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GWは古墳と陵墓へ (京都、橿原市、明日香村)

昨年の11月、百舌鳥・古市古墳群の古墳を44基訪れた、古代史好きな我々。

前回の記事はこちら↓

次の目的地として設定したのは、古墳時代初期から飛鳥時代までの古墳の宝庫そして江戸時代の天皇陵が存在する京都と奈良。

※あくまで個人的な感想と知識をもとにした記事となっております。あらかじめご容赦ください。

1日目 京都

ゴールデンウィークなので混んでいたのではないかと懸念をしましたが、そもそも古墳や陵墓にわざわざ赴く人は少ない&土砂降りでほぼ貸切状態で訪問することができました。
2Daysで奈良の古墳を攻めるはずが、雨だったので京都の陵墓や陵墓参考地に行き先を変更。多少寒いながらも効率良く回れたので全体的に満足度高く終わりました。

泉涌寺

京都東山区に位置する泉涌寺。一見お寺なので陵墓との関連性は薄いと感じるが、実は皇室と関係性の深い御寺です。

御寺 泉涌寺
あまりにも土砂降りで境内で誰ともすれ違わなかった
大門を通ると、仏殿が坂の下に見えて荘厳。

このお寺の中の少し入り組んだ奥にあるのが月輪陵(つきのわのみささぎ)
古墳ではなく、孝明天皇(明治天皇の先代)までの天皇と皇族の陵墓となっています。大きな古墳のほとんどは一つの古墳につき、一代の天皇の墓と指定されていますが、江戸時代の天皇の陵墓はこの月輪陵とその後に訪問する深草北陵に祀られています。以下月輪陵に陵墓がある天皇↓

108 "後水尾天皇
ごみずのおてんのう"
109 "明正天皇
めいしょうてんのう"
110 "後光明天皇
ごこうみょうてんのう"
111 "後西天皇
ごさいてんのう"
112 "靈元天皇
れいげんてんのう"
113 "東山天皇
ひがしやまてんのう"
114 "中御門天皇
なかみかどてんのう"
115 "櫻町天皇
さくらまちてんのう"
116 "桃園天皇
ももぞのてんのう"
117 "後櫻町天皇
ごさくらまちてんのう"
118 "後桃園天皇
ごももぞのてんのう"
119 "光格天皇
こうかくてんのう"
120 "仁孝天皇
にんこうてんのう"
121 "孝明天皇
こうめいてんのう"

陵墓や陵墓参考地に必ずある看板。
今まで見た中で1番多くの皇族名が連なっている。圧巻。

陵墓としては珍しく仏塔が建てられていて、門の外から少し見えます。

一般的な陵墓の拝所と違う雰囲気が漂う月輪陵
目を凝らすと仏塔が奥に見えます

泉涌寺は今まで見てきた陵墓のある場所の中で1番威厳があって、とにかく親友と感動していました。大雨だったのも気にならないくらい集中して境内を散策しました。

明治天皇伏見桃山陵

依然として大雨の中、明治天皇伏見桃山陵へ。
桃山御陵前駅で下車してからタクシーで向かいました。参道が非常に長く、心折れそうになりながらも到達して我々の目の前に現れたのが、こちらの階段。

やはり、人生、試練の連続、簡単に見たいものが見れるなんて思っちゃいけない、大丈夫、大丈夫、私たちなら行ける!と鼓舞しながら、後ろを振り向かずに、登りきりました。靴がバケツ状態になるくらいの大雨で、一歩間違えれば転げ落ちそうになりながらも…

そして現れたのがこちら↓

明治天皇伏見桃山陵

明治天皇以降の天皇陵は東京にあるため、関西に位置する現時点での1番新しい陵墓(陵形: 上円下方)。並んで昭憲皇太后伏見桃山東陵もあります。

桓武天皇柏原陵

桓武天皇の陵墓である柏原陵(かしわばらのみささぎ)は伏見桃山陵の北西に位置していて、参道を通って行きます。この道が本当に長かった…! シャワー浴びたんじゃないかというくらいずぶ濡れになりながらもなんとか到達。

桓武天皇柏原陵

平城京、長岡京、平安京の遷都で馴染み深い桓武天皇陵。陵形は円丘。

深草北陵

伏見桃山陵や柏原陵から北に進み、藤森周辺の深草北陵へ。深草北陵には、先述した月輪陵以前の天皇が眠る、2番目に集中している天皇陵です。近くにある深草陵は訪問することができなかったのが心残り。

