コロナ禍中、帝王切開で子どもを出産しました


令和2年の記録です。

コロナ禍で、軒並みプレママ教室や相談会が中止される中、当時、私は帝王切開の体験談を知りたくて、検索魔になってました。コロナは落ち着きましたが、僭越ながら誰かのお役に立てれば。

逆子のため、39週4日で帝王切開により誕生することになった娘。本来なら逆子帝王切開は、37週か38週頃行われるが、超音波検査による娘の推定体重が低体重児との境目である2,500gをなかなか超えなかったため、出産予定日の2日前の手術となった。前日夜21時から絶飲食をし、病院へ向かう。

36週から陣痛を起こさないために自宅安静を続けていたこともあり、前駆陣痛も、陣痛も全くないまま当日の朝を迎える。娘は、不本意にいきなり引っ張りだされることになると思うので、一応「今日生まれるんだよ。自分のペースじゃないけど、びっくりしないでね〜」と夫と一緒に伝えておいた。

予定通り、朝9時に夫に病院まで送ってもらうが、コロナのため、夫であっても付き添い禁止、面会禁止のため、玄関でお別れ。これから1週間、手術のときも入院中も一度も会えないと思うと心細い。

9時からいつもの妊婦検診と同様にエコーと内診をし、胎児が骨盤位(逆子)から頭位に変わってないこと、子宮口が開いてないことを確認した後、入院フロアのある4階へ移動する。妊婦検診が今日で最後と思うとなんだか感慨深かった。

浣腸、剃毛、点滴3本済ませるとあっという間に手術台に乗る12:30に。点滴中は手術を考えると怖かったので、瞑想アプリで、深呼吸しながら、過ごす。緊張をほぐすために瞑想を始めたのにいつの間にか寝ていて自分の図太さに驚く。

看護師さんに、「あ、そろそろ行く?」と言われて手術室へ。ドラマでよくある総合病院の手術室を想像していたが、小さな診察室に手術台があるようなこじんまりした場所だった。すでに、看護師さん3名忙しく準備をしていて、ここにお医者さんもくるとなると、だいぶ狭い。小さな部屋に機材もたくさん置いてあるので、「動線大丈夫なの?こけんといてやー」と思ってしまう。

医療事故を防ぐためにも今後の手術室の動線の改善を心の中で要望しつつ、手術着のまま、手術台に登ろうとしたら、看護師さんに「あ、裸になってー」と言われ、そりゃそうかと思い、裸になる。なんだろう。病気じゃないからか、和やか過ぎて、緊張感が感じられず、逆に怖い。

お腹の大きな裸の妊婦の状態で手術台に登る。右腕には血圧計と呼吸計?をつけられ、左腕には麻酔やらなんやらのための点滴針。尿道にはトイレに行かなくても大丈夫な様にカテーテルを入れられ、両腕、両足を動かないように台に縛られ、酸素マスクをつけられる。さながら第二次世界大戦中の人体実験みたいだなーと思う。

13時を少し過ぎて、先生到着。コロナ対策のために政府から配られた専用の手術着をこの日、初めて使ったらしく、「こんなのを産婦人科に配るなんて税金の無駄。もっと必要とする医療機関に提供すべきだ」とぼやきながら、手術が始まる。「あんたがコロナだったら困るから、政府が配ってるそうでーす」と私に言いながら、麻酔の準備を始めるので、本当は怖くてそれどころじゃないけど、なんとなく愛想笑いをする。

麻酔は、エビのように背中を丸めて、背骨の間から脊髄に注射する脊髄麻酔。脊髄麻酔はとても痛いという前情報だったけど、それより何より「脊髄」への注射は打ち間違えるとなんか知らんけど恐ろしいことになるらしく先生からも看護師さんからも何度も「痛くても絶対動くな」と言われ、どんな痛みであろうと微動だにしないことを心に誓う。幸い、先生から「あんたの背中は痩せていて背骨がはっきり分かる。素晴らしい。」という背骨に対するお褒めの言葉と注射中、微動だにせず、声もあげない私を見て、「こんは物分かりの良い妊婦はなかなかいない。お利口さんだ」と声をかけられる。32歳にもなって、お利口さんってと思いつつ、悪い気はしなかったので、今後は特技の欄に、「脊髄麻酔をされること」と書くことを思いつく。なぜか心に余裕あり。

