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【傲慢と善良感想】真実はなぜ被災地へ行ったのか

なぜ真実は被災地へ行ったのか? 『傲慢と善良』を小説そしてそれを原作とした映画として観て感じたのは上記の疑問だった。今作は小説、映画ともに婚活アプリを通じて出会った男女が、結婚間近にして彼女が失踪することで始まる恋愛ミステリである。(映画ではミステリ要素はかなり少なくなっているが) 物語の中で明かされる真実の失踪の真相は、架と結婚するためストーカーの嘘をついた真実がそのことを架の女友達に言い当てられたことを機に自らの意志で家を出ていた。そして家を出て行く場所のなくなった彼女が

    • 【ラストマイル感想】メフィストフェレスとの戦い方

      『アンナチュラル』『MIU404』そして『ラストマイル』 彼らは何と戦っていたのだろうか。三作品に通ずるテーマとその解の変化について考えたい。 1、「敵は何だ」「敵は━━理不尽な死」 『アンナチュラル』の主人公、法医学者三澄ミコトは一家心中で1人生き残った過去から、理不尽な死に負けないよう戦っている。 そして、婚約者を理不尽に殺され、復讐を目論む同僚の中堂系を救うため、犯人である連続殺人鬼を逮捕し、有罪にするために戦う。 『アンナチュラル』が主題とするのは被害者と加害

      • だから、私はボランティアをやめた

        「知っていると思うけど、〇〇の会は今年の3月を持ってなくなります。それに伴って飲み会やります!」 仕事終わりの帰り道、スマホを開くとそんなメッセージが流れてきた。大学4年間の多くの時間を費やし、2年のときには幹事長もやらせてもらったサークルがなくなる驚きとともに、私は最後の飲み会への不参加ボタンを押した。そのときに私はこの文章を書こうと思い立った。これは、私がこのサークルでもらった何にも代えがたい時間たちと、そして何もできなかった己の無力さについてのエッセイだ。 そのボラ

        • 「ケアの倫理」への違和感

          1,はじめに  本稿では、講義の中から小川公代による講義「「ケア」としての文学を読む──アンネ・フランクから三島由紀夫まで」について論じたい。小川の講義や著書で繰り返し触れられたキャロル・ギリガンのいう「ケアの倫理」とはすなわち家父長制や新自由主義、健常者の目線から見た「正義」からは外れた女性や病人、性的マイノリティ、障害者といった人々の在り方を肯定する倫理として説明されていた。同じようにアラブ文学者の岡真理は、西洋など先進国のフェミニズムが、その正義を根拠に発展途上国の女性

          映画「TAR」感想:答えが人を巻き込むSNS時代に、クラシックはどう問いかけるか?

          作品内で主人公ターがバッハについて語ったセリフと同じように、映画『TAR』の中では、私たち観客は常に「問い」を投げかけられる。 映画冒頭から、登場人物の性格、人間関係、彼らの間に過去何があったのか明確に説明されない中、私たち観客は人物のセリフや行動から主人公ターを中心に「彼女は何者なのか」という問いを解くため、画面の隅々──ターがパートナーに飲ませた薬の出処、一瞬だが印象的に映る赤髪の女性、登場人物たちの視線一つひとつにいたるまで──に目を凝らす。 この映画では「答え」となる

          映画「TAR」感想:答えが人を巻き込むSNS時代に、クラシックはどう問いかけるか?

          私たちが「怪物」にならないために

          ちょっと物足りないな。 私は坂元裕二作品が大好きだ。だから今回、私は是枝裕和とのタッグを組み、何だか大きな賞をとったという話に期待を膨らませていた。そしてそんな私が作中と同様の土砂降りの中映画『怪物』を鑑賞しに行って思った最初の正直な感想はそんなものだった。 その「物足りなさ」を振り返った時、『怪物』には坂元作品の特徴とも言える巧みなセリフ回し、SNS上で言うところの”名言”が少ないことに気がつく。 上記を始めとする私の好きなセリフたちは、この言葉に心を動かされたこと、

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          エルピスが描かなかったもの

          私は『エルピス』を実家で常に流れていたいわゆる2時間ドラマとの比較で観ていた。我が家では母親の趣味から四六時中各局のサスペンス、刑事ドラマ、探偵もの、〇〇の女、そして冤罪物といった2時間ドラマといわれる類のドラマが再放送なども含めて常に流れていたのだ。その中でも冤罪物は、よくある展開で、刑事、弁護士、検察官、裁判官、新聞記者、主人公たちの立場はそれぞれあれど、いわゆる"99.9%"の壁を越えようとする多くの物語が紡がれてきた。 そういった物語を踏まえた上で『エルピス』を観て最

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          藤本タツキが描くもの〜虚構と現実のウロボロス〜

          1.はじめに  藤本タツキの作品を読むとき、思い出す記憶がある。それはおそらく中学生の私が同級生とある作品について授業内で討論をしているシーンで、『愛のサーカス』というその作品のあらすじはざっと以下の通りだ。(なお、当時の教科書はすでに手元になく、書籍も絶版になっているようで手に入らなかったため、純粋な記憶により記述している。細かい部分の齟齬に関しては許されたい。) ある町に来た貧しい少年が、その町の中で町の人々と交流をしていく。様々な出来事から少年と彼らとの間に信頼関係

