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古代ローマ時代と日本文化

古代ローマ時代は紀元前27~480年頃に地中海全域で栄えた文明です。

最初はイタリア半島の小さな都市国家からはじまり、どうやって地中海全域まで規模を拡げるまでに至ったのか。

それには大きく2つのポイントがあったようです。

①誠実であった : 誠実さは信用や信頼を生み出します。戦いの際にもローマは正攻法の戦術を好んで挑んだそうです。相手を騙すような手段では戦わなかった。その誠実さの背景には強い信仰心があったのではないか、と考えられています。常に神々や先祖に恥じぬ振る舞いを忘れないこと。あらゆることをごまかさないこと。何ごとにおいてもより良いものを作るために不足しているところに気付き、補い、洗練し続ける。その時々で最善を尽くす、というような思想がローマの人々にはあったそうです。

②寛容さがあった : 寛容さは相手の主体性を引き出します。ローマは戦いで吸収した国に対して、一方的に支配し価値観を押し付けるようなやり方を好まなかったそうです。その国が持つ言語や慣習、宗教などに干渉はしなかったようです。相手国の文化を尊重することで、征服された側もローマのもつ知識や技術などを学ぼうという自らの意志が働きます。そうやって各国の主体性を結果的に発揮させることで、分割統治を実現してきた背景があります。

このような歴史がある古代ローマですが、誠実さや寛容さで征服された国の支持を得てきたことは、大東亜戦争以前の日本ととてもよく似ています。

例えば、パラオ共和国は第一世界大戦時代から日本の統治下にありました。この間に日本はパラオの人々に農業、漁業、鉱業の技術を教え食糧自給率の向上など国の発展に貢献してきたのです。その後第二世界大戦で日本が敗戦してからパラオは独立国となりましたが、その後もパラオは日本国に敬意を示すように「日の丸🇯🇵」そっくりの国旗を作り、国のシンボルにしました🇵🇼

また、古代ローマでは失敗を許容することで主体性を強化していたようです。

古代ローマ以前のギリシャ時代では、敗戦将軍になると良くても追放、最悪処刑されていたそうです。それに対してローマ時代では負けても温かく迎い入れ、これまでの苦労を労われた。そして一度負けた軍人はそれまで以上の主体性を発揮し国のために働くモチベーションが持てたそうです。

それでは、なぜ負けたことを許していたのか?

その裏には「将軍は敗戦したことで大変な社会的屈辱を受けている。だから次の戦いでチャンスを与えてやれば雪辱を晴らしたいという強いモチベーションにつながる。今まで以上の力を発揮する。」と相手を信じて許していたそうです。

時代の全盛期にはこのような形で発展を遂げ続け、最後には地中海全てを統治するまでに拡大していきました。

日本人の持つ大和魂とも繋がる古代ローマ時代の繁栄の歴史。

そして、その大原則となった「誠実さ」と「寛容さ」。

これからのビジネスや会社経営、家族関係などあらゆるシーンで活用していきたい考え方と行動ですね。

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