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オフィスワーカーズ・ブルース #√2

感心するタイポ。

これは正確には「タイポ」とは言えないものかもしれないのだが、いつだったか、ぼんやりTwitterを眺めていて目に止まったある人のツイートで、

「(〜から)ま逃れる」

という表記をしているのを見て、「おお」と思ってしまったものだ。
書き違いには違いない。件の人が書きたかったのは「免れる(まぬかれる)」であろう。念の為、大辞林第三版で「まのがれる」を引いてみるが、見出し語にあるのは「まのがる【免る】」「まぬかれる【免れる】」であり、「まのがれる」は立項されていない。

しかし、「まのがれる」。
間違ってますよとすっぱり言い切れるほど、間違っていないような気がしないでもない(←どっちなんだよ)。
「ま逃れる」も、どことなく妙な説得力というか、味がある。「真逃れる」だとなお良かったか。いずれにしても「真剣に逃げている」感じがよく伝わるタイポであり、そのちょっとした「思い違い」には、何とも言えない愛おしさもあったりする。

「ま逃れる」に何となく間違っていない感があるのは、たぶん言葉を話している時に、こういう発音をしているからかもしれない。改めて口に出して言ってみる。まのがる、まぬかれる。まぬがれる。まのがれる。んー。発声する上では「まのがれる」が一番ストレスがかからないような気がするし、「まのがれる」は「まのがる」「まぬかれる」の折衷型として、いいとこ取りのような気もする。このあたりは「秋葉原」がもともと「あきばはら」と呼ばれていたところ、言いづらいから「あきはばら」になったっていう、アレに近いのかもしれない(その意味で「アキバ」という略し方は、存外先祖返りした言い方なのかもしれないけれど)。

書き言葉と実際の発音の谷間といえば、子供心に不思議だったのは「体育」の読みと発音の違い。ふりがなは「たいいく」だけど、アレ、「たいく」って発音してないか。少なくても私は「たいく」って発音しているような気がする。体育館を「たいいくかん」って言うかい、普通。「たいくかん」だよなあ。「い」の母音がふたつ重なるからそうなるのか、とも思ったりするのだが、「愛育病院」は「あいいく」って読むしなあ。でも、代々木体育館は「よよぎたいくかん」って発語するよなあ。

そういえば、こんなのも。
「あくが強い」を「悪が強い」と書いている文章。これも誤りではあるのだが、気持ちはわからなくもない。書いているご本人とて、タイポというよりも、むしろそう思いこんでいて、確信を持ってそう変換しているのではなかろうか。この場合の「あく」。これも大辞林の第三版で「灰汁」を引いてみると、語釈の③で「人の性質・言動や表現などに感じられる、しつこさ・しぶとさ・どぎつさなど」とあるから、「しつこさ・しぶとさ・どぎつさなど」を悪いものと理解するならば、「悪が強い」と変換してしまう気持ちもわからないではない。
類例で「あくが抜ける」の場合はどうだろう。「悪が抜ける」。エクソシストではないが、何やら邪気のようなものが祓われるようなイメージはあり、転じて「洗練される」のような意味になったと推測する人がいても不思議ではない。

閑話休題。
タイポのことである。

私自身は、プライベートではMacBookAir、リモートワーク用にHPのノートPC、オフィスではHPのデスクトップを使っているのだが、この3機種のキーボードのピッチが泣けるほど違うこともあり、キーボードのタイピングを我流で覚えた私としては、文章を入力している時のミスタッチはきっと多いほうだ。たぶん。
そんな私であるから、文書作成の仕事をしている時についおかしな変換などをしてしまう事もよくある話ではあるのだ。
なので、ここ最近、仕事中に文書なんかを書いている時にやらかしたタイポをここに記してみよう。もちろんこんな誤変換したよってな話であって、タイポに気付かずそのままボスに成果物として出してしまったことはない。たぶんないと思う。ないんじゃないかな。ま、ちょっと覚悟はしておけ。

タイポは続くよ、どこまでも。

以下は私がやってしまったタイポの類である。
✕がやってしまったタイポ、○は変換したかった正しい語、の意味である。

✕ 有休酒盗
○ 有休取得

有休酒盗。有休の日だってんで、昼酒を呑んじゃってる感がありありのタイポ。酒盗をアテに一杯。ツウだね。酒盗って美味しいもんね。クリームチーズと合わせちゃったりしてるんですぜ、きっと。けしからん。実にけしからん。一杯よこせ。

✕ 回答鳳凰
○ 回答方法

回答鳳凰。クソめんどくせえ複雑な作りのアンケート回答フォームなんかを苦労して入力していて、あ、一箇所間違えちゃった、なんてことになって、フォーム上にある「戻る」ボタンではなくブラウザの「戻る」をつい押してしまった結果、さっきまで入力していたデータが丸ごと飛んでしまう、というような経験はオフィスワーカーの諸姉諸兄なら一度はご経験されていると思うが、ああいう時に消失してしまうデータというものは、鳳凰となって遠い山の向こうに飛び去ってしまうのだろうか。知らんけど。

