⑰【裁判編】自分に問う⁈精神的被害の損害賠償訴訟の始まり&私の想い。
◎4件の訴訟についての前記事はこちら⇩
◎この訴訟についての陳述書を前の記事で公開しています⇩
◎そして、ここに至るまでの家族のストーリーはこちら⇩
兄夫婦は、父を精神病院に無理やり入院させ、その後、退院させた父を私に会わせないようにする為に、どこかへ隠した。
それで、捜索願いまで出して探した私は、
結局、父と会えぬまま父は亡くなった。
この時、父の死の知らせを聞いた私が受けた
精神的ショックは、その場に立っていられないほどひどかった。
父に会えなかったこともショックだったが、
それ以上に、血の通った人間がすることとは
思えず…
肉親である兄が、妹に対してやった、
この信じられないような行動にもかなり
ショックを受けていた。
でも、兄自身は悪いことをしたなんていう想いは微塵もない。
全部、人のせいにして、
自分を正当化している。
これはダメだ!
こんなひどいことをしておきならが悪いと
思わず、この先、このまま生きていったら、
兄はロクな死に方はしないだろう。
そう思った。
でも、そんな奴のこと心配するのもバカバカ
しいし、放っておけばいいじゃん!っていう
気持ちもあったけど…
私は、父の残した「兄を頼む」という言葉を
どうしても無視できなかった。
だが、私は
「戦う」ということが
大の苦手である。
これまでの人生の中でも、私が謝って丸く収まるのなら謝るし、戦うぐらいなら相手の言い分を通してあげて、身を引くほうがいいという
生き方をしてきた。
そんな私に弁護士が、
「お兄さんの行動に対して裁判で戦うには
精神的被害を受けた損害賠償請求という形になります」と言う。
法律を使って裁判をする場合は「ひどい、悔しい、悲しい」などという感情論は通用せず、
全て、こういった法律を使った形で解決を図ることになるらしい。
私は、訴訟に踏み切るまで、少し頭を整理する時間を持って、自問自答を繰り返した。
●「戦う」という意味においての訴訟を行う
ことは自分の生き方に反していないか?
●兄に対する「憎しみ」に基づいた戦いを
しようとしていないか?
●本心から”兄を更生させたい”という、
愛の気持ちを持って裁判に臨むのか?
●自分のエゴを満たす為に戦おうと
していないか?
●後から「やらなければ良かった」と
後悔しないのか?
自分の中に湧き上がる多くの問いを、何度も何度も自分に聞いていく。
このような、重大な決断をする時は、本当の
自分の想いを知るためにも、じっくりと時間を
かけ慎重に進めることが大切だ。
そして、全ての問いに対して
” YES”
という答えを自分の中から受け取ったとき、
私は、訴訟を提起することに踏み切った。
決めたからには後には引けないし、やるからには全力で最善を尽くそうと決めたのだが…
裁判なんて今まで経験がなかったから、
不安も大きい。
今、振り返ると
”知らぬが仏”
自分の想像より遥かに大変だということを、
知らなかったからできたんだなぁ〜って思う^^;
イバラの道を進むということは、血を流しながら歩んでいくということだ。
この決断によって、裁判という線路に沿って遠出をしていくことになる私。
その頃の私に、今の私から ”がんばれ〜”と
叫びたい😆
次回は、
裁判の具体的な進め方を書こうと思います🖋