたかった。
 運よく、席がひとつ空(あ)いていた。
 椅子にゆっくりと腰掛ける。マウスを操作し、デクストップ画面上にある全国紙のオンラインデータベース検索のアイコンをクリックする。
 わたしは先ほど訪れた小学校の名前に、遺跡、というワードを絡め、姉が在校していた時期に書かれた新聞記事を探してみる。しかし結果は芳しくなかった。葉山には遺跡や古墳が多くあるため、あの絵に描かれた穴はその類かと推定したのだ。
 しかしうまくヒットしない。
 しばらく迷ったのち、小学校のサイトに飛ぶ。
 沿革のページを見ても、遺跡の発掘調査があったという傍証はなかった。
 思い違いだろうか、と内心で考えていたものの、平成十七年に気になる記述を見つけた。八月、防火用貯水槽埋設工事完了、とあった。
 七年前でも八年前でもなく、十四年前。
 その一瞬、ざらついた不安が喉の奥をかすめた。再び新聞記事の検索画面を開き、わたしは学校名に加えて、貯水槽、と打ち込んだ。しかし思うような結果は出ない。椅子の背にもたれ、しばし息をつく。
 だが、あるいは、と考える。
 席を立って、受付カウンターに向かう。
 休日ということもあってか、カウンターの前には本を持った人たちが並んでいた。未就学児や小学生を連れた親も多い。列の最後尾に着いてしばらく待つ。
 次の方、と司書の女性に呼ばれる。
 わたしは前に出て、すみません、と声をかける。
「新聞のバックナンバーを閲覧したいんですけど」
「どの新聞でしょうか」
「神奈川の地方新聞です。十四年前の」
 そう伝え、記事の見出しはデータベース化されていますか、と重ねて訊く。
 すると女性は申し訳なさそうに首を振った。
「十年前までなら、データになっているのですが」
 となると、調べるにはすこし時間がかかるかもしれなかった。
 でしたら、と答える。
「記事の原本を直接見ることはできますか」
「大丈夫ですよ」
 そうですね、といっとき女性は壁にかけられた時計を見やる。
「用意するのに、いまから三十分ほどかかりますが」
「それでお願いします」
 つづけて、わたしは必要な新聞の発行時期を述べた。代わりに、レシートのような紙を発券して手渡される。受付番号が大きく印字されていて、それと引き換えに当該の資料を貸し出してくれるという仕組みらしかった。
 受付の紙を財布に入れ、建物の外へ出る。
 近くのコンビニで遅めの昼食用に惣菜パンとペットボトル飲料を買い求め、併設されている飲食コーナーで資料が用意されるまでの時間を潰した。
 思いのほかというべきか、これまでの作業で気分は落ち着いていた。
 あのころ、姉がどういう経緯であの絵を盗んだのかは、想像がつかない。だからそれについていまさら感情的になっても、あまり意味がないだろう。むしろ、その先にある、手つかずになっている情報を浚っておきたかった。けれどもそれでわかることがいわゆる犯行動機と呼ばれるものとして現れるかはわからなかった。
 三十分はすぐに経った。
 図書館に戻り、製本された新聞紙の束を受け渡される。
 わたしが確認したかったのは、十四年前の七月から八月の記事だった。ちょうど一か月分を大きな一冊のファイルにまとめていて、その左右の端を持っただけで冊子の中央が重く撓(たわ)んだ。落とさないよう注意して抱えながら、閲覧用のテーブルにそれら二冊をそっと置く。それから八月分を脇にずらし、先に七月分を開く。
 見ると、日付順に紙面を重ねているとわかった。
 製本されているとはいっても、紙自体になにか特別な保護がなされているわけではなかった。もともと新聞の紙質は丈夫なものではないし、経年による劣化もある。インクの乾ききった紙はところどころ端が黄色くなっていて、枯葉のような手触りだった。そこに指先をくぐらせ、そっと頁をめくる。見出しを目で拾っていく。
 気がかりだったのは、須田と交わした言葉だった。
 きっと彼女は、ほんとうに善意を持ってわたしに対して接してくれた。だからその言葉に大げさな部分はあったとしても、明確な嘘はないと考える。
 けれども、とも思う。
だとするなら、わたしには確認しておかなければならないことがある。
 そしてそのためには、この資料をくまなく調べる必要があった。
 
