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アゲハチョウの飼育。巣立ち直後の事件に、我が子を想う。

子どもがいる家庭は、一度は経験するであろう虫の飼育。中でもポピュラーなひとつが、チョウの飼育だ。2児の母である私もまた、挑戦しては失敗しを繰り返している。小さな生き物を育てさせてもらうことで、生死そのものや自然の摂理を学ばせてもらっている。

一方で、チョウの飼育で経験した行き場のない気持ちがうまれている。この不思議なザワザワした想いはなんなのだろうか。過去の体験も含めて、紐解いていこう。

二度の失敗。生かしてやれなかった罪悪感とその傲慢さ

「また、死んでしまった…。」

今から7年ほど前のこと、アサギマダラの飼育セット(by 虫とりのむこうがわ。(現:空から蝶))を取り寄せた。

ちょうどクリスマスイブの夜のことだった。飼育ケースをじいっと眺めながら友人と電話で話していると、突然アサギマダラの幼虫が、まとっていた黒い衣をバサっと脱いだ。

うにょうにょ、どぅいんどぅいん。

エメラルドグリーンの物体が奇妙な動きをしている。私の胸はどくんと高鳴る。凝視していると、あれよあれよという間にサナギの形におさまった。

世紀の瞬間を目の当たりにし、私は静かに興奮した。あとはチョウになるまで待つのみだ。

飼育ケースのサナギに、毎日毎日がんばれと声をかけた。かなりの時間、ケース内を眺めているので、当時6歳の我が子には心底呆れられたような記憶がある。羽化を心待ちにした。

ついにその日は来た。出勤前にケースをのぞくと、サナギから出ようとしている。そのまま観察していたかったのだが、この日は平日、仕事があった。後ろ髪を引かれながら、家を出た。

足早に帰宅する。羽を少し広げかけたまま、ケースの底にチョウが落ちていた。指で撫でるもピクリとも動かない。命が尽きていた。この時の大空に還すことができなかったショックは相当のものだった。当時白黒思考だった私は、自分がチョウを育てる資格などないと思い込み、しばらく虫の飼育体験から遠ざかることにした。

その日から5年後。夫が栽培するミカンの木にアゲハチョウの幼虫がついていて駆除する。「アゲハチョウになるんやで」と当時4歳の子どもに伝えると「そだてたい!」と言った。悪夢がよみがえる。羽化直後のアサギマダラの屍を、私は鮮明に覚えている。しかし、子どもと一緒にもう一度チョウの飼育にチャレンジすることにした。

たらふくミカンの葉を食べたらしい、モンちゃん

幼虫に、モンちゃんという名をつけた。フレッシュなユズの葉をたくさん与え、もりもり食べ、モンちゃんはまるまると太っていった。

ケースの外をのぞきこむ姿が、なんとも愛おしい

アゲハチョウの幼虫はサナギになる前兆として、水様便をする。それを確認した私たち親子は、急いで近所のスーパーに走り、段ボールをもらいにいった。

アゲハチョウの幼虫はサナギになるとき、サナギなるお気に入りの場所を決めるため、どこがいいのかととにかくウロウロと歩き回る。あまりに動きに落ち着きがないので、まるで失恋をして戸惑っているかのように見えて、ちょっぴり切なくなる。ついに場所を決めると、前蛹(ぜんよう)を経てサナギになり、約10日間に渡りチョウになる準備をする。

サナギになる前の「前蛹」という状態。
しばらくすると“ザ・サナギ”に変わっている
サナギになった場所に合わせて擬態するのか、色も茶色に変わった。賢いなー

しかし、モンちゃんはサナギから羽化することはなかった。二度も続くと、さすがにショックだった。泣きながら、土に還した。

何がいけなかったのだろうか。どうしようもないことをぐるぐると考える。改めて切り替えて、ググってみる。卵からチョウになる確率は、100頭中0.6頭といった調査結果もあるようだ。小さな幼虫のままカエルに食べられたり、サナギの状態で寄生蜂に襲われたりなど、自然界で生き抜いていくにはもはや“運”しかない。

