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朝書くコラム 2021/07/27

昨日の朝の話

アートボード 1@3x

昨日はいつもより早起きをして、撮影のお手伝いに向かった。
ちょっと早く出たので、いつもはバスで向かう駅まで歩いてみようと思い、片道30分くらいの一本道(本当にまっすぐなのだ)をテクテク歩く。

noteにどうしようもない開会宣言?なのか、決意表明を書いて色んな人から連絡をもらった。それのほとんどは好意的な内容だったけど、たぶんそうでない人もいるだろうな、なんて自分では気にしようのないことを考えていた。

それはさておき、いや、さておかないほうがいいが。連絡をくれた友達、マイケルから聴いたおすすめのミュージシャンを聴いてみる。この友人は昔からラテンが好きで、最近は
Karol G/Maluma/Bad bunny /Rauw alenjandro/Camilo
を聴いてるらしい。本人曰く「最近の彼らの曲が最高!ストレスがなくなる!!」とのこと。私はこの友人の明快でハッキリとした言葉選びがけっこう好きだ。バイト中、1回は絶対にこっそり踊ってた。ちなみにバイト先は雑貨小売店。

Karol G


いきなり全部を聴くことはできないので、Karol GをApple musicで検索し、ベタだけど『はじめてのKarol G』をプレイ。もっと陽気なかんじかと思いきや、一定の早くも遅くもないリズムとメロディに耳心地のいいスペイン語。(スペイン語じゃないかもしれない) 彼女の出身地、コロンビアの公用語がスペイン語だからというだけでスペイン語で聴き取っている。いいかげんだしとても失礼だなと思う、思うことが免罪符にはならないのもわかっている。

プレイリストの紹介文に、「世界中にレゲトンシーンの新時代を告げる彼女の存在感とサウンド」という文言があった。(全文はリンクで確認してください。)レゲトンとはヒップホップとラテン音楽が融合したジャンルのことらしい。この世には知らない言葉がたくさんある。

聴き続けていると全身がこのリズムに則って動いていくような感覚になる。最初に送られてきたとき、私はてっきり全部アッパーで、クラブなかんじで、ゴリゴリな音楽(音楽に対しての語彙力の無さが露呈)なのだと早とちりしていた。

けれどたぶん、どうやら聴いていると違うっぽいことがわかってくる。音楽を表現する言葉をあまり持たないので、例えるなら似ている体験はなんだろう...と考えてみると、例えば裁縫や料理への没頭にも近いかもしれない。一定のリズムが体とシンクロして、没頭していく感じ。ストレスが飛ぶってこっちのことか〜、という発見が嬉しい。体のパワーを集めて発散・爆発させるというより、ならしていく感じ。紙をトントンと机で叩いて、揃える感じ。身を任せ続けることで、静かに自分が溶けていくようなかんじ。
こういう身体性とすごく近い(と勝手に思った)音楽がメインストリームで作られているって不思議だ。踊ることが前提で作られている音楽、という感じがする。踊り続けるためのリズム、溶けていくためのリズム。これは私が歌詞を聴き取れないだからかもしれないけれど。

川崎大師仲見世


聴きながらなんとなく、川崎大師仲見世のとんとこ飴屋さんを思い出す。道中にこの「とんとこ」音がずっと響いてることで、ちょうどいいテンションでお参りと買い物ができる。
コロンビアにも、ましてや南米エリアに一度も渡航したことがないからわかんないけれど、Karol Gは川崎大師仲見世を歩いたらどんな反応を見せるだろう。そんなに親和性ないのかな。
とか思って実際にyoutubeで観てみたら、そんなに遠くもないが、そんなに近くもない気がしてきた。身体性がある、という大枠は一緒かもしれない。取り留めのない脳みその放浪。

そんなことを考えていたら駅に到着。小気味良く、安定したリズムで歩いたからか、Google mapの予測よりもちょっと早め。
電車の揺れに紛れるくらいで小さくレゲトンのリズムに乗る。たまに車内の液晶パネルを見上げてリズムを誤魔化す。電車の走行音(ガタンゴトンと言われるやつ)がたまに音楽と同化して、マスクの下でちょっと笑う。あ、もう到着だ。

ストレスを「発散」する

ストレスを発散する、という表現はいつから使われているんだろう。発散という言葉を辞書で引くと、「外部へ散る(散らす)こと」(昭文社国語実用辞典)と書いてある。この言葉のニュアンスから、なんとなくストレスって体に溜まっていって、外へ出すこと(デトックス)により解消されるものとして捉えていた。

けどこのKarol Gを聴いていると、ストレスって「鎮める」ものでもあるよな〜となんとなく思い出す。
ストレスによって自分の中のリズム(なんか曖昧だけれど、バイオリズム的なものなんだろうか)が乱れている状態を、一定のリズムとテンションを保った音楽に体を揺すことで、乱れた波形を戻していくような。

別にだから何ってわけじゃないんですけどね。けれど、そういうストレスとの付き合い方が音楽に組み込まれている文化っていうのは純粋に羨ましい。体を揺らして、リズムに溶けることで自分を整える。日本語で「整える」という言葉を使うとどうしても整頓したり、きれいにするイメージがついちゃうけれど。なだらかにする、のほうがいいんだろうか。これでも優しい表現になっちゃうか。
イメージとしては、プリンやケーキを焼くときに、最後に少し持ち上げてトントンと落とし、空気を抜くような動作。あれは優しすぎても意味がないし、とはいえ強すぎても容器が痛む。やりすぎない思い切りのよさが必要で、それが美味しさに繋がるような。何言ってんだってかんじだけど、聴いてみたらちょっとわかってもらえると思う。

そんなことを考えながらまた、灼熱の太陽を浴びながらスタジオまで歩く。暑さとも相性がいいから、なんかどこまででも歩いていけそうな気がしてくる。行ったこともないコロンビアについて思いを馳せながら、私は西東京を闊歩している。もちろん、ちっちゃくリズムに乗りながら。


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