   *
 
 二か月分のファイルを読み終え、息をつく。
 知らないうちに背筋に力を入れていたのか、肩から腰にかけて身体が固くなった感触があった。椅子に座ったまま、こわばりをほぐすよう関節を動かす。それからスマートフォンで時刻を確認する。画面を見ると、資料を読み出してから二時間近くが経過しているのがわかった。だいぶ集中して作業していたらしい。
 探していたのは、貯水槽に関する記事だった。
 須田はシャボン玉の詩について訊ねたとき、それを有名な童謡のことと思ったのか、むかしの話、と答えてくれた。たしかに「シャボン玉飛んだ」という詩は「七つの子」や「赤い靴」の作詞を担当した野口雨情がつくったもので、のちに中山晋平による作曲を経て童謡として世間に知れ渡ったという。インターネットで確認したところ、もとになった詩が雑誌で発表されたのも、童謡になったのも大正時代だったと書かれていた。だから、むかしの話であることについて、なんの矛盾もないはずだった。
 また彼女は、ちょっと怖いやつ、と所感を述べた。
 おそらくシャボン玉が消えるという部分が、子供の死の含意として読み取れる、といった言説も耳にしたことがあったのだろう。詩の創作にまつわる事実や因果関係はともかく、そういった解釈の仕方が存在し、流布しているのは否定できない。
 けれど、と思う。
 彼女の口にした、むかし、とはそれほどまでに遠い過去を指した言葉だったろうか。むしろわたしには、じっさいに手を伸ばすくらいで思い起こすことのできる範囲の、ごく卑近な出来事について喋っていたように感じられた。
 だから、その根拠を探すことにした。
 そして十四年前、八月五日の記事にそれはあった。
 開いたままにしてあるそのファイルを、わたしはもう一度見やる。
 
