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いつだって靴を買ったら自分が新しくなるという話。

今日は、効率よく最低限のもので生きていきたい私の「モノとの話」でも。

世間が新型コロナウィルスの流行に混乱する少し前のこと。
私は友人に誘われて、銀座ブルガリビルの屋上テラスで開催されたカンパリレッド・ナイトパーティに参加した。
パーティに慣れてないので、少し腰が引けていた私だけれど、この時は私の友達筋にも声かけていいよ〜と言ってもらっていたので、戦友2人に声かけて、ドレスコードの赤いワンピースを身に纏い、慣れないパーティ会場に足を踏み入れた。
私はこのパーティ開始時間直前に、有楽町ルミネでChieMiharaのハイヒールを手に入れて、そこまで履いてきた靴を配送に出し、あたらしい靴を履いてパーティー会場に出かけた。
スエードも革の風合いも大好きで、ヒールも太いので歩きやすく、長時間のパーティでも疲れない。足が痛いと引きつりがちな笑顔も、終始穏やかな気持ちとともに社交的なスマイルでいられたと思う。

これまた数年前のこと。
外苑前で開催されたポーラ美術館の企画展「Modern beauty展」スペシャルトークイベントに参加したときのドレスコードはピンク。
私はこの展示に参加する直前に、ダイアナでピンクのクロコダイル型押し、すぐ足が痛くなる私が活用できる機会はほぼ皆無の8cmヒールパンプスを買い、履いてきた靴を放るがごとく自宅配送に出し、新しいパンプスを履いて出かけた。
トークイベントはとても楽しく、この靴はそのイベント最中も、後に参加したパーティや会食でもずいぶん褒めていただいたし、この靴が目に入ると不思議と背筋が伸びて、少しは自分に自信が持てた。

去年、オーケストラの「第九」公演に出演させていただいたときのこと。
ステージ用シューズを新調したいモチベーションがMaxになり、リハーサル最終日が終わったその足で新宿へ。
ルミネ→伊勢丹→マルイとハシゴして、ようやく足が痛くなりにくそうな黒のパンプスをゲット。翌日の公演で初下ろしした。
常識ある音楽家だったら、一回くらいリハーサルで履いて慣らしておいたほうが良いと言いそうなものだけれど、私はゲネプロで靴を履き替えず、本番でいきなり新しい靴に足を入れ、無事公演を終えた。
不思議と足がステージの床に張り付くような、そして裸足のような心地よさを感じたし、最初から最後まで集中が削がれることもなく、安定したパフォーマンスでいられたと思っている。

靴を買う=走り出す

私にとって新しい靴を買うという行為には、エネルギーが伴う。
ヒヨコが殻を破るような、生まれてすぐのバンビが走るような、超新星爆発のような。
不安や劣等感や、それまでの好きじゃない自分をすべて吹き飛ばす勢いで、全力でなりたい自分に向かって走り出したい気分になることがある。だから私は、そのときの心も体にぴったり合う靴があれば、迷わず買う。

私が靴に関してのエネルギーを無視できないのは、多くの女性が一度はこの言葉を胸に新しい靴を買ったことがあるだろう、コミックス「花より男子」2巻の有名なセリフに影響されている。

とびきりいい靴をはくの
いい靴をはいてると
その靴がいい所に連れて行ってくれる

私の場合、靴に連れて行ってもらおうというよりは、靴はもはや走り出し飛び立つためのジェットエンジンだ。
レビデトが常にかかってるくらいが丁度いい。
ジェットエンジンを買うのだから、買う時も
「私は今ここから新しい道を走り出すんだ」と、とても鼻息が荒い。
そして新しい靴を買ったらすぐ、高揚したままイベントごとに向かうのだ。前もって準備しておくことはほぼ無い。

そんな「なりたい自分に向かって一目散に走れる靴」が、途中で痛くなって長く愛用できなかったとしても、無駄な買い物とは思わないことにしている。
以前の靴が痛くなるというのは自らの体の変化によってもたらされることでもあるから、その時その時の靴へのモチベーションは、自身の変化の時を教えてくれる大事なシグナル。
たくさん歩きたいときにぺたんこの靴が欲しくなったり、アイラインをしっかり引いて気持ちから攻めていきたいときに先が尖っている靴が欲しくなったり、少し顔がふっくらしたら丸みのある靴が欲しくなったり…

物事の効率化やモノの断捨離が日々の習慣になってから、私は自分の心と体の変化を見逃さなくなった。そして靴は、髪型やメイク、服と同じくらい自分を新しくしてくれるものだと知った。

新しい靴が欲しいと思ったなら、それは変化の時。自分の心と身体のシグナルに従って新しくしたら、あとはもう振り返らずに新しいほうへ歩き出すだけ。

道はいつでも、その靴を履いて歩いた後ろにできるのだから。



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