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気が休まる場所がない

父親から金をせびられていたとき母親はなんにもしてくれなかった。父親が金が無い時は母親にも金を出せと言われた。母は父に絶対服従。私が父を馬鹿にするようなことがあればビンタされた。それが母親が愛した父への愛情表現だった。父は私の金を返すからと持っていった。その金でご飯を買ったりガソリンをいれたりギャンブルをしたり夫婦で外食をしたり思い思いに使っていた。もちろん金は返ってくるはずがない。印象に残っているのは父に金を貸した際、母が同じ雑誌を何冊も買っていたことだ。「なにしてるの?私の貸した金だよ?」と聞くと「付録が欲しかったから」と答えた。付録を何個もストックしたくて買ったそうだ。わたしはそれに我慢ならず怒鳴りつけたことを覚えている。これはまだまだ序の口で

父親が働いていないのに羽振りがいいときがあった。なんで働いていないのに金を出せるんだろ。消費者金融から借りてるのかな?なんて疑問を持ちながらも美味しいご飯が食べられるので聞かずにいた。

私はタンス貯金をしていた。引き出す際に手数料がかかるのが嫌で本棚の後ろに札入れを隠し出かける時に両親にバレぬよう抜いては出かけていた。

ある日出かけようと札入れを見ると入っているはずの3万円がごっそりなくなっていた。わたしは悟った。ここから金を抜いてなに食わぬ顔をして私に食料を買い与えていたのだと。怒りに震えて涙が止まらなかった。母親は私が隠しているのを察し父親にリークしたのだ。私はまたも両親に裏切られたのだ。

もちろん遊びはキャンセル。金が無いのに遊びには行けない。

外で草抜きをしていた父親に詰め寄った。

「私ばっかりなんでこんな目に遭うの!もう死にたい!」すると父親は「死にたいなら死ねばいい」と怒鳴りつけたのだ。ここで死を意識したのは間違いない。

思春期にこんな目にあったら、両親にこんな言葉を投げつけられて平気な子はどこにもいないと思う。

自分の家なのに両親は泥棒で気が抜けない毎日を送る私が壊れていくのは時間がかからなかった。



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