 
  六歳児童転落死 工事中の小学校貯水槽に
 
 
 そう、見出しが載っている。
 事故があったのは八月四日、木曜日。小学校は七月中旬から敷地内の校庭に埋設型の防火用貯水槽を設置する工事をおこなっており、高さ四メートル、直径六メートルほどの円柱型の穴がつくられていた。だからそれは、絵の風景と重なる。
 そしてそこに、六歳の少女が転落した。
 四日の夕方、工事関係者はすでに撤収しており、現場の周囲は安全柵で覆われていた。学校側の責任者は職員室にいたものの、異変には気づいていなかった。また同日の十七時ごろ、短い夕立が降った。そのため校庭の地面はぬかるんで、結果的にひと筋の足跡が残った。それが発見につながった、と書かれている。
 足跡に従うなら、児童はひとり、柵の隙間を這うように抜けて工事現場内に入り、その大きな穴をのぞき込んだ。そのさい、身体のバランスを失った。穴の内部にはすでに機材が設置されており、そこに頭部をぶつけたのが死亡の原因だった。
 ただし記事によれば、見つかるまでは数時間がかかったという。
 当初、その児童は行方不明になったと考えられていたようだった。
 最後に彼女を目撃していたのは、ひとつ年上の姉だった。詳しい記載はないものの、おそらく学校ではぐれたのち帰宅して、家族に見つからない旨を報告したことで捜索がはじまった。姉妹のどちらかが学校に用事でもあったのか、ただ散歩のついでにふらりと寄ったのかについては書かれていないし、わからない。ただ、おおむねそのようないきさつがあったのではないか、と仮定できる。
 そして日の暮れたあと、警察の捜査によって少女の遺体が見つかった。
 ひと筋しか足跡がなかったことから判断できる通り、そこに事件性は見られなかった。それはただの不運な事故だった。その翌日、翌々日の新聞にも関連する記事は載っていない。だからそこで話は終わりになる。
 ただし、ささやかな後日譚を除くのであれば。
 須田も姉も、そのころは小学二年生だった。
 おなじ学校に通う、一歳下の少女の死。
 きっと、その出来事はひどく身近に感じられたことだろう。本人たちにその子と面識があったのかはわからない。詳細をニュースなどで聞かずとも、生徒間での話題には当然のぼったことは容易に想像がつく。もしかしたら、夏休み明けに朝礼などで話がなされていたかもしれない。
 ともあれ、当時の姉たちにその記憶は深く刻まれていたはずだ。
 それから数年後、中学生になった須田は事故のことを思い出した。正確には、事故のあった貯水槽のある景色を想起した。そして彼女はそれをモチーフにした絵を描こうと決心する。その結果、シャボン玉の絵が描かれた。
 しかし完成した絵は姉によって盗まれた。当時のわたしは偶然、その絵を見つけた。ただ、そのあとどのような経緯があったのかまでは知らなかった。姉がよほど須田を嫌っていたのか、それともべつの理由があったのかさえ、わからない。
 ただ、おそらく。
 姉が絵を盗んだことは両親に知られたはずだ。
 きっと、あの絵を見つけたわたしが両親に知らせたのだ。
 ただ、綺麗なものを見てほしくて。
 そして、キャンバスの裏にあった署名が姉のものではないと気づかれた。ゆえに絵画は持ち主のもとへ返却された。それは秋のコンクールに出されることはなかったが、翌年の児童画展に出品され、賞を取った。わたしがシャボン玉を見たとき、どこかつめたい感触を覚えたのは、姉が窃盗という犯罪をおこなったことを直接は聞かずとも、それを家庭内の空気から感じ取っていたせいではなかったか。
 だから姉は、訊ねられても絵のことを話さなかった。
 知らないと嘘をつき、拒んだ。
 そのあやまちを、わたしに思い出してほしくなかった。
あるいは、知ってほしくはなかったから。
 けれどそれを咎めようとか、問い詰めようといった気持ちはあまり湧かなかった。むしろ姉は、長くそのことを悔いているのではないかと思った。じっさい、わたしは姉の絵というものを見た記憶がほとんどない。それはつまり、ある時期を境にして、彼女自身が自発的に絵を描かなくなったことに由来している。そんな気がした。
 画材は引っ越す前に処分した、と姉は言っていた。
 けれどそれも、半分は嘘かもしれない。
 当時の姉の犯行はおそらく、周囲に露見していたはずだ。となれば、事の仔細は学校側にも知られたはずだ。なによりコンクール出品という大事な時期だったから、そこには避けがたい罪の重さがのしかかる。父母は学校に呼ばれたことだろう。きっと須田の家族も呼ばれただろう。そしてそこで、姉が謝罪して手打ちとなった。すくなくとも、それ以上の大きな騒動があれば、わたしだって気づいたはずだ。
 でも、と重ねて思う。
 それは姉と須田、双方だけの問題にすぎない。
 わたしの知っている学校という空間は、そんな単純な場所ではない。
 当然、彼女たち以外の、ほかの生徒たちもそうした呼び出しの事実に気づいてしまったことだろう。そしてその経緯を勘繰った。やがて明らかにされるのはとある犯罪の顛末で、そこには明確に被害者と加害者がいることが示される。
 そうなれば犯人は、周囲から疎まれ、蔑まれて過ごすことになるだろう。
「もし」
 と、唇に手を触れ、つぶやく。
 姉の行為がおなじ学校の生徒間に知れ渡ったとしたら、どうなるだろうか。
 
