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文字で今を残すこと


noteを始めたきっかけ、数ある一つの話。


今や昔と違い、メディアを閲覧できる端末が進化してきたことに伴ってコンテンツもリッチなものが主流になってきた。

VlogやYoutubeなど動画ストリーミングで発信することも簡単な現代。

そんな時代にあえて“文字”だけでLogを残していくことにどんな意味があるのか。




レガシーな技術というのは時に「まだそんな時代遅れのものを使っているのか」などと揶揄されがちだが、そこには大きなメリットもある。

それは「枯れた技術な故に安定しており、ノウハウも容易に入手が可能」なこと。

誰もが持っているスマホで電車に揺られる間暇を潰す現代人。
その中にポツンといる、文庫本を片手に佇むハットを被ったお爺さん。
そんなイメージ。




文字だけってことは、視覚や聴覚などの情報の全てを明かしてはいない、ってこと。

想像の余地を残して、見た人に色々補完してもらう。

過去の歴史を紐解いていくのが面白いのって、こういうところなんじゃないかなって思う。



別に自分の存在を大きく見せたくはない。

けれど、世を去る前に私の生きた証というか、Logみたいなものを残しておきたい。

誰かみてくれる人がいるかどうかはわからない。

残す価値があるかもわからない。




誰でも残せる・見ることのできる簡単な方法で、

独りよがりな主張を残すこと。

気恥ずかしい気もするけど、

なんとなく、これが一番私らしい気がするから。

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