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オリンピックは終わったけれど、人生は続く

オリンピック(夏季・冬季問わず)が終わってしまうと、
ニュースからオリンピックの話題がほぼ消え、私は『残暑に差し掛かったなぁ』と思う。
夏の高校野球が終わってしまうと、『ああ、夏も終わったなぁ』と思う。

熱心に見ているかと言われればそうではないのだが、風物詩的に。
そして南の島は気温的にはまだまだ夏なのだけれど。


書く部のお題ライブラリにこんなお題が置いてあった。

【あなたのライティングを五輪競技にたとえると?】

なぜ五輪の饗宴が終わってからこのお題に惹かれたのか自分でもよくわからない。旬ではないと思う。
でも、【書いてみたいな】と思った時が書きどきだと思ったので
ちょっと考えてみる。


パリオリンピックで私が何を観戦していたか思い出してみる。 

私が五輪で何を観戦していたか
・開会式
・男子体操
・男子バレーボール
・水泳
・競歩
・柔道団体
・ブレイキン少々
・卓球団体
・女子バドミントンペア

こんな感じだろうか。
今回は時差の関係や子育てタイムの関係であまり多くの競技を観られなかった。
女子バレーや男女バスケットも観たかったんだけれど。
少し物足りないながらもメダルにつながる場面を観られたり、惜しくも敗れてしまった場面を観られたり。
選手の笑顔も涙も美しく、尊いな。だからみんなオリンピックが好きなんだななんて一介の主婦は思った。

そして、思いだせる範囲で私のライティングを競技に例えてみる。

・・・・まず、バレーボールやバスケットボールとか、チームでやる球技ではない。
実際にやるのも得意ではない。私は、運動の才能が皆無であります。
特に球技。バレーやバスケは突き指を恐れて(ピアノやってたので)あまり授業でも積極的にやらなかった為ボールが怖く授業中は【いかにボールに触らずに時間を過ごすか】に能力を割いていた。
高校の【新入生歓迎球技大会】がバレー一択なのにも大きな疑問であった。
球技大会じゃなくてバレー大会でしょ。15歳の私はそう毒づいた。

バドミントンは空振りし、ラケットの芯に当たっていない【カン♪】という音を連発させる。

そして、【チーム競技】はメンタル面でも私には向いていない。

人に気を使い、たまには衝突を恐れず、お互いを高め合う。

。。。できなくはないかも知れないが、それがずっとだと私は酸素不足に陥ってしまうかも知れない。
気を遣って引退しそう。←

でもチーム競技を観戦するのは好きだ。
バレーとかバスケとか、チームの和が見られると嬉しくなる。
それもまた尊いななんて思う。

話が少し逸れてしまった。では、格闘技でもない。私は誰かと闘うためには書いていない。(たまに自分と闘うかもしれないが)

陸上競技だとマラソンとかかもしれないが、根性はないので例えられる度胸がない。

個人で、できれば表現をできるものだと嬉しいなと考えたところ・・・

夏だとアーティスティックスイミングのソロとか、
新体操の種目だろうか。
冬ならフィギュアスケートとか。

(今大会、アーティスティックスイミングのソロは無かったみたいです。
ペアかチームかだったかと。そして新体操は日本選手の出場は無かったようです。残念。。)

いずれもスポーツでありながら【美の表現】ができる。すなわち芸術的な面があるのだ。

水中で、床で、氷上で、ひとりで。
己の持てる表現を、己の持てる全ての技術で行うのだ。

よくも悪くも全てが己の責任である。

それはとてつもない重圧で、とてつもない自由だ。

でも、競技の時はひとりでも、水や床、リンクを離れたら仲間がいる。

たまには団体戦なんかもあるかもしれない。
そうすれば己の力をチームの力とすることができるであろう。
誰かの素晴らしさを共に喜び、誰かの苦しみを共に分かち合い、励ますこともあるかもしれない。

私はたったひとりで書いている。でも、ひとりで書いているわけではない。
禅問答みたい?笑

自分と周りの人との喜怒哀楽に光を乗せ、書く。

そしてそれをいいねと言ってくれる人がいる。

それを繰り返している限り、私はひとりだけどひとりじゃないのだ。

アーティスティックスイミングも新体操もフィギュアの選手も、
もしかして『うん、そうそう!』て言ってくれるだろうか。
言ってくれたらめっちゃ嬉しいけどなぁ。

なんて妄想しながら、今日はここまでとする。
お付き合いいただきありがとうございます。
残暑に差し掛かってきたとはいえ、暑さが続きますね。
シャインマスカット食べてくださいね。


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