深草北陵
御深草天皇から後陽成天皇までと他皇族の陵墓
月輪陵まではいかないものの、相当な並び
これもまた少し特色のある拝所

本当はあの枯山水で有名な竜安寺にある陵墓も訪れたかったのですが、大雨で体力を消耗したため1日目はこれにて終了。古墳時代の大型の古墳を多く回っていると、一箇所に複数人が埋葬されているものは少なく(小ぶりな墳丘墓や横穴墓を除く)、時代が新しくなればなるほど合葬の文化が広がっていくのを看板からも感じました。

2日目 奈良 橿原、明日香村

1日目の大雨から一転、2日目は快晴。1日目の夜に急に呼び出した友達も合流して3人で橿原神宮前まで大阪から向かいました。橿原神宮前でレンタサイクル(電動じゃない)を借りて準備完了。途中パン屋に寄りながらまずは畝傍山の近くの陵墓を目指していざ出発!

神武天皇畝傍山東北陵

橿原神宮前から北西に進んだところに位置する、神武天皇畝傍山東北陵。流石に初代の天皇陵だけあって、参道も長めで綺麗に整備されていました。レンタサイクルでわざわざ来る人はあまりいなさそうですが、1日目と比べると圧倒的に参拝者が多くいました。

神武天皇御陵
陵墓ごとに鳥居の数が違うのはなぜ?

綏靖天皇 桃花鳥田丘上陵

神武天皇陵からさらに少し北の綏靖(すいぜい)天皇陵へ。綏靖天皇は初代神武天皇の後に即位した第二代天皇です。神武天皇陵と比べると規模は小さめ。山道は短めで入ってすぐに右に直角に曲がると鳥居が見えます。

綏靖天皇陵
他の陵墓とほとんど変わらない作りの拝所

安寧天皇 畝傍山西南御陰井上陵

安寧(あんねい)天皇陵は畝傍山御陵をぐるっと回った西側にありました。到着までの奈良の田舎道が最高でそれだけで訪れた甲斐があるような場所。安寧天皇は綏靖天皇の次の第三代。急坂を登って道路に面した場所にありました。

安寧天皇畝傍山西南御陰井上陵
拝所の向きが少し曲がっていて興味深い

珍しく鳥居と最初の柵の部分が直線で繋がっておらず、少しずれていて特色を感じました。

懿徳天皇 畝傍山南纖沙溪上陵

懿徳(いとく)天皇は安寧天皇の次の第四代天皇。安寧天皇陵のすぐ近くで、安寧天皇陵と比べると比較的広めでした。綏靖、安寧、懿徳天皇陵はほぼ形状が変わらず、神武天皇陵を囲むように配置されています。

懿徳天皇 畝傍山南纖沙溪上陵
形状は綏靖天皇、安寧天皇とほぼ変わらない

欽明天皇 檜隈坂合陵(梅山古墳)

懿徳天皇陵の後は、欽明天皇陵へ。実は途中にある陵墓参考地の丸山古墳に気を取られてしまい、割と近くにあった孝元天皇陵と宣化天皇陵を逃してしまうという失態。特に宣化天皇陵は堀のある比較的大型の前方後円墳で地図からもその形が分かるくらいだったので、少し寄り道をしてでもよればよかったと後悔はありつつも、気温が上がって大量くが奪われていたので今考えれば仕方なかったと思います。

欽明(きんめい)天皇陵はここから行けるの?なところにあり、とても見晴らしが良かったです。友達が欽明天皇陵のほぼ消えかかっている石碑を見つけてくれたので、たどり着くことが出来ました。欽明天皇は第29代天皇。あの有名な推古天皇の父親で、古墳時代から飛鳥時代に移りかけの古墳時代後期にあたる時代の天皇です。

一旦小山を登ると拝所が見えます。明日香村の景色も一望でき、お堀もあってとても綺麗な陵墓でした。

欽明天皇 檜隈坂合陵(梅山古墳)
うっすらと見える「欽明天皇」の文字
登って行った先に拝所がありました
拝所の手前の方が高くなっていると見晴らしがとても良いです
お堀があるタイプの綺麗な古墳

吉備姫王墓 猿石

欽明天皇陵と並んである吉備姫王の墓。中には猿石と呼ばれる石像が置かれており、おそらくこの猿石目当てで来る人の方が多いのでは?と思いました。明日香村は2回目ですが、猿石を見たのは初めて。皇族のお墓も天皇陵と同じく拝所があります。

吉備姫王墓
猿石(左側)
猿石(右側)

