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39年間ずっとブスだったけれど

「ブスなんだから化粧くらいしろよ」
「化粧して色気を出すなんて、はしたない」

子どもの頃から自分をブスだと思っていた。
一重のまぶたは目に覆いかぶさるほど分厚い。まつ毛は産毛ほどしか生えておらず、眉毛は薄くて三角形。真正面から丸い鼻の穴がこんにちは。

言った本人はもう覚えていないかもしれないし、私も今は相手を責める気は全くないのだけど、昔から兄に「ブス」と言われてきた。小学生の頃、夕飯中に私がおしゃべりを始めると「黙れブス」。口答えすればブスと連呼されるから、すぐに黙った。
テレビにきれいな俳優が映ると「顔の作りが全然違うよな。お前もせめて化粧くらいしろよ。やばいよ、その顔」。
「そうか、私の顔はやばいのか」と惨めな気持ちになりながら下を向いた。そのときの私は、真っ赤な顔か、真っ青な顔、どちらだっただろう。

そんなにブスならお化粧をしたほうがいいのかなと思ったけれど、親には「まだ子どもなんだから、化粧なんてする必要ない」とぴしゃりと言われた。「せっかく若くてお肌がきれいなんだから」「そのままが一番美しいのよ」と諭され、「変な色気を出すんじゃない」「色気を出すなんて、はしたない」と暗に叱られた。
「そうか、きれいになろうとするのは、いけないことなのか」「人をたぶらかすかもしれないのか」と思うしかなかった。

そのままの私はブスだから認めてもらえない。かと言って、美しくなろうとすることも許されない。じゃあ、どうすれば良いのだろう。
結局兄に「私はブスじゃない」と立ち向かうことも、親に「化粧をするのは私の自由だ」と反抗することもできず、私は俯いて生きるようになった。できる限り顔を見られないように、人と話すときは目をそらし、手で鼻や口を覆った。

高校生や大学生になると、周りが本格的に化粧を始める。みんな見る見るうちに可愛くなったけれど、私はずっとすっぴんだった。「七ちゃんって化粧しないの?」と聞かれるたびに「うーん、へへ」と曖昧な返事でごまかす。

社会人になり、すっぴんの後ろめたさは倍増した。社会に出ると、すっぴんの女性に対して「だらしない」「マナーがなってない」と風当たりがキツくなるから。直接言われなくても「うわぁ、この人すっぴんなんだ、やば……」という空気を感じる(被害妄想の可能性もあったけれど)。
それならお化粧をすればいいものの、だいぶこじらせていた私は「人は見た目じゃない」「内面が大事なんだ」と自分に言い聞かせていた。そして、すっぴんとメイク後で別人になる女性に対して「好きな人の前ですっぴんになれるのかな」「自分を偽ってると思わないのかな」などと内心思っていた。内面にこだわる当の本人が、歪んだ性格なのだからダサいことこの上ない。

つまるところ、私は家族のせいにしたり、人を蔑んだり羨んだりするだけで、卑屈な自分を変えようとしなかった。お化粧をして見た目を美しくすることも、お化粧をせずに「ありのままで美しい」と心底信じることも、どちらもしなかった。「どうせ私なんて」とひねくれて、ブスな自分のままでいることを選んだ。
もし本当に美しくなってしまったら、何か傷つくことを言われたり、性的な対象として見られたりして、今よりもっと不幸になるのではないか。そんな恐れもあったのだと思う。

でも、変わることができたのです。私は美しくあるために、お化粧をしたり、髪型やファッションに気を遣ったりすることを自分に許し、楽しめるようになった。そして、それらの行動の結果が外見にもちゃんと表れるようになった。39年間生きてきて、私は生まれて初めて、自分を心から美しいと思えるようになった。

