見出し画像

ありがとうが循環する社会になりたいな。

日ごろから誰かに対して抱く「ありがとう」の気持ちが足りなかったら。感謝の「か」の字すら誰も言わない世界になってしまったとしたら。

「ありがとう」も「お疲れさま」も、労いの言葉すらこの世から消えてしまったとしたら、どうだろう。


想像するだけでゾッとするよね。
わたしは、受け取るすべての情報を「ありがとう」って思えてるのかな?
立ち止まって考えてみたことがある。

小さなことだけど、
「朝が来ること」「明日と結ばれていること」
「喧嘩しても相手と仲直りできること」
どれをとっても「当たり前」なんかじゃないはずなのに、わたし達は自分にとって都合のいい情報ばかりを集めたがるんだよね。

「わたしがあの人に怒ったのは、相手に悪いところがあるから」

「だから、わたしが相手に腹を立てるのは当然だ」みたいにね。

パワハラや職場いじめのような例外はあれど、大概がそうじゃないんだって。

言いたいことも、理解し合えないかもしれないことも、全てではないにせよ、言葉にすれば形になる。

「言ってもどうせムダやもん」とか、伝える相手によっては頭を巡らせてしまうこの考え方は、自分の不健康を引き寄せてしまうんだよ。

自分の考えをあれこれと言葉にすることで、大切に思っている仲間や家族を敵に回してしまうかもしれないってことは、わかる。

でも、わたしもそうだけど

「衝突なしに前には進めないんだよ」
ある人から教えて貰った。

いいことだとは思ないけど、健康的なことなんだよと、その人も言っていたっけ。

お互いをわかりあうまでの工程がいくつあるかは、あなたと相手の方のみぞ知ること。

友達、親戚、家族。
関係性によって、全然違う道を歩むんだろうし、それでいいとも思う。そうでなきゃいけないよな、とも。

全員が同じとか、誰が決めたんだ思うほどに
今を生きる人たちは鮮やかな色をしているのだから。

#衝突なしに前に進むとかはないから
#喧嘩して当たり前 #当たり前という枠を外す
#行き違い #分かり合うまでの工程
#肯定 #否定 #言葉掛け


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?