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療育園の人

息子が4歳になる少し前のとき。わたしは息子と、障害児施設である療育園に母子通園することになった。

息子の発語は片手で数える程度で、時々わたしの腕を押すようにして空中にブンと放る。これがあの有名なクレーン現象なのかなと、なんだかワクワクして様子を伺うのだけれど、何かが違う。腕を引っ張ると聞いていたのに息子は引っ張ってはくれない。宙に浮いたわたしの腕の先には何もなく、この腕の行方は始末が悪い。何をして欲しいのか想像の範囲を超えないけれど、一か八か棚からお菓子を引っ張り出し、それを右と左に一つづつ持って

「これ?」

息子の方に向かって聞いみたらそっぽを向かれた。どうやら、たべっ子どうぶつと苺のポッキーはハズレらしい。

息子の思いも汲んでやれず、言葉のキャッチボールをたしなむキラキラ親子にもなれず、何者にもなれそうになかった、そんなときに。

役所の人が療育園という施設があるんだけどね、と紹介してきた。そんなところがあることを知らなかったわたしは飛びついた。

「一度見学に行ってみてはどうか」

この提案には願ったり叶ったり。

「はい、よろこんで」

と心で頷き、一も二もなく行きたいですと返事した。

息子に診断が下り、障害児だと分かって、少しずつ特性やらなんやらを知っていくうち、これってだいたい息子のこと言ってるよねと思うことが増えていった。息子の取説を読んでいるような記事を辿っていくと、ほらもう心当たりだらけで、ここに書いてあること全部わたしの息子のことなんですと声高らかに言いたくなる。これじゃあ診断がつくわけだ、言い逃れなんてできるわけない。

走り回って止まらない多動息子と、お天道様の下で我が子の尻を追っかけ回して乾ききった、干物になった自分。一人遊びに精を出す息子は家にいても忙しそうで、わたしの声は届かない。まいったな。この状況が少しでも変わったらいいのにと、そんな期待を抱えてくぐったのが、療育園の門だった。

通園は週に1回。お母さんがつらいときや、気分が優れないときは休んでいいんだからねという、緩やかなルールで始まった。

いつも行く公園はそろそろ行きづらくなっていたから、通園の話はほんとうに万歳するくらいに喜ばしいことだった。誰に話しかけられてもスルーする息子とその息子を追いかけるその親。ちょっと変わった私たち親子に向けられる視線が、黒い目から白い目に変わっていった頃だった。

「あの子なんか変だよね」

背中越しに聞こえるその声に気づかないふりをして、そのママ達の横を走り去るときは毎度心が千切れそうになる。遊ぶ場所を別の公園に変えたり、家に引きこもったりして、そうやってなんとか自分の心を保つのだけれど鬱々とした気持ちは深く深く沈んでいった。

それなのに療育園の先生は、旦那さん以外で誰か頼れる人は身近にいますか、とか、いま困っていることは何ですかとか、頻繁に尋ねてくれるので目頭が熱くなるのは恐らく自然なことだった。わたしはギリギリのところにいたらしい。だから少しだけ園に慣れてきた頃の面談で、

「私達はお母さんを一人にはしないからね」

先生にそれを言われて、涙腺は決壊して目から鼻から流れ出すのに、更に溢れて流れていった。涙なのか鼻水なのかどっちもなのか、それは次第にマスカラをさらいアイラインはぼけて歪んで散々な有様。覗き込んだ鏡に写った醜い顔にぷっと吹き出す。誰なのコレ、そこにあるのは汚い顔した自分だった。それなのに何故だろう、豪快に泣いた自分はどうしてなかなか清々しくて嫌いじゃなかった。

『もう少しだけ、もがいてみよう』

療育園というところが、主成分優しさでできていることを知ってから、癇癪がつらい、意思疎通ができなくて苦しい、そういった「本音を吐いてもいい場所」なのだと悟ったとき、第三者に聞いてもらうことでこんなにも心を軽くすることがあるのだと知った。だれに相談したところで、どうせ親の躾がどうのとかそんな話になるんだろうから、それならもう口を開けるもんかと意地を張っていたのに。


療育園のママ達が同じ障害を持つ子の親で、子の年齢が近いこともあってか悩みもわりと似通っていた。それがわたしにとっては幸いだった。なんでどうして肩身の狭い思いをしていることや、自分の子なのに通じ合えないもどかしさとか、鬱憤を口々に言い合えたのは有り難かった。そして「ね!ほんっと大変!」とみんなで大合唱する空間が、心地良かったんだ。

一般的な成長曲線から何歩も遅れをとる我が子の発達を、頷いて真剣に聞いてくれる人達の柔らかさと大らかさ、それらが無数に散りばめられていた場所、療育園。温かな言葉を幾つもくれた先生と、同じ気持ちを共有できた戦友達。

先日スーパーの駐輪場で、療育園でよく話していたその一人を見かけた。隣にはわたしの知らない人が立ち、互いに気を許し合う姿を目にしたので、静かに二人を背にして立ち去った。久しぶりに見るその人は、遠くからでも朗らかで元気な様子を伺うことができた。初夏の柔らかな陽射しのような人で、子を守る芯の強さも持ち合わせた人。あの横顔を垣間見れて良かった。きっとあるだろうその後ろに潜む心配事を推し測れば、次々に出る尽きない不安も、言い表せない切なさも想像できる。それも全て引っ括めて、 あの横顔に会えて良かった。元気な姿を知ることができて心がフワっと軽やかになった。わたしはあの頃の療育園のことを思い浮かべ、少しだけ目を細めた。


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