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人間って、案外カンタンには死なないんだな~知らぬが仏編~

菌だらけ娘と、ご飯の完食

縫った傷口から、細菌感染を起こしていて、その膿を検査に出したところ、結局は耐性菌に感染していた。

この耐性菌は、簡単に言うと効く抗生物質がないという事だ。

その間にも食事はお粥を卒業して、一般食になった。退院した後の事を考えると、普通のご飯の方がイメージもしやすい。

まだまだ生活の拠点はベッドの上だったが、食事の時には自分で車椅子に移動して、お昼のワイドショーを観ながら、少し座っている位だった。

その間も、1週間のペースでステロイドを減らして、30ミリまで減っていった。これで少しは今までよりも、全身状態は良くなはずだと安心した。

入院して2か月突入

ある日の朝に主治医から、「もう一度家族の方と今後について話したい」との説明を受けて、「じゃあ、家族に連絡とって、候補日を探しておきます」と言ったが、家族とだけ?と不安になった。

外科の主治医は、体に障がいが残ったけれど、もう安心して大丈夫だと、家族に伝えたかったらしい。ついでに、何度も病院に呼んで心配かけました、と言いたかったらしい。

外科の主治医がそこまで言うなら、もう大きな心配はしなくて良いって事なんだと思った。

私は今のままで、外科回診とリハビリと、ご飯を食べられれば、内科に移れて、その流れで退院も見えてくるらしい。この事も踏まえて、家族と話がしたかったらしい。

家族から衝撃の告白

外科の先生から家族への話がある日も、朝からソワソワしていた。コロナ渦によって、私はその場には出席できなかったのもあって、家に帰った妹に話の内容を聞くことにした。

私の性格を熟知している妹は、「アンタの事だから、隠されるのも嫌だろうけど」と前置きした上で、話の内容を全て教えてくれた。

緊急手術の前にもしかしたら、腹膜炎が子宮や卵巣まで癒着しているかもしれないから、そうだった場合は子宮も卵巣も切除することになる、という事だった。

私が緊急手術を受けた時は、正直に言って外科の先生も、お腹を開けて言葉を失ったらしい。裂けたS字結腸から便が漏れて、一度全ての臓器をお腹から出して、腹膜を洗浄してから、元の場所に臓器を戻したらしい。

手術が終わってもなお、予断の許さない日々が続いて、1週間は主治医も気が気じゃなかったらしい。

術後は毎日部屋でレントゲン撮影をしていたが、血圧や酸素濃度が上がらない上に、採血の結果も悪いまま、高熱が続いて今度は肺に血が溜まっていたらしい。

次々に発症する合併症に対しても、普通の患者の様には行かず、頭を抱えたが本人の生命力が強くて良かったと、言っていたと聞いた。

その間にも痛み止めの医療用麻薬や輸血、利尿剤や術後の回復用補液も大量に使われていたらしい。

『一難去ってまた一難』…そんな言葉が一番合うのかもしれない。

命を最優先で手術をしたが、これからも様々な合併症は付きまとうし、今のストーマが長持ちするのは難しいらしい。

皮膚の状態や全身状態から考えても、ストーマトラブルや、病気の活動期によって、手術をしてストーマを再増設も考えなければならない、という話だったらしい。

余談になるが、私は手術が終わってすぐに駆けつけてくれた、内科の主治医の顔を見て、強く手を握っていたらしい。主治医も握り返してくれたらしいが、私には一切記憶がなかったし、同じことを外科の主治医にもやっていたらしい。

家族が面会できた時も、家族とのやり取りも覚えていないし、術後の記憶もほとんどないまま、無意識で自分がやった事に関して、かなり恥ずかしくなった。

『知らぬが仏』って、こんな時のためにある言葉なんだろうな…。

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