見出し画像

朝書くコラム 2021/01/27

おはようございます、アテネはいま午前7:50。本日はアテネの朝に照準をあてて、朝書くコラムとさせていただきます。

これはTwitterに書こうと思ったけどこちらに書こうと思い直した話なんですが。

例えば、会社の経営がマジでやばいのに、その話には軽く触れるだけで特に軌道修正のプランもなく、給料だけが削られ、周年パーティに予算注ぎ込もうとウキウキしてる定例会があったら、ボイコットしちゃうし、辞めたくなるよなあ。国民は辞めれないからキツい。

という内容。Twitterでは文字数パツパツだけど、noteに書くとシンプルに見えるのは不思議ですね。最近、ラジオではよく国会の音声を放送してくれるんですが、音声だけだと余計になんていい加減な答弁をしているのかが分かってしまってキツい。

映像でみると国会の荘厳な内装と、議員の風態に誤魔化されて理屈が通ってるように...いや、理屈は通ってないけど、なんか大変なんかな、とか余計なこと考えちゃうけど。音声で聴くと、そういう余計な情報がなくて、ジャストその人の答弁や言葉だけが耳に入るから「え?めちゃめちゃ適当なこと言ってるな?」というのが映像の倍以上のスピードで判断できる。

討論をすることって全く悪いことではなくて、さまざまな見解をミックスしたり、その中で揉むことで答えが出る。それが結局、結論が同じことだとしても、必要。
その中の疑問を討論の中で一つずつ潰していくことが大切なのに、それをする人も、それをみる人も、討論すること=責めることだと思ってるフシがある。

私の場合、討論する、対話することができない人や場所や交友関係があったら、すぐさま抜ける。けど、国からはなかなか抜けられないから本当に困る。

私はネコとパートナーが安心して暮らせれば良い。好きな街や馴染みのお店が安心して休めて、また楽しくご飯が食べれる日々が戻って来れば良い。好きな落語や音楽に関わる人たちが集中して練習できて、またライブハウスや寄席で会える日が来れば良い。そして、体のちょっとした不調や不安を、気軽に相談・診察してもらえる日が、また戻ってきてほしい。

勝ち負けとかは考えてなくて、とにかく安心できる状況に一刻も早くなるといいのに、と思ってるだけなのよ。

別に、派手なパーティなんて必要ない。また元に戻れば、日々がマジのパーティだったんだなって実感できると思うから。

日々のなんてことない最高の日々が私たちの手元に戻ってくるように、一緒に考えてくれればいいのになと望むことは、そんなに難しいことなんだろうか。

いただいたサポートは文化・娯楽へすべて注ぎ込みます