岩屋山古墳

ここまでの天皇陵を訪問してきましたが、久々の普通の古墳、岩屋山古墳。石室が横穴式で中に入ったり、登ったりも出来ます。ランチをしようと思って通りかかったら場所を間違えて、たまたま見つけることが出来ました。7世紀の古墳なので、新しい方。

岩屋山古墳
割と大きめな横穴式石室
被葬されちゃった体験

牽牛子塚古墳

今回の本命、先日改修が終わり一般公開された牽牛子塚古墳(けんごしづか)へ。あまりにも長い上り坂を電動じゃない自転車を押してなんとか登りきりました。なんと別ルートがあり、上り坂とトレッキングレベルの山道を歩く必要がなかったことが後から判明して、一緒に行った友達には申し訳ない…。史上初めて重祚した皇極・斉明天皇陵と言われています。八角墳で古墳時代後期から飛鳥時代の身分の高い被葬者の古墳に多い形です。八角墳はなかなか見ることが出来ないので、とても嬉しい。

真っ白すぎる牽牛子塚古墳
遠くからでも角が見えて、八角墳であることがわかります
山の上に急に現れた時は感動
(奥の白いのが牽牛子塚古墳です)
石室も公開されています
陵墓参考地なのに珍しい

近くにある益田岩船や他の古墳群も訪れたかったですが、距離があるのと体力消耗で断念しました。

文武天皇 檜隈安古岡上陵

お昼を食べた後は文武天皇陵(もんむ)へ。第42代天皇で大宝律令施行で有名な天皇です。こちらも八角墳で壁画で有名な高松塚古墳に隣接しています。八角墳と言っても中はよく見えないので、あまり実感は湧きませんが牽牛子塚古墳と違って天皇陵の看板があるので、違和感はありません。

文武天皇 檜隈安古岡上陵

高松塚古墳

壁画で大変有名な高松塚古墳。綺麗に整備されているため、遠目からも古墳だとわかります。資料集で天女の壁画を見たことがある人も多いのでは?観光地になっているのでとても人が多く、サクッと見て離脱しました。

二重の円墳が綺麗に整備されています

中尾山古墳

高松塚古墳と同じ敷地内にある中尾山古墳。こちらは特に陵墓指定はありませんが、八角墳だそうです。個人的には高松塚古墳のような壁画の有無よりも形の方が重要なのでは?と思いこの古墳の整備されてなさが気になりましたが、全容がよく見えたので良かったです。

少し角張っているのが見える八角墳

天武天皇・持統天皇 檜隈大内陵

やっと聞いたことのある名前の天皇が出てきたと思う方も多いのではないでしょうか?第40代の天武天皇と第41代の持統天皇が合葬されている八角墳です。被葬者がほぼ特定できる古墳ということで、考古学から歴史学への過渡期を感じます。天武天皇は壬申の乱などで有名でこの辺りから権力争いが如実化してきます。

この階段を登れば拝所
合葬されている陵墓は初めて訪れたかもしれない

ここで3人で記念撮影をして、今回の陵墓巡りはひとまず終了。最後に明日香村に来たからには石舞台古墳を見て帰ろうと、東に進みます。

亀石

石舞台古墳へ行く途中にあった亀石。明日香村の石像文化は墓に猿石があった吉備姫が関係しているとかいないとか。

突如として現れる亀石

石舞台古墳

教科書でもお馴染み、石舞台古墳。蘇我馬子の墓と呼ばれている、石室が剥き出しになっている古墳です。しかしながらなぜこんなに石室が露出しているのか、この石をどのように積んだのか、謎が多いと言われています。私自身は10年ぶりの訪問。当たり前ですが、10年ごときで何か変わることはなく、ただ同じ佇まいでそこにありました。

石舞台古墳

これにて橿原、明日香村の古墳・陵墓巡りは終了。走行距離は約25km。最後まで付き合ってくれた友達2人には大感謝です。

22.87kmとありますが、ルートが飛んでるところも多いため実質25kmほど走りました

終わりに

2日間にわたって、陵墓を中心に古墳を巡りました。前回の百舌鳥・古市古墳群と比べて年代は古墳後期のものが多く、大型の前方後円墳と言うよりは、そもそも墳丘墓ではないものや、八角墳や円墳が中心でした。これほどまでに一箇所に多く集まっていると、訪問しきるのが大変で逃してしまったところも多くありましたが、江戸時代の天皇が多く眠る月輪陵や、個人的に目玉だった牽牛子塚古墳へ行けて大満足でした。

次は奈良市の方の古墳に行きたいです。

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