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四十歳でまっさらになった

今年の五月に四十歳になりました。その前後にいくつかの大きな決断をして、四十歳にしてまっさらになりました。何もかもまっさら!!

まず四月末、ライターとして勤めていたWeb制作会社を辞めて、フリーランスになりました。心から書きたいことだけを書いて生きてゆこうと決めたからです。「何を生意気な!」「人生そんなに甘くないぞ!」と言われてしまうかしら……。実際、いま稼ぎはゼロです。残業続きだったのが嘘みたいに、仕事がまっさら。毎日ゆったりのんびり。
でも、私にしか書けない文章があり、それに大きな価値を見出してくれる人が必ずいると信じているので、いま仕事がなくてもあまり焦っていないのです。別に私が特別すごいのではなく、「書く」を生業にしている全ての人に「その人にしか書けない素晴らしい文章」があると思っています。

とても幸せなことに、会社を辞めてからこれまで、夫に甘えさせてもらい、何の不自由もなく暮らし、書きたいエッセイだけを気ままに書いてきました。本当にありがたかったです。……と、なぜ過去形なのかというと、先日離婚し、夫に甘えるのは卒業したからです。十二年間、支え合ってきた夫と別れました。これが、二つめのまっさら。

彼がいなければ、私はここまで生き抜けませんでした。生きていたとしても、もっと陰気で笑顔の少ない人生でした。それは夫も同じだったと思います。私にとって夫はいまもとても大切な存在です。仲も悪くありません。むしろ二人でしょっちゅうくだらないことで大笑いし、どちらかに辛いことがあれば寄り添ってきました。

でも、お互いにより幸せな人生を歩むためには、ここでお別れしたほうがよいと二人で決めました。進みたい道が分かれたのです。

親には散々言われました。「不仲じゃないのに離婚するだなんて、頭がおかしくなったのか?!」「親を悲しませるな!!」などなど。でも、私は親を喜ばせるために生きているのではありません。自分が心からやりたいことをやるために生きていて、それが私にとっての幸せなのです。そして、私が自分の心に素直で幸せであれば、結果として周りの人もより自分らしく豊かに生きられると信じています。なので、いまは親に納得してもらえないかもしれないけれど、自分たちの意志を貫きました。離婚の話が出てから離婚届を出すまで三週間。あっという間でした。

さて、離婚して家を出ることになったわけですが、私は縁もゆかりもない福岡市に引越すことに決めました。これが三つめのまっさら。

なぜ福岡かというと、いつでもすぐに旅に出られるから。私はこれから日本や海外の美しい場所を旅しながら、エッセイを書いて生きたいのです。だから、旅しやすいように、空港と新幹線の駅へのアクセスがよい場所をイメージしていました。夫と暮らしていた尼崎あたりも伊丹空港や新大阪駅が近いので迷ったけれど、福岡で心機一転しようと決心しました。

関西を離れるのは、とても寂しいです。もともと私は五年前、夫の転職に伴い神奈川から尼崎に移住してきました。五年かけて大切な友だちやお気に入りのお店が少しずつできて「関西に来て本当に良かったなぁ」と毎日のように思っていました。愛おしい人たちと離れたくない。見知らぬ土地で、ひとりぼっちでイチから人間関係を築けるかどうかも不安。でも、寂しさや怖さといった感情よりもう少し深いところでは「より未来がひらけそうな選択をしよう」と腹をくくっていました。魂が新しい地を求めていたのです。

もうひとつ、まっさらなこと。私は一年前に「いまやりたいことをまっすぐやる」「やりたいことや欲しいものは我慢しない」生き方をすると決めました。だから、旅をしたくなったら旅をして、食べたいものを食べて、欲しいものがあればすぐに買う。自分の心にとにかく素直に生きてきました。やりたいこと全部やってきた!!

そしたらね、老後のためにとコツコツコツコツ蓄えてきた結構な額の貯金が尽きたのですよ……うふふ、まっさら。
これを周りの人に言ったら「離婚なんてとんでもない!」と全力で止められるかなと思ったので、黙っていました。でも夫は薄々気づいていて「七恵、本当に一人で生きていける?」「大丈夫?」と心配してくれました。世界一優しい男性だと思っていたけれど、最後の最後まで優しかった。本当に感謝してもしきれません。

もちろん不安に襲われることもあります。でも、この先も私はたくさん旅をして、美味しいものを食べて、お気に入りの服をまとい、書きたい文章を書き、そうして心豊かに過ごす。そんな未来を描いていて、絶対に実現すると思っています。

「どうやって実現するの?」「お金はどうするの?」という声が聞こえてきそうです。私もいまはまだ分からないっっ(分からんのかい!)しかも、もうあくせく働く気もありません(ないんかい!)でも、叶えたい未来を実現する道は無限にあると思っています。たった四十年生きただけの私が思いつく道なんてたかが知れているので、大いなる流れに身を任せます。幸せな奇跡はいつだって簡単に起きること、この一年でよく分かったので、私はこれからも大丈夫。神様も、やりたいことを全力でやっている人を「いいねぇ!もっとやっちゃって!」とニコニコしながら応援してくれます。神様はとても優しいということも、この一年でよく分かりました。

実際に「普通ありえないよねぇ?!」と驚く奇跡が起きたんですよ……!福岡でとても素敵なマンションを見つけて、賃貸の保証会社の審査を受けることになりました。先ほども書いたとおり、私は四月末で会社を辞めて無収入です。少しでも審査に有利になるよう、昨年度の確定申告書類や四月末までの源泉徴収票を提出したけれど、審査に落ちても不思議ではない状況です。でも、ちゃんと通ったんですよ……おうち借りられる!!!連絡が来たときは「奇跡が起きた!!」と泣いて喜びました。昨年まで頑張って稼いだおかげもあるかもしれません。でも「福岡で素敵な暮らしをする」という未来を描き、心から信じたからだと思っています。ある友だちは「全て決めるのは七恵さんですね」と言ってくれました。未来を決めるのは他人でも運命でもなく、私なんだなぁ。

四十歳にしてまっさらになったけれど、より喜びに溢れる未来を思う存分描けるのはとてもドキドキします。もちろん、愛する夫と別れてひとりぼっちになる寂しさや怖さはあります。ここまでくるのに何度も涙しました。今晩もわんわんと泣くかもしれない。でも、ざわざわと波立つ感情とは別に、魂は澄んだ空の下をまっすぐ歩むことをとても喜んでいるようです。たくさんの感情を大切に味わいながらも、前へ進みます。

いま、福岡へ向かう新幹線でこの文章を書いています。今日から私の人生の第二章が始まります。少しずつ近況を書いていくので、良かったらまた読んでいただけると嬉しいです。

せっかくこの世に生まれてきたのだから、やりたいこと全部やるんだ。

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