 その結果、画材を処分せざるをえない状態にまでなっていたとしたら。
 
 思わずわたしは、まぶたを伏せる。
 けれど同時に、そこにつよい違和感を覚えた。比率の狂った絵を正しいものとして見せられたときのような、咄嗟には掴めない居心地の悪さが漂っている。
 そこで、ふと考える。
 どうして姉は、その結末を予期できなかったのだろうか。
 もちろん中学二年という幼い子供に、大人のような思慮深さを願うのは難しい。けれど記憶にいる姉は、いつも理知的で、物事を正しく分別できる人のはずだった。そうでなれば、わたしの考える悪戯を何度も止めることなどできなかった。
 だとするなら、すべては逆だったのではないか。
 そう、直感的に思った。
 あのとき姉は、なにが起きるかを理解していたのではないか。
「そうだ」
 と、言葉を口にする。思考がつながる。
 脳裏で鮮やかな火花が散るように、いくつもの記憶が、色が舞った。
 どうして絵を見つけたあの日、わたしは姉の部屋に入ることができたのか。
 それはほんとうに自発的な行為だったろうか。
 いや、違っていた、と遅れて気づく。たまたま、偶然にも、ドアがかすかに開いていたからだ。暗い廊下には窓から差した色が伸びていた。けれど姉は不在で、それをいいことにわたしは好奇心から、部屋を物色しようとしたのだった。そして秘密めいた一枚のキャンバスを見つけた。わたしは姉の名を呼んだ。けれど返事はなかった。
 ほの暗いつめたさが、じわりと肌を撫でる。
 どうして姉は絵を盗んだのか。もし須田を心から嫌っていたのなら、もっと上手いやり方があったはずだった。わざわざキャンバスを持ち帰る必要はなかった。学校でそれを壊すか、絵の具で表面を雑に塗り潰してしまえばよかった。通りすがりの人物による犯行にすれば、きっと自分が犯人として名指さされることもないはずだった。そのくらいの悪知恵はじゅうぶん回るはずだった。
 だとするなら。
 姉の目的は、絵を損なわせることにはなかったのではないか。
 じっさいは、その周囲にあったはずだ。
 ふたつのコンクール。秋の美術展と翌年の児童画展になにか大きな違いはあっただろうか。須田によれば、後者は正式な部活動としては認められなかった。もし前者の展覧会に須田の絵が正しく出品され、そちらで賞を取っていたとしたら。当然、全校の前で彼女は表彰されていたはずだ。それだけの高い技術はあったのだから。そしてコンクールから戻ってきた絵の実物は、おそらく学校内でも一定期間、だれでも見ることのできるように展示されたはずだった。
 あの絵には、いったいなにが描かれていただろうか。白く色を抜かれたサッシ窓。宙に舞ういくつもの鮮やかなシャボン玉。夕暮れの淡い空気。校庭。光。
 そして、巨大な穴。
 少女が落ちて亡くなった、深く暗い穴。
 過去に起きた事故を、須田はおそらく認識していた。ならば須田以外にも、絵からそれを想起する人間が現れることはあるだろう。もし、姉もそう考えていたのなら。
 姉と須田にはなにが起きたか。
 姉の犯罪行為は露見した。その事実は教室じゅうに伝わった。そして周囲から疎まれ、蔑まれるようになった。須田はあの絵をすぐに出品することは叶わなかった。だから学校で表彰されることも、絵が校内で展示されることもなかった。
 ならばそれは、なにを意味しているのか。
 絵に描かれた出来事は、結局、生徒たちには思い起こされなかったのではないか。ゆえに須田はあの絵を理由に、だれかから非難を向けられることもなかった。わたしたち姉妹は、ずいぶんと前から引っ越しをして、葉山にいる友達から離れていくことを知っていた。だから直前になって、駄々をこねることもなかった。つまり姉は、やがて自分が学校から去ることを知ったうえで行動していた。
 だから、と気づいた。
 
 姉は、須田が周囲から蔑まれる可能性を排除しようとしたのではないか。
 
 自分が身代わりになれば、それで済むとわかっていたから。
 それが思うすべてだった。
 しばらくのあいだ、わたしはそれ以上のことを考えられなかった。記憶のなかにある色彩と目の前の景色とが混じり合って、呼吸と意識が縺(もつ)れていた。
 それから、新聞のまとめられたファイルを閉じた。
 乾いた古紙のにおいがわずかに薄まるのを感じた。分厚いその表紙を指先でなぞる。これが再度開かれる機会は、おそらく当分はめぐってこないだろう。
 そのまま、二冊のファイルを返却する。
 記事の複写は依頼することもできたけれど、しなかった。する理由がなかった。
 わたしのささやかな調査は、だからこれで打ち切りだった。
 
   *
 
 午前に見た景色が、今度は正反対に流れていく。
 目に映る屋根のそれぞれが、青みがかった灰色の光を受け止めている。
 列車に乗って逗子を離れ、小田原に戻る途中だった。
 その区切られた窓の四角をドアの脇から眺めていると、ふと、斜めに細く、いくつもの線が流れていくのが見えた。雨だと思った。次第にその線の数は増えていき、窓を網目のように滴が埋めて、拍手めいた激しい音が鉄の車両を包んでいった。
 それは、夏の驟雨だった。
 途端、心のうちで袖を引かれたように、ざわつく感触があった。
 空調の風で冷えた肌を抑え、じっと窓を見つめる。
 貼りついた滴のひとつひとつに、ちいさな景色が閉じ込められていた。霧のように煙(けぶ)る空が、暗い水平線がその向こうに広がっている。窓の表面には車内のLED蛍光灯と、自分の顔が映り込んだ。過ぎていく陰影の具合が変わり、そこにかつての姉の表情が重なっては消えていく。窓をつたう水滴の、境界だけがかすかに色を持っていた。
 はっと息を呑み、ゆっくりとそこに指を這わせる。
 けれど、その色までは掴めない。
 違う、と思った。
 わたしの考えた姉の物語は、きっと大きく間違っている気がした。
 
