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新年の抱負なんてだいきらーい


「新年の抱負はなんですか?」 
「今年はどんな年にしたい?」

年の始まりはそこかしこできかれる質問な気がする。

他の人の抱負話を聴くのは好き。
その人の行く先が、その語らう世界であれと思ったりする。

そもそも、私は「目標」が大嫌いなのである。
いや、あれが目標かと途中で気がつくぶんにはいいのだ。
嫌なのは目標を立てさせられることだ。

まだ歩いてもいない道なのに、目に見える標識を立てろだなんて、なんか嫌だ。

目的地へのルート検索を開始するのか。
所要時間だの、最適ルートだのだすのか。
なんか嫌だ。

行きたいところなんてない。

行ってみたい道はあるかもしれない。
でもそんなの歩いてみないとわからない。 

次にどこに行かなきゃいけないなんて
考えながら進むのは
本当に面倒くさい。

いつまでもすぐ崩れる家に住むのは愚かだとは思う。
けれど、設計図を元に頑丈な家を作るのは、なんか違う。


小さい頃から「目標」を答えられない子だった。

「こう生きたい」というのの中に人間の生活らしい何かというのがあまり浮かばなかった。

例えばテストで何点とるだとか、マラソンを頑張るだとか、努力目標は私には生まれなかったし、どうしたいかなんて、歩いてるときに見つける感じで、改めて立ち止まって考えても、思い浮かばない。

周りが何か大きく動くとき、私はものすごく平坦で、この感じ取るものは、私と他人の違いかぁとおもったりする。
これ上手く言葉に落とせないので、この言葉を読んで得た感じと、私の感じる感覚は多分ずれてると思われる。


それでもあえて今年の抱負をあげるなら
「今年も私で在る」だと思う。
肉体ばかりは存在させる努力をしないと、この星では生きていけないから。


面白いことがあるかもしれないから。
胸ときめくことがあるかもしれないから。
かもしれないという未定でいっぱいだから
世界は自由に歩くに限る。

きちんとした大人が人生を設計して生きる生き物だというのなら、私は大人ではない。


年齢も、性別も、肉体も、ほんっと邪魔っ!!

物質の星らしい。
けど、そこが、この星の魅力でしょ??


仕方ないから、付き合うの。

あぁ、わざと間違えられるように
面白い標識をたくさん立てるのは楽しいかもしれない。
あべこべにしてしまえば、何が凄いか正しいかなんてものは、なくなってしまうのだから。


とりあえずで、楽しいこと多めだといいかな。

今ものすごく眠い。
けど、お風呂に入る。

koedananafusiは電子くらげ。
たとえ世界に発信しても
私の世界は私のものよ。

サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。