手術室にはBGMが流れ、先生もなんとなくご機嫌で「はい、ここ触られてるの感じますかー、ここはー?」と部分麻酔の効きを確認する。

私は、先日叔父が部分麻酔が効いてないまま右手の手術が始まってめっちゃいたかったという話を聞いていたので、ビビりながら、自分の中で最大限、的確に「感じます」「感じません」を答える。すると急に先生が、「やばい。麻酔が効き過ぎてる。なんでこんな少量の麻酔でこんなことなんねん。早くしないと赤ちゃんが危険だ!」声を荒げ、さっきまでの雰囲気が一変、次第に私の視界も真っ白になり、呼吸も苦しい、めまいもする、気持ちも悪い。「あ、死ぬかも」と思った瞬間、意識が遠のいていく。

看護師さんが急に私の頭を押さえ、「頭、振らないで。呼吸しっかり意識して」という言葉で意識が戻る。どうやら私は苦しくて頭を左右に振りながら、「怖い、苦しい」と言っていたらしい。看護師さんから「はい、深呼吸、吸ってー」と言われ、また呼吸をすることに全神経を注ぐ。さっき瞑想アプリで呼吸の練習しといてよかった。

呼吸を意識すると次第に気持ち悪さが取れ、徐々に意識もしっかりしてくる。

先生の独り言「赤ちゃんの足捕まえた、他の部分どこにあんねん」とか「へその緒、身体に二重に巻いてるな、へその緒異様に細いな〜。」とか、余計に不安になるから言わないでほしい独り言が聞こえてくる。先生の声とともに、娘を引っ張り出すために内臓が縦揺れ横揺れしているのを感じ、わたしは怖くて怖くて、私の頭を押さえている看護師さんに「まだですか?」「もう終わりますか?」と何度も確認する。(でも異様に細いへその緒は見たかった)

体感ではものすごく長い時間が経ったが、13:21、先生の「目がくりくりしてるよー」という声とともに、2620gで娘が誕生。手術台の横から見せてもらった娘は、笑えるほど夫に似ていた。

カンガルーケアをしたかったけど、(恐らく帝王切開だから)やらせてもらえず、娘は、すぐに保育器にいれるため、新生児室に連れて行かれる。

娘が私の横を通りすぎたあと、胎盤を出したり、内臓を縫合したりと後処理を先生がしてくださり、手術は14時前に終了。部分麻酔といえども自分で動くことはできない私を看護師さん3人で抱え、経過観察室に移動させ、ベッドに寝させてくれる。私みたいに身体の大きい患者をベッドに乗せるのは大変だろうと思い、申し訳なく感じる。

産院の決まりにより、母子に何かあったときのために、夫は13時から駐車場に待機していたが、少しすると、看護師さんから「旦那さんに、手術終わったことを伝えましたよー」と言われ、安心する。

その後、強烈な眠気により意識を失い、少し目覚めては、意識を失うというのを繰り返す。看護師さんから手術当日は飲食不可だけど、アイス食べる?と言われ、ハーゲンダッツのバニラ味をもらう。昨晩21時以降初めて口にした水分だったけど、意識が朦朧としすぎて、美味しさを感じられず、とりあえず本能のまま口に入れる。

17時頃、服を着せられた娘を看護師さんが連れてきてくれ、私の胸のところに置いてくれる。娘は、お腹から出てきたことも分かってないような本当にぼんやりした表情で眠っていて、私も意識が朦朧としているので、なんだか夢の中にいるような不思議な感覚になる。急いで、夫にテレビ電話をかける。

その後、あっという間に娘はまた新生児室に戻され、私は段々と麻酔が切れ、お腹に痛みを感じるようになる。意識を失い痛みで目が覚め、追加の痛み止めを打ってもらいまた、意識を失い痛み止めを打っては、寝て、痛みで起きて、また痛み止めを打って寝て、何度も繰り返し、朝を迎える。

看護師さんが来るたびに尿を捨ててくれる。カテーテルから出ているので、まったく尿意を感じていないが、大量に溜まっていてびっくりする。恐らくずっと何かしらの点滴をしてるからだろう。

