息子小1、母親になれた日

それまでは何をしてもどうやっても寝つかなかった息子が、それはもうスヤスヤと眠るようになったのは小学校に入学してからのこと。

「ママ、一緒に寝よう?」

リビングのドアを開けたところで目をこすり、蚊の鳴くような声でママ、と囁く。シンクにたまった食器を洗っていたわたしは、その手を止めた。

「すぐ行くからね」

この皿までいっちゃおうと、また手を動かしたら戻って来て体を半分だけこちらに見せて、ママ、と呼んだ。寝落ち覚悟でキッチンを後にし、息子と一緒にベッドに入る。本日二度目の寝かしつけは、あっという間に夢の中へ。背中にリズムを刻む憧れの寝かしつけは手中にあった。もう睡眠障害に怯えることはなかった。

小学校という新しい環境に身をおいた息子は、環境の変化に弱いこともあって少々荒れた。いや、だいぶ荒れた。支援学級に籍を置いていた息子は付添い登校がルールとなっていたために登校班には入れなかった。そのため朝も帰りも親のわたしが付き添っていたのだけど、学校に行くというこれまで経験したことのない大きな変化に、息子の心はついていけずにいたためか。昨日のあれが嫌だったとかママがこれをしたから頭にきたとか、それはそれは立派な当たり屋と化して難癖をつけてくる。入学前には多方面に入学相談を持ちかけて、予測できる準備はしていたのに、これがほんとうに想像以上で理不尽極まりなかった。それでもわたしだから当たってるんだよね、わたし以外には気持ちをぶつけるところがないからだよね、環境の変化に戸惑っているのは息子本人なんだよねと耐えました。なんとか。

登校中の息子といえば、黙りこくっているかわたしへの文句を一方的に連ねる始末。下校中はポケモンの話を繰り返して話すし、何回同じ話をしていたんだろう、帰路だけで両手両足では足りなかったんじゃないの、あれは。毎度毎回の同じ話に飽きないのかなと思いながら、それが安心に繋がっているんだろうと勝手に勘ぐって聞いていました。あとから知ったのだけれど、聞いているこちらがつらい時は話を変えても問題ないそうで、それならそうすれば良かったと、その後はこちらから話題を変えることもありました。会話と言っても往復しないので、だからこれは質問と応答なのだけどこれはどうなのかしら。一問一答のクイズのよう。それでも答えてくれたり、話しかけてくれるようになったことで、息子が抱えている見えそうで見えない何かを、共有できているようで心が踊った。
 
それにしても環境の変化を甘く見ていた。不安の塊のような息子はいつも怒っていて、宿題をするのに筆箱から鉛筆を出したらそれが転がってテーブルから落ちたから御立腹。拾って渡すも落ちた事実に御立腹。何か言えばまた怒るし、嫌だもうこっちが泣きたいんです母は。

それでも夜になると、ママは僕と一緒に寝るんだと言ってくる。

「今日はパパと寝よっかな〜」

ちょっと意地悪を言ってみるもダメだと言う。

ママは僕と寝るんだと、それまで仲良く遊んでいたパパをベッドから追い出す。ねえ入れてよと夫も粘るのに、息子は「出ていって」の一点張り。酷くない?と言いながらパパは自室へ去っていった。

「ママがいいの?」

そう聞くと、

「うん」

と息子。

何このやり取り、ママじゃなきゃダメなんだって。うわあ、こんな日が来るなんて。夢かな、夢かもしれない。日中あんなに荒々しいことを言っておいて、ママがいいんだって。ふふ。パパは可哀想だけど、ママはね顔がほころぶんだよ。やっと息子に必要とされてるんだと思えたから。それだけで流した涙も無駄じゃなかったんだと思えたから。子供の言葉は不思議なものです、際限のないパワーを秘めている。

ベッドに入り入眠までの時間は、多動の息子がその場所から何処へも行かない貴重な時間。その日の学校の様子を振り返るのにちょうど良かった。思い出せないことも多かったけれどそれでいい。内容もチグハグだし、言葉を正しく言えてもいなかった。これも相手に伝える練習。何事も少しずつ、一歩ずつ。

子供は3歳までに親孝行をするらしいけど、息子はそれが7歳だった。それもまたいい。夜になると息子からベッドのお誘いがきて、ピロートークするあの空間は可愛いだけの我が子を独り占めできる特別な時間だった。あれは親じゃないと知れない感情なのではないかな。

「ママ一緒に寝よう?」

……はあ…可愛過ぎる。


夫の名誉のために記しておきます。
息子は入眠へのこだわりが強くあって、眠る時はママと自分だけしかその寝室に居てはいけないというマイルールがありました。息子が夫を追い出したのは、そのルールに則ってのことです。念のため。


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