「おい、人間さんよ。たった1頭死んだくらいで泣いてんじゃないよ。ボクたちはこの運命といつも紙一重なんだから。」とチョウに頭を殴られた気分になった。1頭1頭が、生を全うしている。ただ、それだけのこと。

私が無意識に抱いていた虫など小さな生き物への傲慢さを思い知り、消えてしまいたくなるほど恥ずかしくなった。

ついに羽化に成功。しかし、我が子は突然襲われる

ミカンの若い芽を食い散らかす幼虫。葉を揺らすと黄色い触手を出して威嚇してきた

翌年もミカンの葉についたアゲハチョウ幼虫を駆除し、そのまま飼育することに。自然界の命の在り方に触れ、ありのままのプロセスを受け入れようと、目の前の一個体に気負うことはもうやめた。しかし、愛情をたっぷり注いで飼育することは、なんら変わりない。

2〜3日に1回、エサのためにユズの葉を調達に行く。毎日大量にフンをするので、飼育ケースの掃除は欠かさない。そして、やわかくなめらかな体をなでなでさせてもらう。ふわふわで気持ちよく、今5歳の娘がとても気に入って毎日愛でている。幼虫は、きっと迷惑がっていると思うけれど。

機は熟し、幼虫は水様便を出した。

前蛹になる前に“イナバウアー”のようなポーズをとる。「ボク、サナギになるよ。見てて」と眼差しを向けられているようで、マジかわいい。
無事に前蛹になり、サナギへと形を変えた

5/26に前蛹になり、翌日はサナギに。そして15日が経過。6/10の朝、段ボールをのぞいてみると、そこには前日にはいなかったアゲハチョウが羽を広げていた。

純粋に感動する

ゾクゾクした。ついにチョウになるのを見届けることができたのだ。おめでとう、おめでとう。そして、ありがとう。

うれしい。こんなに穏やかな気持ちに包まれるのか。我が子を育て上げたような錯覚になる。しかし、すぐにお別れだ。空に放たなければならない。

でも、その美しい羽を羽ばたかせて、なかなか飛ぼうとしない。まだ羽が濡れて重たいのか、はたまた臆しているのか。

ナウシカさながらに「おいで」と人差し指を差し出し、そのまま空に仰ぐ。飛んだ・・・!

ステンドグラスのような華やかさ

しかし、庭木に止まったまま動かない。しばらくそっとしておくことにした。

遅く起きてきた夫にアゲハチョウの羽化を報告すべく、庭木をもう一度確認してみる。ん?どうも様子がおかしい。1頭増えている…?

どうなってるの? 普段全然見ないのにどこからきたの?

どうなっているのか、遠目ではさっぱりわからない。近づいてよく見てみると、逆さになった別のチョウがぶら下がっているようだ。

天塩にかけて育て上げた我が子が、巣立った直後である。体中に電気が走る。ザワザワした気持ちがうごめく。

「まさか…」

交尾していた。

交尾したまま飛び、ブロックに止まっていた

自然界では当たり前のことなのだろう。いやしかし、私の中では、羽化したばかりの我が子同然のかわいい子。バイバイと手を降って1時間も立たないうちに、オスにいきなり襲われてしまう。思考が追いつかない。

交尾。生き物にとっては、命をつなぐリレーだ。種を残していこうとプログラムされた、尊い営みだ。

わかってはいても、人間としてのドス黒い気持ちが渦巻く。これが人間の我が子だったらどう対処すればいいのか。ひとり立ちした直後、こんなふうに変な輩に襲われてしまうことがあったらどうしたらいいのか。

せっかく羽化を見届けられたというのに、切ない気持ちに襲われる。一方で、自然界で生きるしたたかさを改めて突きつけられる。

チョウの飼育は、成長のプロセスを観察できる喜びをはじめ、「命とは、生きるとは何か」を教えてくれる。大げさだけど。

子育てに似た、さまざまな気持ちを経験させてもらえる。子どもにも命の重みを身をもって伝えられる。幼虫を見つけたらぜひ飼育にトライしてみてほしいと思う。


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