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母、ひたすらに泣ける日もある。

・次男のお食い初めをした。
あっという間に100日が過ぎた。
長男から風邪をもらい、ゼロゼロ咳をする日もあったのですごく心配したけれど、すっかり元気になり、100日を迎えられた。
目がしっかり見えるようになり、ご機嫌な時はすごく良く笑ってくれる。私の癒しくん。

お家クオリティでここまでできたので満足。
母が手伝ってくれた。感謝。

祖父が入院することになり、車に乗らない祖母を面会のために送迎したりと、1ヶ月ほど実家に帰っていた。
先週から自宅に戻り、久しぶりの日中ワンオペ。
あぁそうだった、めちゃくちゃ気合い入れとかないと行けないんだった。気持ちが落ち着かない。
イライラが募ってしまう。落ち込む。

頭の中がぐるぐるして何度もnoteを開いてるのに、書けない。何だコレ。

私自身が子どもたちと家で過ごすことを希望して、(それを家族として)選択したのに、
自我が芽生え始めた2歳児と、息をしてるかも心配になることがある0歳児。
自分が思うように子どもとの時間を過ごせないこと、これがすごく苦しい。

今、長男はまさにスポンジのような時期で
ぐんぐん何でも吸収してるのが見てとれる。
身辺自立から、粘土や絵の具などの造形、家庭菜園での食育、日常から特別なことまで
ありとあらゆる体験がとっても重要。

伝えたいことはたくさんあるのに、
ベビーが泣いていると子どもにさせてあげることが出来ずに、ついつい私が終わらせてしまう。

余裕がないので、ついイライラが先行して怒ってしまう。

もう本当に辛い、、。

というところで、さらに夫と喧嘩。
ただひたすらに泣けた。

よく考えると、誰も悪くない。

余裕がなくて、疲れてしまった。ただそれに尽きる。

自分で望んで
子どもを授かり、手元で育てているのに
辛いと思ってしまうことを、
私自身が受け入れられない。

次の日の朝には仲直りできたし、
たくさん泣いた分気持ちも落ち着き、
昨日は穏やかに過ごせた。

子どもたちのことは何よりも大切なのに、
辛い辛いと叫びたくなる子育て。
毒々しい気持ちに苛まれてしまうこもある。

それでも、
長男はお土産を買って帰ってきたパパに
「どーなちゅ かってくれて あじがと」
と自ら言える。
寝る前に「まま だいちゅき」と伝えてくれる。
トイトレもほぼ終わったし、
エプロンなしでもご飯を食べれるようになってきた。
子どもはちゃんと育っている。

きっとこれからも状況は変わらないし、
辛くなることも必ず来る。
それも仕方ない。
私の目指すものや、子どもたちに対する考え方や思いを見直していかないといけないのかもしれない。

今日は長男「ぱんやたん いきたいなあ〜」
とパンを買いに行くことをリクエストされたので、応えた。
空の袋を持って、満面の笑みで、炎天下を自分で歩いて行った。
「くまたんのぱん おいちいねぇ」と言いながら満足気に食べていた。

長男の笑顔を見れて嬉しかった。

ただその気持ちだけで十分なのかもしれない。

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