令和6年初春公演「平家女護島」 国立文楽劇場
配信で視聴しました。
近松門左衛門作の時代物です。平家への反逆の罪に問われ、配流されたまま許されなかった俊寛僧都の悲劇を元にしたお話。絶海の孤島に一人取り残される流刑人の姿を描いたものです。
初めて文楽を見た時の演目なので思い入れがあります。今回で3回目。名作として残っているだけあって、初心者が見ても衝撃があるし、複数回見ても新たな味わいや発見があります。
▼文化デジタルライブラリーの作品解説
そして、演者さん達にとっても非常に難易度が高い演目のようで、この演目を配役された重圧は、インタビューなどで目にしました。
以下、吉田玉男師の産経新聞のインタビューからの引用です。
生涯成長の「二代目」が達した芸境 人間国宝に認定の文楽人形遣い・吉田玉男 - 産経ニュース (sankei.com)
主人公俊寛が登場する冒頭のシーン。「もとよりもこの島は、鬼界が島と聞くなれば、鬼ある処にて、今生よりの冥途なり」という詞章(語り)で始まります。太夫の語りと三味線だけで、絶海の孤島という荘重な世界を作り出すということで、緊張感と集中力が凄まじい演奏でした。
近松門左衛門が引き込む究極の孤独と絶望 文楽「平家女護島」 - 産経ニュース (sankei.com)
燕三さんが三味線だけで荒涼とした風景を描写できるのに恐れ入り、織太夫さんの集中力、終盤の緩急など、これは劇場で聞いたら圧巻だっただろうなぁと・・・。配信でも容易に想像できます。
そして玉男師の俊寛。まず、普通の人形と違い、飢えに苦しんだ人間の手足です。配信なのでアップで見られるので初めて気づきました。かしら(人形の頭部)は同じものを他の配役でも見たことがありましたが、手足は、餓死する寸前のようなあしらいになっていました。
立ち回りで刀を振り回す時に上着を脱ぐと、胴体が薄い・・・。だいたい主役級の男役はがっしりした胴体なのが普通なので、あまりの身体の薄さに切なさが込み上げました。妻を殺された恨みや、慈悲のない敵役に対して弱った身体で切りかかり、若い夫婦の未来のために自分が罪を犯す、という場面。孤島にひとり野垂れ死ぬ運命を受け入れて、最後の力を振り絞って人間としての誇りを示した姿に涙しました。
船が去った後に一人取り残され、孤独に耐え切れずに岩によじ登るのが最後の見せ場。
「思い切っても凡夫心」
という印象的な詞章。覚悟を決めたつもりが、絶望に耐え切れずに船に向かって叫ぶ姿が涙を誘います。
もとはといえば、俊寛は高位の僧侶。一人残され、今となっては高い地位に見合うふるまいをする必要もなくなったわけです。船が来る前に仲間の若い流刑人に対して「父親」と称して語らう姿とは対照的な哀れな姿。惨めさを隠しもせず、本性を出して全身で嘆く姿を見ながら、「凡夫心」という言葉の意味に思いをめぐらせました。
史実を元にしつつ、新たな設定を加えてこういった話に仕立て上げる近松門左衛門の脚本。こうした名作を見ると、やはり天才だなぁと慄きます。ストーリーだけでも十分引き込まれるし、詞章を読むとさらに文章の素晴らしさを発見して一段味わいが深まります。
私はまだ詞章を耳で聞いて味わえるレベルには至っていないので、この先何回も楽しめそうな演目だと思いました。
▼初めて鑑賞したときの感想
竹本織太夫さんのポスト
https://x.com/bunrakunosusume/status/1753382824080769107?s=46&t=HlEy9b-rCvdEzwuj1M6irw
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