✕ こう揉む
○ 項目

どこを、どんなふうに?(ごくり)

✕ 森ダンクさん
○ 盛りだくさん

森ダンクさん。強そうである。やはり「ダンク」という語から、バスケットボールを連想するというのはあるかもしれない。背が高そうだな、ダンクさん。語感的にドイツっぽい感じもあるな。ダンケシェーン、みたいな。

ちなみに、と言うか、大してちなんでもいないのだが、ドイツ語における「Z」って「ツ」みたいな表記になるものがあったりするじゃないですか。ツヴァイ(Zwei)とかシュヴァルツヴァルト(Schwarzwald)とか。ま、私も第二外国語で仏語を選択したので、独語の発音について、正確なところはよくわからないのだけれど。
ただ、学生の頃、某民鉄の駅で朝のバイトをやっていて、マイク片手に案内放送をしていて「まもなく半蔵門行きが参ります」と毎朝、何度も言っているうちに、半蔵門を「ハンツォーモン」って発音する方が楽かも、とつい思ってしまったことがあった、というのは本当の話で。
そういえばケチャップのハインツも「HEINZ」って書くよね。

恋するタイポ。

閑話休題。
タイポのことである。

以前、オフィスで文章を書いていた時のこと。
作成していたのは、ある事象が起きた要因を分析するレポートだったので、文章の性格上、割りと「〇〇であった可能性がある」といった具合に「可能性」という言葉を頻繁に入力しなければいけないものだったのだが、ボスから「なるはや」で仕上げてほしいとのことだったので、今一つしっくりこないキーボードをかちゃかちゃと打ちつつ、会社のマシンにインストールされているIMEが繰り出すクソな「素朴な」変換候補と戦いつつ、レポートの文章を紡ぎ出していたのだが、締め切り時間の迫る中、

✕ かのすえう
○ 可能性
✕ かのせい
✕ かのす
✕ 加納しえ
○ 可能性

のような誤入力や誤変換を繰り返しているうち、ふと予測変換候補の中に

「加納史枝」

という、人名のような、いや、どう考えても人名だろうという予測変換候補が出ているのを発見してしまったのだった。
おそらくは「可能性」を頻繁に誤入力、誤変換を繰り返した結果生まれてしまった「変換候補」なのだろう。順当に考えれば「かのうしえ」→「加納史枝」なのだろうが、それにしても、「しえ」の部分が「史枝」になったのはどういう変換から生まれたものか。

加納史枝さんか。この場合はおそらく「しえ」さんではなく「ふみえ」さんと読むのだろうな。たぶん、区立図書館にお勤めの、地元の子どもたちに優しく接してくれる司書さんなんだろうなというところまで妄想してしまったのだが、それにしても、予測変換候補の中に、見慣れぬ人名らしき単語がいきなり表示されると、少しばかりぎょっとしてしまう。先に挙げた「森ダンクさん」ぐらいの脱力系のタイポであればともかく、「加納史枝」というところまで解像度の高い形で人名が出てきてしまうと、これが運命の人の名前なのかも、と思ってしまうほど年甲斐のないロマンチストではないにしても、心にさざなみが立つ程度には浮足立ってしまう。それが人情というものではなかろうか。

「恋は遠い日の花火ではない」

何より会社で、業務で使っているPCであるから、本分に立ち返れば「加納史枝」という予測変換候補を表示させている場合ではないのだ。「かのうせい」と正しく入力し、「可能性」と正しく変換しなくてはいけない。それで飯を食っているのだ。表示させてはいけない。自分のミスタッチがいかんのだ。しかし、「kanousei」とキーを打つたびに、ちらりと見える「加納史枝」という予測変換候補。それ自体は嫌いじゃない。いや、むしろ気に入っている。でも、仕事の邪魔なのだ。何だ、このアンビバレンツは。

そんな葛藤もいつしか、無意識のうちに「可能性」という語を慎重に入力し、慎重に変換する癖がついたせいか、気づけば「加納史枝さん」を目にする機会は次第に少なくなっていった。それでいいのだ。寂しくないと言えば嘘になるかもしれないが、驚愕すべきは、タイポが生み出した人名らしきものに愛着を感じ始めている自分の心理の方なのだ。

そんなある日、またしても期限に追われて文書作成をしていた時のこと。
文書の結論部、締めくくりの良いところだ。
つい、いつもより強くEnterキーを押したところで、PCの画面に現れた文字は、

「野島椎」

おそらくは「望ましい」と入力しようとして「のじましい」と入力してしまったのだろう。野島椎。秋田杉のように、木材のブランドでもありそうな名称にも見えるが、人名のようにも見えなくはない。字面的に「椎」が「唯」だったら完全に人名ではないか。
またしても、慎重に入力しなければいけない語が増えてしまった。

野島椎さんの爆誕で、加納史枝さんが寂しい思いをしていないか。
つい気になってしまい、「かのうせい」と雑に入力したくなってしまう今日このごろではある。私は自分で思っているよりも、年甲斐がないのかもしれない。

どっとはらい。

(了)

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