校長に「犬」 扱いされた息子の暗黒時代〜から留学という選択へ✨
写真は、犬扱いされた息子。
大人になって羽が生えました😆
トトロが出そうな熊本のド田舎から、東京の学校に転校してきたのは小学6年生の3学期。そして、そのまま地元の公立中へ。田舎の学校では
のびのびと楽しい学校生活を送っていた息子が、東京の学校では先生からのいじめのターゲットとなり、校長は「田舎で野放しだった犬も、都会にくれば鎖につないておかないといけませんから」とまで言い放った。
息子は個性が強く、皆んなと同じことが出来ないことは確かだけど…はみ出しものは切り捨てるの?って本当に学校関係には失望の連続だった。私は自分で書類を作り法務局まで乗り込んだことも。(この話は別の章で書いてます✍️)↓
このままだと息子の個性も人格も否定され潰されてしまう…と感じた私は、考えに考えて中学3年の終わりからニュージーランドへ留学させることを決めた。彼がもっと自分らしく泳げる池を探すために…。でもその当時は留学資金なんてどこにもなかった。しかも、訳あって親の援助などは全く受けられない状況だった。
当時、経営していた会社の資金が底をつきそうになり、心労で女性の月のものまで止まったことも(´д`ι) でも、最後まで諦めないで馬車馬の様に働いて、何とか資金を調達できた。その時はなんだか奇跡のように感じたことを憶えている。
(※資金については国の補助などもあります。)
でも、そこからも試練の連続。留学というと華やかにとらわれがちだけど、実は地味で想像を絶する大変さ。わずか15歳で親元を離れた息子は、「寂しくて胸が苦しい…なんでこんなに苦しいのかな?」と泣きながら電話をしてきた。その声を聞いている私は胸がつぶれそうになった。そして留学という道を選んだことを後悔したりした。
でも、良かったこともある。現地の先生が、いつも息子を「ラブリーYuya」と呼び、とてもかわいがってくれたので、彼の個性を伸ばすことができたことだ。泳ぐ池が変わればこんなにも変わるんだと実感した。
今の息子を見ていると、あの暗黒時代がウソのようだけど、登校拒否になってもおかしくない中学時代…息子は毎日休まず学校へ通った。中学3年の3学期から留学したため卒業式に出席できなかった息子の代わりに、証書とアルバムを学校へ取りに行き、帰宅後、ひとりでアルバムを開いた。すると、あんなに辛い中学時代を過ごしたはずの息子なのに、アルバムに映る彼の顔はどれも笑顔、笑顔✨キラキラしていた。
私はアルバムを胸に抱いて泣いた。写真の顔をなでながら「良くがんばったね」とつぶやいた。あの涙は、なんだか切なくもあり、誇らしくもありちょっと苦しいような不思議な涙だった。
どこかで鼻つまみ者になって居場所がなくなっても、必ず自分が泳げる池があるから、どんな時も失望せず色々試してみるのはとても大切。今回はひとつの例として留学を挙げたけど、他の場所もあるはずだ。そして最も大切なのは、周りの評価に振り回されることなく子供を信じ続けることだと思う。
これさえあれば、どんなことがあっても大丈夫!泥まみれの状態になっても、信じる者の手は絶対に離さないこと。一緒に泥んこになって泣いたり笑ったりすればいい。
そして、ここがダメでもあそこがあるさ〜♪って肩を組んで二人三脚で進むしかないのだよん。そして、息子と私の今がある。
自分を殺す場所に
無理に身を置く必要はない‼️
◆2013年12月3日の日記
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