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18~19世紀の欧州の市民革命は「逮捕・投獄からの自由=身体の自由」を達成した。現在のトランプ革命は「精神の自由」を求めているのですが、バイデン新大統領は革命には気が付いていないようです。 ●トランプ氏、バイデン氏に「非常に寛大」な手紙 伝統守る


米国のジョー・バイデン新大統領は20日、前任のドナルド・トランプ前大統領が伝統に従い、大統領執務室に手紙を残していたと明らかにした。 バイデン氏はホワイトハウス(White House)で記者団に対し、「トランプ前大統領が非常に寛大な手紙を書いた」と語った。「プライベートなものなので、トランプ氏と話すまで手紙については話さない」  
トランプ氏は、大統領選での勝利についてバイデン氏に正式に祝辞を送っておらず、慣例に反してバイデン氏の就任式を欠席。退任する大統領が後任に手紙を残す伝統を守るかどうかは、当日まで不透明だった。
●「民主主義が勝利した」 バイデン米新大統領が就任演説 2021年1月21日 3:39 【AFP】



❮大統領就任式で演説するバイデン新大統領(2021年1月20日)。(c)Patrick Semansky / POOL / AFP
ジョー・バイデン米新大統領は20日、就任宣誓後に行った就任演説で、団結を呼び掛け、深い分断の解消を約束するとともに、国内の過激思想撲滅を目指す意向を表明した。
 バイデン氏は米連邦議会議事堂前で行われた就任式での演説で、「きょうは米国の日、民主主義の日、歴史と希望の日だ」とし、「民主主義は尊く、壊れやすい。そして今、民主主義が勝利したのだ」と宣言。
 だが米国が新型コロナウイルスの流行と深まる政治分断に直面している中で、現在の課題を克服するには「言葉以上の多くのもの、そして民主主義で最も達成困難なものである団結が必要だ」とも呼び掛けた。
 米国では2週間前、バイデン氏の当選を覆そうとした暴徒が議会を襲撃する事件が起きた。バイデン氏は演説で、米国は「政治的過激主義と白人至上主義、国内テロの台頭」に直面しており「われわれは立ち向かい、打ち負かさなければならない」とも述べた。(c)AFP
●世界各国、バイデン氏の就任歓迎 「新章始まり」「乾杯!」
1/21(木) 10:22配信【共同通信】
 20日のバイデン米大統領の就任について、英仏独など各国や国連、世界保健機関(WHO)から「新たな章の始まり」「乾杯!」と、歓迎する声が次々と上がった。一方、中国やロシアでは就任式での厳戒態勢や米社会の分断ぶりが強調して報じられた。  
ジョンソン英首相は「重要な問題で米国のリーダーシップは不可欠」とツイッターで訴えた。ドイツのメルケル首相は「友好と協力の新たな一章が始まることを楽しみにしている」とコメント。フランスのマクロン大統領は地球温暖化対策の枠組み「パリ協定」への米国復帰を「お帰りなさい」と歓迎した。
【引用 終わり】
 もしバイデン新大統領が、本当に団結を望んでいるのならトランプ前大統領が残した手紙の一節を引用して、「トランプ氏を悪魔化してはいけない」と発言するでしょう。
 なぜならばトランプ氏には熱狂的な支持者が付いているのでトランプ氏と敵対したままであれば、アメリカが団結する事は不可能だからです。何しろトランプ氏に投票した人は7400万人もいます。
 それなのにトランプ氏と和解しようとはせずに、団結と言う綺麗な言葉だけを口にするという事は、次のうちのどちらかです。
一 何にも考えていないけれど、受けがいいので口にする。
二 バイデン氏のいう団結とは、自分に反対するトランプ派が白旗を上げ来る団結である。
 つまり「自分は何にもする気がない、一切かわるつもりがないけれど、米国人が勝手に自分の基に集まって一致団結してくれたらいいな」というたぐいの夢物語です。
 だからアメリカの団結は実現する事はありません。
現在のアメリカの分断は、キリスト教の三位一体説が、揺れる古代ローマ帝国の中で、皇帝の支配権を擁護する為に考えだされた支配者の理論であるからです。
常識で考えれば「従わないモノは、抹殺せよ」という旧約聖書の神様と、「汝の敵を愛せ。汝裁くなかれ。罪なきモノは石をもて」即ち『敵への怒りを抑えて、攻撃するな』と説いたイエス・キリストが同一の神だという事はあり得ません。
「従わないモノは、抹殺せよ」と「敵への怒りを抑えて、攻撃するな」は、真逆だからです。ですからキリスト教の三位一体説は、「ジキル博士とハイド氏は同一人物なので、両方に従え」という教えです。
そして、旧約聖書の神とイエスが一体、つまり、「抹殺せよ」と「裁くな・攻撃するな」が一体だとすると、現実の中での行動がどうなるかといえば、「自分の気の向くままに、抹殺しても善・悪さを裁かず見過ごしても善という、支配者のやりたい放題が善行だ」という不思議な宗教理論になるので、これは支配者の理論なのです。
この為に、キリスト教文明圏では、「支配者がその時の善を決める。皆が支配者に従う事が善である。従わないモノは抹殺する事が善である」という社会が現実に出現しました。
現在の世界で例をあげれば、欧米のオピニオンリーダーが=リベラル知識人は、「我々が善を決める。皆が我々の理論に従う事が善である。従わないモノは抹殺する事が善である」という意識でいます。
この為に、言論の自由を謳いながら、ツイッター社などのソーシャルメディアからトランプ氏を追放するという矛盾した行為をしても、「従わないモノは抹殺せよ」なので、自分は善をなしたと思っています。
また、バイデン新大統領の息子のハンター氏が汚職をしているらしくても「汝裁くなかれ」なので見過ごしにすることで、自分は善をなしたと思っています。
