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100年後の対価

今、意識が混沌としている時代だとおもう。

さなぎの中にいる状態。

新しい意識とふるい意識がせめぎあいて、

自分の周りがまだ、それには変化をみせていないという

じれったい状態。

けれど、意識の混沌さは、新しい時代の確かな源流を

感じている。

それは、今まで当たり前にやっていたこと、あったことを

必要としなくなる世界のことかもしれない。

自由さには、痛みも伴う。

そして、わたしたちが、これから迎える意識の世界には、

100年後の時代のことを考える必要もある。

今、目の前のことだけではなく、

100年先の未来にいる自分たちの子孫が、

どんな世界に住んでいるか、

どんな笑顔をしているか、

また、どんな意識を創造しているだろうかと、

今の自分の周りにある、いろんな選択肢の中で、

意識混沌とするときに、

もう一度立ち返る場所は、

自分の住んでいる世界、

これからの世界がどうなるかということを考えめぐらせることで、

さなぎの中の混沌さは、

新しい羽根の色を教えてくれるはず。

自由さには、痛みをともなう。

自分がいたい世界が、

今とちがったものを選ぶときには、

その痛みの対価は、

きっと、100年後の子供たちの子孫が、

ありがたく受け取る対価であるように。

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