   *
 
 小田原に着くと、雨の過ぎたあとだけが残っていた。
 アスファルトは黒く濡れて、凹凸のなかに点々と水たまりをさらしていた。再び戻ってきた陽の熱を受けて、あたりにはまとわりつくような湿気が漂っていた。
 駅前にある百円ショップに寄って、子供向けのシャボン玉キットを買い求めた。それをビニール袋に提げ、お堀端通りと呼ばれる道沿いを歩いていく。やがて深い色をした水の張っている堀が視界に入ってくる。
 朱塗りの橋を渡った先に、城址公園の二の丸広場があった。
雨の通ったあとの地面はしっとりと湿っていた。あたりには犬の散歩に来た人や一眼レフのカメラを携えた観光客、それに遊んでいる子供たちがいて、夕暮れどきのにぎわいを見せていた。その隅では紫陽花がすこし色褪せながらも咲いていた。空はにじむ雲を筆で刷くように伸ばし、青から橙に変化する色調を描いていた。
 わたしはかすかに湿っているベンチをハンカチで拭き、そこに座った。
まだ幼かったころ、と思い出す。
 どうしてシャボン玉が宙に浮かぶことができるのか、不思議でならなかった。デパートやショッピングモールで見かける風船たちはヘリウムガスを使っているのだと子供ながらに知っていたから、余計に、どうして、という思いが増えていた。
 ようやくその浮遊の秘密を知ったのは、中学校の理科の授業でのことだった。ストローなどで膨らませた膜の内側は、人の呼気でできている。つまり大気よりもすこし重い。だから空を飛ぶためには、わずかでも風の力を受ける必要がある。反対にいえば無風状態になったとき、シャボン玉はゆっくりと重力に従い落ちていく。そう教師から説明を受けた。そうして虹の魔法は、ひどく簡単に解けてしまった。
 それから、あの絵のことを思い出す。
 大小さまざまな球体が宙に浮かび、淡い色彩を閉じている。けれどそれはほんとうに飛んでいたのだろうか。もしかすると、それは落下していたのではなかったか。
 その答えはわからない。
 ただ、そこに一本の補助線を引くことはできる。
 袋からキットを取り出し、液の入った容器に蛍光色のストローを浸らせる。
 そして、ふう、とつよく息を吹き込んだ。
 ゆるやかに風が抜けていく。
 見えない力に導かれるように、夕景のなかを色が流れた。その膜でできた球体は、鮮やかに光を受け止めて、音もなく周囲を映している。犬とじゃれるように遊んでいた子供がそれらを見つけ、指をさす。魔法のように笑顔があふれる。
 その球体を、わたしはただ見ていた。なにもしなかった。
 しずかに考えていた。
 十四年前。
 雨の降ったあと、校庭に足跡はひと筋しかなかった。亡くなったひとりの少女以外、そこに踏み入れたものはだれもいなかった。そこは密やかに閉じられていた。
 だからそこは、彼女ひとりきりの世界だった。
 目の前に広がる大きな穴は、きっと夢のように映ったことだろう。夕暮れに変わりゆく色彩とその陰影は、どこかに秘密を隠していると信じられたことだろう。
 首輪をつけた犬が吠えている。
 遊んでいた子供が立ち上がっている。
 一度高くのぼった淡い球体たちが、いっとき力を失って、地面に向かって舞い降りていく。周りの景色を、その虹色にまとって回転しながら。
 だから、その瞬間を、幻視する。
 目の前に見えている光景と、それを重ねる。
 それは鮮やかに再生されていく。脳裏で組み上げられていく。
 あの淡い絵の筆致で。うつくしい色で。
 
 立ち上がった子供は、シャボン玉に手を伸ばしていた。
 
 待って、と心のなかで叫ぼうとする。けれどそれは止められない。すでにそれは十四年前の夏に起きてしまっている。わたしはそれを知っている。きっと彼女は目の前の色をただ掴もうとしただけだ。ただただ一歩、踏み出しただけだ。その先に、支えてくれる地面のないことを、魔法のように忘れてしまっただけなのだ。
 掴んだ泡はぱちりと弾ける。
 やがて重力に従うように、穴に向かって踏み出した少女は落ちていく。
 そして亡くなる。
 シャボン玉を送り出した人間だけを、そこに残して。
 
