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人間って、案外カンタンには死なないんだな~入院生活編②~

体が蝕まれても、決定打がなかった私は、ほとんど寝たきりのような生活をしていた。

毎日トイレと洗面所と、ベッドの往復。ステロイドを60ミリ飲んでいる副作用で、夜はほとんど眠れないし、本を読む気力もない。

ずっとテレビを付けっぱなしで、気を紛らわしていたせいで、1枚1000円のテレビカードを何枚買ったかも覚えていない。

事件勃発~緊急手術へ~

手術になる2週間前くらいから、お腹が痛いのは事実だったが、10がレベルマックスだとすると、レベル3くらいの痛さだったのが、徐々にレベルアップして行くのだった。

だが、私は色んな種類の鎮静剤を併用していたので、本当はもっとレベルが高かったのかもしれない。痛みに対して、鈍い体になっていたのは事実だと思う。

元々、痛みには強い方で骨折しても、腰椎が潰れても、点滴が漏れて腕がパンパンになっても、度重なる関節炎にも、のたうち回るようなことはなかった。

だが、今回のお腹の痛みは、いつもと違って尋常ではない痛みだった。徐々に上がっていく痛みのレベルに、つい何度も痛み止めの点滴を入れてもらう回数が増えて行くばかりだった。

いつも服用しているたくさんの鎮痛剤を口から飲んでも、痛みは一向に治まらない。点滴も最低4時間を空けないと打てない。脂汗が出て、痛みでうずくまるしか出来ないまま、今まで生きてきた35年間の中で、一番長い夜がやってくるのだった。

その日の夜のお腹の痛みは、レベルマックスどころではなかった。絶食中だったため、他の患者さんが夕食を配膳された時点で、半分力尽きていた。

脂汗でパジャマもシーツもビショビショに濡れて、『本当に自分って臭いな…』と、何故かそこだけ冷静だったのを覚えている。その後のやりとりは、緊急手術編にも書いてある通りだ。

手術室に入る前に、鼻を真っ赤にして涙ぐんでる母と妹の表情だけは、今でも鮮明に覚えている。母と妹は私に心配をかけないように、必死で涙をこらえていたんだと思うが、コロナ渦で会えないうちに、ガッツリ痩せた姿と意識が朦朧としている私を見て、堪えていた涙もまたでてしまったんだろう。

そんな母と妹の姿を、ベッドに横になったまま、私は不思議な感覚で眺めていた。手術室に入る直前に、意識が朦朧とした中で、『2人が泣くくらいヤバいのかな…』と考えながら、手術室の中では完全に意識を失ってしまい、そのまま麻酔で眠ったみたいだった。

目が覚めると、真夜中の集中治療室にいた私だったが、どうして自分が集中治療室にいるのか、至る所からうめき声が聞こえて、忙しそうな看護師さんの足音と、ドアが開いたり閉まったりする音。

枕元では、生命維持装置のアラーム音が、ずっと鳴り続けていたのにも関わらず、自分のアラームだとも気付かなかった。

視界の隅に入るのは、忙しく記録を付けながら、点滴を確認している看護師さんだったが、私が声にならない声を出すと、酸素マスクを外して、鼻からの酸素チューブに取り替えてくれたのだった。

ここにいる理由も分からないまま、今日が何日の何曜日で何時かも分からなかったが、カーテンの隙間から薄日が差して、明け方なんだと分かった。

意識もクリアになって来た私は、私の横で付きっきりでいてくれる看護師さんに、恥ずかしながらことの経緯を訊いた。

看護師さんは、手術になった経緯や、内科から外科に移った経緯、どんな手術が行なわれて、結果どうなったのかも、優しく丁寧に話してくれた。もちろん手術の後で、内科の主治医や母と妹が来ていたことも。

その後で冷静になって、自分の頭だけを動かすと、何やら物々しい数の点滴と機械につながれている。外科の先生が手術中に首の太い静脈にも、点滴用のカテーテルを入れておいてくれたらしい。

点滴がなくなると、今度は点滴用の輸液ポンプや、シリンジポンプのアラーム音が鳴る。私は何を点滴されているのか分からないまま、じっと看護師さんが点滴を新しくしているのを、見守るしかなかった。

点滴の交換が終わると、今度は体位を交換しなくてはならなかったが、これが本当に地獄のような痛みだった。看護師さん2人掛かりで体位交換用のシーツを持ち上げて、右向きから左向けに変える。

「痛いけど、ちょっと頑張ろうね」のかけ声で、一気に体の向きを変える。ゆっくりやれば、もっと痛いのは分かっているが、何度も「あいうえお」に濁点の付いた、声を出してしまう。

痛くてうめき声を上げていると、看護師さんが医療用麻薬の鎮痛剤を、一時的に増やしてくれて対応してくれた。これがいつまで続くのだろうか…。


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