          藤本タツキが描くもの〜虚構と現実のウロボロス〜

          帰り道につらつらと

          私にもこんなに怒ることがあるのかと歩けば歩くほど増していく怒りを胸にふと思う。 弱さを想定しない人が嫌い。弱さなんてないみたいに自己責任に全て回収させようとするシステムを構築した奴らが大嫌い。それで弱いがゆえに泣く人の存在にすら気がつかず、あいつらは笑ってるんだ。例え何人救っていようとそういう涙を自分の責任として引き受けようとしない人は、誰かの上に立つべきじゃないと思う。「協調性」?「頑張って」?「協力」?ふざけんな。そんなものなくったって上手くいく方法を考えろよ。それらが足

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          ヒロアカと呪術のはなし

          『呪術廻戦0』についてのこの随筆は、「純愛だよ」と言い放った主人公乙骨の話に続いていく。「正しさ」なんてないと開き直るニヒリズムや暴力の理由を大義名分に押し付けず、自らのエゴとして引き受けるその姿勢はかっこいい。そして強い。とてつもなく。 でも私は万人を救う「平和維持装置」であろうとする、そうであろうとしたキャラクターたちのことを考えてしまう。 それは例えば五条悟。 五条が「平和維持装置」とは意外かもしれない。彼はまさしく「天上天下唯我独尊」、わがままで暴力的でエゴのかた

          ヒロアカと呪術のはなし

          なぜ阿良々木暦は羽川と付き合わなかったのか

          物語シリーズ最大の謎と言ってもいいだろう問いについて。 阿良々木暦は、春休みに羽川から助けてもらい、その後羽川への恋心を自覚する。 だが、彼は結局その恋心をなかったことにする。決定的になるのが以下の忍野との問答だ。 ここからわかるのは、阿良々木は羽川への恋心をなかったことにするのが、①一番幸せだと感じたということ。②羽川から直接助けを求められていないことを気にしているということだ。この「幸せ」と「助ける/助かる」という問題は物語シリーズを通じて幾度となく語られるテーマだ。

          なぜ阿良々木暦は羽川と付き合わなかったのか

          今年の抱負

          今年の抱負。 「それでも卵の側につく」 もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。 そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。正しい正しくないは、ほかの誰かが決定することです。あるいは時間や歴史が決定することです。もし小説家がいかなる理由があれ、壁の側に立って作品を書いたとしたら、いったいその作家にどれほどの値打ちがあるでしょう? そういったのは村上春樹だ。 それに対し

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          何でもない日に東北について考える

          今日は2021年10月17日。東日本大震災から10年7ヶ月と6日。 「あの日から何年」そういって節目の日にだけ、ファッション的にテレビやSNSで語られる震災の話は、なんとなく苦手で。 だから特に節目でも何でも無い今日に「東北」について考ようと思った。 先にいうと、私は東北になんのゆかりもない。 津波に流される街はテレビの中の出来事で、原発問題は受験問題の論述のテーマでしかなく、行ったのは3年前のいわきと2年前の双葉(福島第一原発)、今年の仙台の3箇所だけだ。 だから、当事者

          何でもない日に東北について考える

          【進撃の巨人、呪術廻戦、ほか】リトル・ピープルといかに向き合うか

          1、「リトル・ピープル」の時代「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」 そういったのは作家の村上春樹だった。「壁」とは私たちの前にそびえるシステムのことであり、「卵」とは他ならぬ私たちのことである。だが一方でこの言葉をして以下のようにも言われる。 壁=システムは、私たち=卵が築き上げたものだ。それも、私達が生き延びるために必要に応じて築き上げたものだ。システムに支配されないために必要なのは、壁=システムは私達の外側ではなく、内側

          【進撃の巨人、呪術廻戦、ほか】リトル・ピープルといかに向き合うか

          「書く」ということ~ちょっと暗くて重いけどEpisode 0的な話~

           単純に、社会人を前にして「書く」習慣は大事だよなと思ってnoteを始めたのだけれど、そうやって始めたnoteの下書きにあった、多分1〜2年前の私の書いた駄文。供養の意味を込めて。 わたしは「書く」こと、「伝える」ことが怖い。だけどそんな私が「書こう」と思ったそのいきさつを最初に書いておきたい。 小さいころから本を読むのが大好きで、人に話をするのも大好きだったわたしは「書く」こと、人を感動させることにあこがれた。たぶん、強烈に。だけど私には才能がなかった。いままで20年近

          「書く」ということ~ちょっと暗くて重いけどEpisode 0的な話~

          好きなもの

          「好きなモノについて書け」と言われたら、人は何について書けばよいのだろう。ぱっと思いついたのはふたつ。 その1、興味関心としての「好き」。わたしの場合は、19世紀ロシア文学、民藝、坂元裕二脚本ドラマ、シャフトアニメ。こんな感じか? 作者はこんな人で(ソース)、こんな所がすごくて(ソース)、こんなメッセージを読み取れるのだあああ。(ソース) ...こういうのをウィキナントカと呼ばなかっただろうか。 その2、推しとしての「好き」。歌手だとポルノグラフィティ、女優だと満松た

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