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学校に行かない

いつもなら、見送るわたしを振り返り「行きたくないな」とワンチャン狙いで言ったりするのに、丸くなった背中は何も言わずに玄関のドアを開けた。小股で三歩進んだその先で、固まり動かなくなっていて、後ろ姿がかすれて見えた。今にも消えてなくなりそうで、胸の内の赤信号が点滅した。行かせてはならないと警告してくるようだった。

「学校、行かなくていい」

わたしの声の方を辿った息子は、今にも泣き出しそうな顔で、うつむいた口元は小さくありがとう、と呟いた。


教室の騒々しさと、注目を欲しがるヤンチャなあの子が耐えられないと吐露した息子に、学校に欠席の連絡を入れるからねと告げたら顔を緩ませた。一昨日休んだばかりだったので、今日は登校しようと決めていたらしい。2日前に買って放置していたトマトの苗があったので、それを一緒に植えようと誘ったら声色も元に戻ってきて、わたしは安堵した。

学校で過ごす日中、感覚過敏の、ひときわ聴覚の過敏さに、息子は足を引っ張られてしまう。教室のザワザワした音や誰かの怒鳴った声、そしてちょっかいを出してくるあの子とか。気になる周りの音や声を次々と拾ってしまうことも、ひょっこりやってくるヤンチャなその子に対しても、器用に立ち振る舞うことが出来ずにいた。それだからか、帰宅したと思ったら一日中我慢していたことへの不平不満を並べることもあって、そういうときの息子はいつになく饒舌だった。そんなに苛々していたら授業など頭に入らないんじゃないのかと聞いてみたら、予想通り右から左へスルリと抜けていったようだった。「まったく」と頼りない返事が返ってきて、やっぱりねと思いつつ、まあ、そうなるよね。

息子の百ゼロ思考と、ヤンチャなその子とではとても折り合いが悪かった。そこに聴覚過敏が拍車をかけているのだから、辛いと言う息子の話は理解できた。だから思うところはあるのだけど、学校は行けるときに行けばいいと思うことにしている。学校に行って体調を崩すくらいなら行かなくて、いい。


思えば小学校に上がる前、「この子は学校にいる間は苦労するかもしれません、だけど無理に登校させたらいけませんよ」そんなことを支援者の一人に言われて、納得はできなかったのに分かったふりをした。来月には夢も希望も乗せて小学校に入るという子に、これから苦労しますよと告げてくるのは如何なものか。ちょっとモヤモヤして、心地が悪かった。


晴れて一年生となった息子は、学校が近づいてくると近くの電柱にダッコちゃんポーズをして、しがみついて離れなかった。それは入学して一週間で起こったことで、それにしても随分早い登校拒否だなと思っていた。だから、「教室まで来れそうですか、遅刻してもいいですからね」「今日は帰宅した方がいいと判断しましたので、早退させますお迎えに来て」と徐々に慣れていけばいいんだと言って下さる先生がいたことは、大変ありがたかった。

なかには息子のためという名目で、引っ張ってでも連れて来てという先生や、このくらい我慢できないと将来困るよと言ってくる先生もいた。それがどうにもわたしには好きになれなくて「登校は子供の様子を見ながらすればいい」という信条を、そこそこ貫けているところは、自分なりにわりと気に入っている。

すんなり学校を休ませるわたしは変わり者かもしれないけれど、息子は「ありがとう」と言って安心した顔をする。それで満足。ズル休みとは違うんだから、休むときは堂々と休んで。そういえば、入学前に言われた「学校は無理して行かせないで」と伝えてきたあの支援者は今となっては真理だったと、息子を見ていて思う。

休みながら、溜息をつきながら過ごす我が子に、願うことは一つだけ。親はいつでも貴方の味方なのだということ。忘れずにいて欲しい。


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