帝王切開翌日

看護師さんから、今日から尿道カテーテルを抜き、自分で歩いて観察室から病室に行くように指導されるが、歩けるどころかベッドから起き上がることさえ、絶望的な痛みでできない。介助ベッドのリクライニング機能で身体を持ち上げるのでさえ痛い。はやく動かないと、臓器癒着や血栓などの後遺症につながると脅される。後遺症怖い、でも痛い。

10時頃、娘が連れてこられ、初めての授乳をする。やっと会えたね。娘。相変わらずぼんやりした表情の娘。宇宙人みたい。午後からはもう会えないらしく、寂しい。身体を回復させるのが先なのでしょうがないけど。

お昼に全粥を食べる。2日ぶりの食事なのに、食欲ないし、ぜんぜん美味しくない。

結局歩くことができないので、午後から車椅子で病室に連れて行ってもらう。観察室にいたときは、何度も看護師さんが様子を見にきてくれたけど、病室では完全に1人になり不安。腹筋が使えないので、起き上がれない、たちあがれない、屈めない、何もできない。ベッドはリクライニングになっているが、60度くらいまで角度をあげても、最後の最後、起き上がることができない。リモコンを床に落としまったときは絶望感しかなかった。

便器に座るのも大変だが、術跡の痛みでトイレットペーパーで拭くのが大変。

今まで気がつかなかったけど、日常生活で何をするにも腹筋を使っているみたい。

コロナのせいで、お見舞いも来てもらえないし、孤独。不安と痛みで何度も泣く。夜になっても、痛みで眠れない。やっと寝ても、自然と寝返りを打とうとしてしまい、激痛で何度も目が覚める。ツライ。

入院3日目

昨日よりは痛みが和らぐ。食事は、夕食から普通食に変わる。4階の病室から3階まで腰の曲がったおばあさんみたいによろよろ歩いて、診察を受ける。先生に悪露の状態と術後の傷跡の状態を見てもらい、明日からシャワーをしてよいと言われる。妊娠してから、妊娠性の掻痒に悩まされていたので、お風呂に3日も入れず、身体がかゆくてかゆくて仕方がない。娘が病室に連れてこられ、10時と14時に授乳をする。相変わらず、宇宙人みたい。かわいい。夜、夫とテレビ電話をして泣く。痛みと不安で全く眠れず朝になる。

入院4日目

朝起きて一番に念願のシャワーを浴びるが、貧血でフラフラになり、調子が悪くなる。かがんだり、振り向いたり、できないので、身体も十分に洗えなかった。娘が日中3回授乳に現れる。かわいい。

入院5日目

今日から新生児室にある授乳室に行って授乳をする。だんだん腰を曲げる角度が少なくなり少しずつ歩きやすくなってくる。帝王切開でない産婦さんたちは、出産の翌日からこの生活をしているみたい。みんなでおっぱい出して授乳している姿は結構異様で平和な光景。

入院6日目

外来診療。半抜糸をしてもらう。先生に「半分抜糸をしたんだから、もうよろよろ歩くな!」と言われる。相変わらず口が悪い。はじめて娘の沐浴をする。傷跡が痛すぎて、長時間立てないし、かがんだりできないので、地獄のような時間だった。沐浴途中で「しんどい、痛い」と助産師さんに訴えるが、相手にしてもらえない。

入院7日目

退院日。家に帰れる嬉しさと育児に対する不安で、昨晩からそわそわ、なんとも言えない気持ちになる。しかし、朝いちばんの外来診療で娘の黄疸数値が高いことが判明し、私だけ、午前中に退院し、娘だけ夜まで治療のため、入院延長に。やっと娘と夫が対面できると思っていたので、残念。

夜7時のお迎えまで、家に帰ってから爆睡する。母に休息の時間を与えてくれてありがとう、娘。ちょうど初七日の日で、仕出し料理の配達をお願いしていたので、娘不在のまま、夫と二人で娘の誕生をお祝いする。

7時になり、娘のお迎えへ。娘は、生まれて初めて外の空気に触れる。とても感慨深い。娘とともに、家に帰る。妊娠中、何度も、夫と、娘の顔や性格、娘と暮らす日々を想像して話をしてきたが、やっと現実になる。これから3人での生活が始まる。相変わらず、何が何だかよくわからない表情をしている娘。今、私が育児放棄してしまったら、恐らくすぐ消えてしまう小さな命を目の前に、プレッシャーを感じる。頑張ろう。














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