私の変化は2段階で起こった。

まずは夫にブスのまま愛してもらえて、ギュッと固まっていた心がだんだん柔らかくなったこと。
未だに信じられないのだけれど、27歳のときに小汚い飲み屋で出会った夫は、私がどんな顔をしていても「可愛い」と言ってくれる。すっぴんどころか、寝癖や目やにがひどい起き抜けの顔すらも、夫にとっては「可愛い」らしい。「なんでこんなにブスなんだろう」なんて私が言えば、間髪いれずに「ブスではない」と返ってくる。なんなら少し怒っている。
私の存在を心から肯定してくれているのが伝わるから、私は私のままでいいのだなと安心できるようになった。顔つきが少しずつ明るくなり、周りからも「昔は陰気だったのに、結婚してからよく笑うようになったねぇ」などと言われるようになった。

愛する人に丸ごと受け入れてもらえる。それはとても奇跡的で幸せなことだけど、私が自分の美しさに真の自信をもつには、もう一段階の大きな変化が必要だった。
その変化とは「やりたいことを、ちゃんとやりきれるようになる」ことだ。美しさとあまり関係ないように思えるかもしれないけれど、間違いなくこれが必要だった。

子どもの頃から自分の得意なことや好きなことが分からなかった私は、大学を卒業する直前にようやく「文章を書く」という一つの生きがいを得た。そして30代前半からはSEOライターとして「書く仕事」を本業にしている。

どんなテーマの記事であれ、書くことさえできたら幸せ。私はずっとそう思ってきたし、仕事で執筆してきたあらゆるSEO記事に誇りをもっている。
でも、このままでよいのかという悶々とした気持ちがここ1年で強くなってきた。SEO記事しか書けなくていいのか。AIの登場でSEOライティングの価値が下がり、仕事が減っていくのではないか。3年後もSEOライターという職業は存在するのか。

そんなタイミングで偶然見つけたのが、インタビューライターやエッセイストとして活躍中の佐藤友美(さとゆみ)さんが主宰する「さとゆみビジネスライティングゼミ(さとゆみゼミ)」だった。さとゆみゼミでは、企画の立て方やインタビューライティングも学べる。受講料は決して安くなかったけれど、「ここで自分のライティングの幅を広げるんだ」と決意し、受講を申し込んだ。

週に1回、3ヶ月間のゼミは、想像以上に苦しかった。毎週、これまで経験したことのない課題が出され、数日以内に提出しなければならない。フルタイムで仕事をしつつ、難易度の高い課題に取り組むのはハードだった。そして何より「できない自分」を直視するのがとても苦しかった。うまく書きたいのに、思うように言葉が出てこないし、そもそも何を伝えたらいいのかが分からない。ゼミ仲間の素晴らしい文章と比較してしまい、「自分が書き続ける意味はあるのだろうか」と悔し涙を流すことも多かった。

でも、逃げなかった。私はこれまで、人間関係、勉強、仕事、あらゆる重要な局面で逃げてきた情けない人間だったけれど、今回は逃げなかった。さとゆみゼミを卒業できたら、ライターとしての自分の価値が少しでも高まるはずだと信じ、胸の苦しみに悶えながら受講し続けた。

さとゆみゼミの卒業課題は、自分の本の企画を考え、最終講義でプレゼンするものだった。他の誰かではなく、自分自身が著者となる企画だ。これが本当に難関中の難関だった。
今まで逃げまくってきた私に、一体何が伝えられるのだろう。人の役に立ち、私にしか語れないようなノウハウなんてない。実用書ではなくエッセイでもよいとはいえ、劣等感だらけの私の人生なんて誰も知りたくないだろうと思った。

卒業課題の提出期日が間近になってようやく、私は「聞き上手」とライティングを掛け合わせた実用書の企画を捻り出した。すごく書きたいわけではないけれど、私が少しでも人の役に立てそうなテーマはこれしか思い浮かばなかった。

でも結局、土壇場でテーマを変えた。きっかけは、ゼミ仲間の一人がさとゆみさんに投げかけた質問だった。

「自分の専門分野について書くか、専門分野ではないけれど書きたいテーマを選ぶか悩んでいます。どちらがよいでしょうか」

さとゆみさんはこう答えてくださった。

「どちらを選んでもいいと思います。でも本を書くのはとても時間がかかるから、自分が好きなことじゃないと書くのが辛くなるかもしれないね」

その言葉を聞いた瞬間、私は完全に吹っ切れて「本当に書きたいことを書こう」と決心した。人の役に立つかどうかではなく、自分が心から好きだと思えることを書きたい。そう思ったのだ。ぐらぐらしていた心がぴたっと定まり、視界がすごく開けた感じがした。

