怒りを爆発させながら対話したい

引っ越して1年。地域おこし協力隊になって1年が経った。
最近、ふつふつとある欲が湧いてきている。

「怒り」

友人に、「怒りをエネルギーに変換できる」ひとがいる。
2年前。初めてその話をきいたときは、衝撃だった。
私の中で、怒りは人を無力にさせるものだという固定概念があったからだ。
原動力はポジティブなものでなければ、良いものは生まれない、
ネガティブはマイナスなもの、という認識も強かった。
しかしその友人は、活き活きとしている。愛情深くて、引き込まれる強さがある。
その源になるのが、「怒り」とは、どういうことだろう?
その日から私は「怒り」を意識して過ごしていた。


「怒り」を意識して過ごしていると、そもそも私はあまり怒ることがないタイプの人間なのかも…ということがわかってきた。
今までの人生の中で、怒られた経験が少ないというのも、その原因のひとつだと考えている。
あと、自分の中の怒りのものさしが0か100しかないということにも気づいた。よく怒るタイプの友達を観察していると、怒りにも度合いがあることが理解できた。すべての「怒り」に対して、そんなに恐怖を抱かなくていいんだ!と安心した。

今までの私は怒られることに対して異常に恐怖を抱いていて、人に怒りたくないという気持ちも強かった。着火、発火するというところから逃げてきたひとだった。キレ芸があまり好きじゃないのは、そういうことだったのかも。


「怒り」と「愛」が結びついた


最近、「あ、自分怒ってる!」という場面が増えてきた。
怒りを問いに変えて、相手に気づいてもらいたい…そんなことをしていた。

そんな日々の中、太刀打ちできない相手が現れた。
「「ナチュラル失礼なひと」」

まったく失礼なことを言っている自覚はないけど、割と失礼なことを言っているひと。

地方あるあるなのかな…。お世話になっている方は「もう慣れた!がはは!」みたいな感じだったので、自分の器の小ささを痛感しています。

ナチュラル失礼事例に関する話を、お世話になっている方にしてみました。
すると、お世話になっている方はなぜかニコニコ。
「好きなものを軽い言葉で扱われると腹立つんですよ、だから、それは恋人みたいなもんやな。」的なことをおっしゃっていました。

なるほど…怒りの原因は、愛、というパターンもあるのか…。


ここで、「怒りを原動力にしている友達」の気持ちがわかってきました。
それは、「怒り」であって、「愛」なのか!

そういえば、サイヤ人がスーパーサイヤ人になる必須条件は怒りです。
この怒りは、「愛」だったのかもしれないです。





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