人形浄瑠璃文楽にハマる理由のひとつ
Twitterで文楽の感想に「倒錯」という言葉を使ってる方がいました。
確かに!と。
ほんと…
この倒錯感、何かに似てる…とずっと思ってたのですが
シュルレアリズムっぽいと気づきました…
まず、黒衣さん。
顔を完全に隠してるって、何故か受け入れてるけど、地味に倒錯してる。
例えばシュルレアリズムのルネ・マグリットのこの作品を見た時の不思議な感覚。
ルネ・マグリットは顔がない人間の作品が他にもたくさんあります。
現実と虚構の境界線を浮き彫りにする作品群ですね。
文楽の舞台には、そんな顔が見えない黒衣さんが十人以上出てきたりする。
そして、人形は胴体はなく、着物で覆ってるだけです。
マグリットの作品「魅せられた領域」の感じと似てるなぁと。
そして、シュルレアリズムの中には、人形や人間を解体する作品もあったりします。
これなんか特に。
人間の性なのか、人間の身体が分解してる視覚イメージって、根源的な恐怖を感じるわけです。
子供の頃、人形の頭や足が取れてしまったとき。異次元の世界に迷い込んでしまうようで、怖くて泣いたりしなかったでしょうか…
人形のかしら(頭部)と、腕、足が解体されてる楽屋写真とか、人形遣いさんが、かしらの動かし方の解説をしてる写真とか…
この恐怖に一瞬だけ触れる感じがするのですよね。
怖いはずなのに、一瞬だけ触れることが快楽になってる、という。
ちょっと倒錯感があります。
そして、人形は、人間ではありえない動きをします。
見始めの頃は「人形が人間っぽい動きをすること」を愛でるのですが、その後にぐいっと惹かれていくのは「人間ではありえない動きをする」部分のように思います。
本来は、人間でありえない動きって、見ると恐怖なわけですよ。
でも、その要素があるから惹きつけられる。
シュルレアリズムの引力と似てます。
そんな人形の世界で、心中や、殺人を描くわけですからね。
確かに倒錯感あります。
一般的に、文楽を見てるというと「教養がある」とか思われるわけですが、教養を嗜んでると思わせて、陰で倒錯感を味わう。
こう書くと、とてもエロティックな感じになります。
もちろん笑ったり、ほっこりするシーンもありますが。
もしかしたら、振り幅が大きいということなのかもしれません。
自分の中でちょっとだけ言語化できて、スッキリしました…!
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