   *
 
 どうして姉は周囲から蔑まれようと思ったのか。
 帰宅して、ずっとひとりで考えていた。とうに陽は西に沈み、姉の部屋は夜の色に染まっている。閉じられたドアの下、わずかな光が線となってフローリングを照らしている。けれどわたしは、それさえも届かない奥のベッドに座っていた。
 考えるための材料は、最初から絵のなかにあった。
 須田は、見たものしか描けない、と言っていた。だからわたしはそれが校庭にできた穴のことだとばかり思っていた。けれども仮に、シャボン玉というモチーフもおなじような理由からキャンバスに描いていたとするなら、話は変わってくる。
 つまり。
 
 きっとその絵は、事件の目撃証言になる。
 
 むろん信じる人などいるはずもない。須田だって安全柵の内側までを子細に見ていたわけではないだろう。だからそれが公的な証拠として扱われるかといえば、難しい。そもそも事件と呼べるものがあった可能性すら低い。だから大人にそれを伝えたとしても、子供の想像力のたくましさをただ素朴に笑われるだけだ。
 けれど、と思う。
 ひとりだけ、その証言を笑って否定できない人物がいる。
 
 シャボン玉を飛ばした張本人だ。
 
 もしその人物があの絵を見たら、どう考えるだろう。
 おそらく一刻も早く、それを人前から処分したいと感じるのではないだろうか。けれど当然それはできない。もし絵画の破壊や窃盗に成功したとしても、改めておなじモチーフの絵を描かれてしまっては意味がないし、それにそうした犯行じたい、二度はくり返せない。かえって周囲からの疑いを呼び込む結果になってしまう。
 ならばどうするか。
 簡単だ。
 
 絵そのものではなく、それを描く作者のほうを狙って攻撃すればいい。
 
 それも、なるべく手を汚さない方法で。
 陰湿に。迂遠なかたちで。
 姉と須田は同級生だった。きっと、姉は須田を守る必要性を感じていた。
 そして姉は行動した。
 だから、おそらく、その教室にいたはずだ。
 クラス全体の空気をある程度コントロールできる立場にあって、十四年前にシャボン玉を飛ばしたと思われる人物が。少女を暗い穴に誘(いざな)った存在が。新聞記事によれば、亡くなった少女には姉がいたことが書かれていた。わたしはその人のことをほとんど知らないし、名前だって聞いたこともない。
 だからわたしにとっては、それは輪郭のぼやけた他人でしかない。
 でも、姉は知っていた。
 おなじ空気を吸って、おなじ授業を受けていた。名前のある、たしかな隣人として知っていた。どんなふうに笑うかだって、きっと見ていたはずだろう。そしてそれは、とても怖いことのはずだった。その悪意を相手にすると考えるだけで、わたしの指先は石のようにつめたく固くなってしまう。ついさっきまで笑い合っていた相手を、人は簡単に傷つけることができる。その想像を、決して冗談とは見なせない。
 なにより、と思う。
 その悪意を向けた先にある終わりは、あまりにもありふれていた。
 けれど、それを安易に言葉にはしたくなかった。
 そう思ったとき、部屋のドアがそっと開いた。明かりが差して広がった。
「どうしたの」
 声に訊かれ、わたしは床に落としていた視線を上げる。
 そこには昨日見た顔があった。鏡を見つめたときのような相似形。
「お姉ちゃん」
「なんかあった」
 めちゃくちゃひどい顔してるけど、と姉は心配そうに言い添える。
 わたしは首を振った。傍らに置いていた詩集を見せる。
「昨日の本、ちゃんと返そうと思って」
「そう」
「でも、どこに戻すかわからなくて」
「適当でいいのに」
 柔らかく頬を緩める。
 引っ越した直後の姉は、あまり笑わなかった気がする、と思い出す。
「あのさ」
「うん」
「えっと、ごめん忘れて」
 どう言ったらよいのか、わからなかった。
 詩集に挟まれた須田の名刺について訊ねるのも、どこか違っていると思った。そのしずかな諦めとも忘却ともつかない場所を、そんな簡単に、こちらが推し測ってよいはずがなかった。それはきっと、ただの暴力と変わらないはずだった。
 なにそれ、と姉はくすりと肩を揺らす。
「変なの」
 窓の向こうから車の通る音が響いた。天井がほの白く染まっては暗くなる。
 それからすこしして、姉は横に腰かけてきた。
「なに」
「べつに」
 そう笑って、肩を寄せてくる。わずかに香水のにおいがした。
 わたしは横顔をそっと見つめた。自分と姉は、鏡のようによく似ている。
 だがその瞬間、はっとした。
 自分の目が、大きく開いたのがわかった。
 そうなのだ、と遅れて気がついた。だって姉は、自分とおなじだった。
 だからあの絵はきっと、盗まれなければならなかった。
 もちろん姉にとって、それは自身の犯行をわざと証明するために必要な手順のはずだった。わたしを両親にけしかけたのも、きっとその工程にすぎなかった。
 けれど。
 じっさいに教室内の空気を動かしてしまうのが目的であれば、もっと簡単な、手順のすくない方法があるはずだった。
 たとえば絵を派手に壊してしまって、犯人探しをするように散々騒ぎ立てたあと、その犯人に対する匿名の告発めいた文章を、教室の黒板に書き散らしてしまえばよかった。それで自分が犯人であることを公に知らしめることさえできれば、もっと簡単に、周囲からの正義感と敵意とを集めることができたはずだ。
 だからそうした自作自演にさえ気づかれなければ、姉は苦労せずに周囲から疎まれることができたのだった。わざわざ妹に絵を見つけさせて、両親や教師といった穏便な解決法を求めたがる大人たちに動いてもらう必要もないはずだった。
 でも、そうはしなかった。
 盗むという選択をしなければならなかった。決して壊すことはできなかった。
 そうせざるをえない理由があった。
 なぜなら、と思う。
 