卒業課題のタイトルは『会いたいから食べるのだ』。幼い頃から卑屈だった私は友だちがほとんどいなかったけれど、美味しいものを知ることで、少しずつ友だちが増えていった。そんな私にとって大切なカフェと、その場所での印象深い「出会い」を紡ぐエッセイにしようと決めた。
語れるものがないとあれほど悩んでいたのに、「好きなことを書く」と一度決めたら、するすると書きたいテーマが思い浮かんだのだから、我ながら驚く。私に限らず、みんなそうなんじゃないかなと思う。

この課題はなんと、講義最終日のゼミ仲間の投票でグランプリをいただくことができた。あらゆることから逃げてきた人生だった分、書きたいことを書こうとする勇気を出せて、それを「いいね!」と思ってくれる人がいたことは余計に感慨深かった。とてつもなく大きな自信になった。

「やりたいことをやりきる」が一度できると、面白いことに次の「やりたいこと」が生まれる。そしてやっぱり「やりきりたい!」と思うものらしい。この前向きな無限ループの中に「美しくなりたい」が入るとは、つい数ヶ月前までは思いもよらなかった。

「美しくなりたい」と心に誓うことができたのは、ポートフォリオ用に撮った写真のおかげだった。これから自分の書きたいことを書いて生きていくためのポートフォリオ。そこに載せるプロフィール写真も妥協したくなかった。相変わらずブスで写真は大嫌いだけど、できる限りの努力はしよう。そう思い、ずっとインスタを拝見していた写真家さんに撮影を依頼した。その方が撮るポートレートは、老若男女どんな人もとても美しくて、生きる喜びの光がまっすぐ放たれている。全く知らない人々の写真なのに、私はじっと見つめてしまうし、定期的に見返してしまう。この写真家さんなら、ブスな私でも美しく撮ってくれると信じられた。

撮影用に服を新調して、当日はヘアメイクサロンでヘアセットとフルメイク、眉毛カットまでお願いした。どれも自分ではろくにやったことがなかったから、人に頼るしかなかった。美しくなろうとすることへのためらいはまだ残っていたけれど、私なりの精一杯で撮影に臨んだ。

そうして撮っていただいた写真には、これまでで最も美しい私が笑って写っていた。私ってこんなに美しかったのかと、自然と涙がこぼれた。私、ブスじゃない。全然ブスじゃない。自分で呪いをかけていたんだと思った。
色々な年齢の私が今の私を囲んで「良かったね、良かったね」と喜んでくれている気がした。3歳の私は頭を撫でてくれたし、7歳の私は手をぎゅっと握ってくれた。38歳の私は背中をやさしくさすってくれた。今の私は「ほんとだね、ほんとだね」と頷きながら、39年分の「美しかった私」を取り戻すようにわんわん泣いた。

写真家さんが私の美しさを引き出してくれたのは間違いない。本当にありがたくて、一生大切にしたい写真となった。でも写真家さんの力だけでなく、私自身の「やりたいことをやりきる心」も必要だったのだと思う。
さとゆみゼミを一度も欠席しなかったし、卒業課題のテーマは本当に書きたいことを選んだし、ポートフォリオの写真1枚にも真剣になれた。それが自信となり、表情にも表れてくれたのだと私は信じている。

一度美しい自分を知ったら、もっともっと美しくなりたいと思うものなのだね。毎朝「今日はどのリップにしようかな」とワクワクしているし、不器用なりにストレートアイロンで外ハネも作ってみている。朝晩の顔の筋トレも始めた。自分の行動が「美しいか、美しくないか」を考えて、美しいほうを選ぶようにもなった。

写真撮影から5ヶ月経ち、私の顔はさらに変わりました。俯かずに、まっすぐ人を見つめられるようになってきた、かな。「すごくきれいになったねぇ」と夫が言ってくれたら「そうなの!」と素直に笑えるようにはなりました。

生きている間はずっと、美しくありたいなと思う。


2021年撮影


2023年4月撮影(ポートフォリオ用)

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