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庭にはいっぱい烏骨鶏 だったなぁ


にわにはにわにわとりがいる

鶏を庭で買っているお宅は、今どれほどあるのだろうか?
狭い都市部では難しいのではないだろうか。
何しろ彼らの声はとんでもなく響くのだから。

私の実家からすぐ。
角を曲がって2軒目のキンジさん(仮)の家には手作りの鶏小屋があった。
朝になると少し遠くから「コケコッコー」と聞こえてくる。
朝の薄い光の中に響く「コケコッコー」は気持ちがいい。


自分の家には庭がないから、小さい私はご近所さんの庭をつかっていた。
今思えばかなり迷惑な気がするが、のびのび自由に遊ばせてもらえた。
時代も今よりは、おおらかだった。
何より祖父の存在があったからだとは思う。
「あの家のお孫さんなら」「おじいちゃんにはお世話になってるから」というのがあったんだ。


さて。
そんなわけで、庭に鶏のいるキンジさん(仮)の庭は私の庭も当然だった。
キンジさんの家の庭は私にとって魅力的だった。
大きな車庫(上に部屋がある)のところは雨でも遊べる。
ぶどう棚の下に手作りの鶏小屋。
道にせり出す琵琶と柘榴の木。
鉢植えに沢山のアロエが生えている。

私が本当に小さい頃は、そのキンジさんの家の真向かいが広い駐車場になっていて、我が家のワゴン車もそこにとめてあった。(後に住宅地になってしまったが)
大通りからは2本道を入っている。
車通りは少ない。
キンジさんの庭と駐車場(一部砂利)は小さな子どもにとっては十分な遊び場だった。


私は動物を怖がらない。
だから庭に放たれたニワトリの雄も、ニワトリに似ているけどばあちゃんが「ウコッケイ」とよぶ頭がふわふわのニワトリも怖くない。

結果、手からミミズをあげようとして突かれる。
雄を追いかけ回して蹴りでやられそうになる。
など色々…ほんと、怪我しかねない遊びが多かった。
でも、思うんだ。
動物と遊ぶ時、案外本能でわかるもんだよ。
相手が本気で怒ってるか、こっちをからかってるのかって。

雄鶏は小さな私を面倒くさい相手とは思っていたが脅威とは思っていなかった。
だから蹴りは最小限だし、執拗く追い立てられることもなかった。
鶏の雄は気性が荒い。キジ科なだけはある。
ハーレムの頂点である雄は立派な鶏冠をふりふりしながら、庭で私の抜く雑草を端から食べつつ、私をじっとみていたものだ。
烏骨鶏の雌達はとても臆病で、騒がしい私のことは心底嫌だったかもしれない。
ミミズを掘り返してくれる時だけは好きと思ってくれたかもしれないけれど、それ以外は遠巻きに私を見ていた。

ばあちゃんは言っていた。
「ウコッケイの卵は高級品」だって。
そして、たまにもらえるウコッケイの卵は私の口にはなかなかやって来ないのだ。

「ウコッケイは高いんだぞ」と教えられてきた。

だから烏骨鶏の卵とか聞くと、値段を思い浮かべてしまう。


というとこまでを朝書いて、この先の話のオチが思いつかないのと、すごく眠いのとで、このまま休憩終わりに出そうと思う。

きちんと読み直して書き直して、出すべきか出さないべきか悩んでいる人からすると「え……これだすの?」みたいなのを出したりする。
気分。
全ては私の気分である。

本日は強風。

あ、そうそう私はチャボが好きだ。
チャボって名前もいいと思う。

ひよこ🐤

さぁ、夜まで仕事だよ!!




サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。