 きっと姉も、あの絵を心から綺麗だと思っていたから。
 
 それが姉という個人にとって大事な絵だと思えたからこそ、損なわせることはできなかった。教室内の隠れた悪意から、ただひとり遠ざけようと、迂遠な手段を取ることしかできなかった。その幼さで、なけなしの知恵で、ささやかな友情を失ってしまうことさえも引き受けて。
 あのたった一枚の絵画を前にして、姉は、その一瞬を閉じ込めた色彩を、だれにも傷つけられない場所にまで連れていこうとした。
 だから姉の奥底にあったのは、ひどく些細な感情だったのだとわかる。
 きっと姉は、うつくしいものが、悪意に晒されてほしくなかったのだ。ただ一枚の綺麗な絵を描いただけで、ひとりの人間が、大切な友人が、心ない相手に傷つけられ、損なわれてしまうことだけは避けたかった。
 そんな結末は許せなかった。
 その証拠に、姉は須田本人に知られないよう、彼女の進路をひとり追っていた。そうして一冊の詩集の奥に、名刺をそっとしまい込んだ。だからそれは、決してヒロイックな、善なる感情に基づくものではなかったはずだ。ただただエゴイスティックな感情だった。万人に褒められるような行為であるはずもなかった。
 だとしても。
 あの絵画はあっさりと失われ、もう二度と色は戻らなくなったとしても。そのおこないが正しく報われなかったのだとしても。だれひとり、そこに隠れたほんとうの感情を察してもらうことがなく、理解されることがなかったとしても。
 それでも。
 姉はたったひとり傷つきながら、見えない悪意を退けた。
 大切な人の、大切なものを守り抜いた。
「梢?」
 うつむき、急に肩を震わせたわたしを不思議そうに姉が呼ぶ。
「どうしたの。大丈夫」
 うん、とも、ううん、とも言えないまま、乱暴に首を振る。
 目に映る輪郭は、淡くにじみ、うまく像を結んでくれない。
 わたしは傍らに置かれていたその手を取った。それからゆっくりと自分の手をすべらせて、その肩に腕を回した。抱きしめた。いっとき姉は戸惑った気配を見せたけれど、なにかを察したのか、こちらの思うままにさせてくれた。
 狭い部屋のなかには、くらやみとしずけさだけが漂っていた。
 わたしたちはもう喋らなかった。
  
 
 
 
〈引用文献〉
『コクトー詩集』(堀口大學訳、新潮文庫、平成二十年二月改版)


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