このように「自分の気の向くままに、攻撃しても善・悪さを見過ごしても善」という不思議な宗教的価値観をもった人たちに、殴り込みをかけたのがリアリストのドナルド・トランプ氏でした。
即ち、アメリカ社会でトランプ氏の支持が消滅しないのは、リベラルマスコミ知識人が「自分達は旧約聖書の神様と同じだ」というと意識を持っていて、彼らから「我々の正邪善悪の判断に従わなければ、社会的に抹殺してやる」と強制される事に反発する人達が、トランプ氏を支持しているからです。
ですから現在のアメリカのトランプ派は、かつて国王の支配に従わなければいけないと強制された人達が、逮捕投獄からの自由を求めて市民革命を起したように、現在のリベラル知識人が精神を支配しようとすることに抵抗して革命を起している訳です。
具体的にいえば、「メリークリスマスと言ってはいけない」「インディアンと言ってはいけない」「女性にはミス・ミセスをつけるのはやめて、ミズにしろ」と強制されて、破ったらレイシストと糾弾されねばならないのはまっぴらだと、人々は革命を起しているのです。
実際アメリカは、正邪善悪の価値判断を強制される国です。
今のアメリカでは、南北戦争の南軍のリー将軍の銅像を守ろうとする人は、人種差別主義者とレッテルを張られて攻撃されます。「アメリカの建国の父ワシントンが奴隷の所有者だったから、これからは悪人にしよう」という主張もされています。
日本で、真田幸村や石田三成の銅像は許さないとか、最後は朝敵になった上野の西郷隆盛の銅像を引き倒せと、叫ぶ人が現れたとしたら「アホじゃないか」と思われるだけですが、今のアメリカでは政治家も含めて叫んでいるのです。
なんでこんなナンセンスな事が発生するかといえば、アメリカではオピニオンリーダーたるマスコミ知識人が「ワシントンは英雄だ」と思っていた時には、アメリカ人は「ワシントンは英雄だ」と思わなければならなかった。
ところがオピニオンリーダーが、「ワシントンは、人種差別主義者だったから悪人だ」と考えを変えたから、今度は「ワシントンは悪人だ」と思えと強制される。
これでは、アメリカの一般の人達が怒るのは当然です。
「リー将軍を好きだ。尊敬している」と言ったら「レイシストだ」と糾弾されるのが、アメリカです。
日本で「石田三成が好きだ」とか「織田信長は英雄だ」と言った時に、「お前は独裁者だ。差別主義者だ」と攻撃されると想像して下さい。
そんな社会は自由な社会ではありません。
つまり自由の国だと宣伝していたのに、実はアメリカは社会的な正邪善悪に従えと強制される国だったのです。だから今、アメリカでは精神の自由を求めて、革命が発生しているのです。
アメリカのトランプ派の人達は「正邪善悪の判断を他人に強制されたくない」と自由を求めているだけです。ただそれたけなのですが、従前からのオピニオンリーダーの方は「正邪善悪の判断を、知識のある自分達が決めてあげるのが正しい」と、昔のキリスト教会と同じように勘違いしてしまっているのです。
絶対主義下のフランスで、哲学者のヴォルテールは次のように言いました。「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」
西欧社会で、自由に対する名言とされているモノです。
これはつまりは「自分達の善悪基準に従わない人物は、悪人だ」と攻撃して社会的制裁を加えようとする人間がいるのならば、命を懸けると言っていることになります。だからアメリカ人は「リー将軍は英雄だ」と言えなくなったら、命もかけるのかもしれません。
しかし日本人たる私は、「リー将軍は英雄か、悪人か」で命を懸けるのはアホらしいと思います。
ワシントンもリー将軍も、今はもういません。ですから彼らには未来を変える力はないのに、彼らが好きか嫌いかで争うのは、愚の骨頂だと思います。ところが彼らはやっている。
ジョンソン英首相・ドイツのメルケル首相・フランスのマクロン大統領が、バイデン新大統領の誕生を祝福したのは、彼らも「支配者がその時の善を決める。皆が支配者に従う事が善である。従わないモノは抹殺する事が善である」という価値観の人たちなのでしょうか?
いずれにしても、バイデン新大統領は、自国で精神の自由を求めるトランプ革命が起きている事に気が付いていないようです。だからフランス革命の時に、王妃マリーアントワネットが「パンが無ければお菓子を食べればいいのに…」と言ったように「民主主義の勝利だ」とか「団結だ」とか言っているのでしよう。
 だから口で言っても団結は不可能だし、世界のかじ取りもできそうもないような気がします。なにしろ新大統領はずっと民主党の大物だったのにオバマ氏・クリントン氏に先をこされ 78歳まで大統領候補になれなかった人ですから…。
故に、アメリカのトランプ革命は終わらないでしょうし、バイデン政権下では日本は息苦しくなるだろうなと思います。大きな戦争にならなければいいなと、願うのみです。
最後に、私は、かつての市民革命で欧州にもたらされたのは「逮捕・投獄からの自由=身体の自由」であり、今のトランプ革命に至って「精神の自由」が求められているのだろうと考えています。
ただ、米国はじめキリスト教文明圏の問題は「自由こそが、諍い・戦争の源だ」という事を無視しているから、こんなことで国がゆらいでしまいます。
自由であっても諍いを起さず共生するためには、他人の自由意思を攻撃してはいけないという事に、未だに気が付いていないのがキリスト教文明圏の人達の不思議な所です。
即ち「これが善だと思います」で止めればいいのですが、「自分に反対する者は悪人だ」と付け加えてしまうので、自由な意見が争いを生む状態になるのです。ごくごく簡単な事なのですが、感情が絡んでくるので難しいのかもしれません。

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