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しながわ水族館の思い出

【しながわ水族館に行った】

小学校低学年のとき、しな水のお絵かきコンクールで、ユーモア賞をもらった。ゴマアザラシの絵だった。

そのときはユーモアの意味が分からなくて、お母さんに聞いたけど、どう説明されたかはよく覚えてない。中学生ぐらいになって、ユーモアの意味をちゃんと理解したあと、改めて「どんな賞だよ....」と思った。


小さい頃から何十回も訪れているであろう、しながわ水族館。久しぶりに行ったら、ちょっとだけ新しい施設ができて、けどローカルさはそのまま。イワシもぐるぐる回ってた。

アザラシは40年生きるらしい。新設されたアザラシ館には、伸び伸びと泳ぐアザラシたちがいた。あのとき描いたアザラシは、まだ生きてるのかな。名前も忘れちゃったし、かれらのプロフィールも見忘れた。

あとにも先にも、絵で賞をもらったのはあれだけ。絵を描いても、いつも誰かのほうが上手くて、誰かと比べてしまった。7年ぽっちですでに芽吹いた卑屈さ。今思うと可哀想だけど、今でもその卑屈さは私を支配してる。

けど、この賞をもらったとき、初めて、私が好きで描いた絵が認められた気がした。褒めてくれる人はいたけれど、知らない人が私の絵を見て、まったく贔屓無しに、賞をくれたことが嬉しかった...んだと思う。

あのとき、ユーモア賞をもらってから、私のなかでユーモアという言葉はとても大切になってる。たぶん、今描いている絵も、言葉も、人柄も。
あのとき、ユーモア賞をくれた人は、もうあの絵を覚えてないだろう。私もあんまり覚えてない。けど、本当にありがとうと思っている。


(ここから下がインスタには載せていない、より卑屈な部分)

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正直、絵なんて誰でも描ける。すぐ始められる。ペンと紙があればどうにでもなる。上手な人も、いいかんじな人も、たくさんいる。
それを毎日、雑誌や、本や、ネットで目にすると、どうしようもなく妬ましい。なんでこんな線が描けるんだろう、なんでこんな構図が思いつくんだろう、
なんで、なんで、なんで。

私はずっと絵を描いていたはずなのに、私がずっと越えられない壁を、サクッと飛び越えていく人たち。
こっちは必死でしがみついているのに、なんで、こんなに楽々と乗りこなしているんだろう。軽やかに、伸びやかに。

それぞれが練習を重ねて、研究を重ねていることぐらいは頭で理解してる。けど、どうしても、そういうふうに思ってしまう。
絵を描くことに、もっと早く折り合いをつけていたら、違う道を全うして、不安定な暮らしをせずに済んでいたかもとすら、考える。

けどどうしたって、手離せない。手離せたと思っても、手元にペンと紙がある。
チラシの裏、ノートの端っこ、ホワイトボード、ボールペン、マッキー、鉛筆。どこまで逃げても、ペンと紙はどこにでも現れる。

一生、イラストなんかで食える日は来ないかもしれない。一生、これは大作だ!と思える絵は描けないかもしれない。一生、誰かの絵に嫉妬しながら、卑屈な気持ちを捨て切れないかもしれない。

けどもう、私にはこの、いつ沈むかも分からない、けど大事な大事な執着しか、残っていない。

そして、しな水に飾られたゴマアザラシの絵を、お母さんと見に行ったときの、あの誇らしい気持ちが、この執着の始まりなんだと思う。

もう一度、自分で誇らしく感じられるような、そして、身近な人に喜んでもらえるような、あるいはちょっと笑わせられるような絵を、一枚でも、多く描けたらいいなって。そのとき、思ってしまったのかもしれない。


おわりに

冒頭で、どんな絵だったかあんまり覚えてないと書いたけど、描いてるときのことは、ちょっとだけ記憶がある。

とにかく、ハガキサイズぐらいの用紙に、アザラシの肌の柄を、水槽の青さを、クーピーでゴリゴリ塗った。あのとき、私は誰の絵も意識せず、自分の納得のいくまで、クーピーをすり減らし、ゴマアザラシを描いた。水槽はなんなら深海くらいの青さになっていた気がするし、ゴマアザラシの斑点は、塗りすぎて紙の表面がツルツルになっていた気もする。




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