飛騨市じゃない方の人間
「薬を服用してるのに、環境設定も必要なんですか?」
クールダウンできる静かな場所を確保してもらいたいと頼んだら、そう言って首をかしげた支援級の先生。
「きのうは落ち着いて過ごせていましたよ」
そう言ってわたしの方へ顔を向けた。
見えないものを想像することは、口で言うより難しい。
どんな不安もどんな騒音も、へっちゃらになる魔法の薬があればいいのにと思う。だけどそんなものはこの世になくて、薬は薬の範囲を超えない。息子が毎日服用している錠剤も気持ちを落ち着かせる類のもので、魔法でも呪文でもない。
先生の言う「落ち着いて過ごせたきのう」は社会科見学があった日で、いつもよりクラスの人数が少なかった。息子が苦手な大きな声を出す子もいなかったから、「いつもの教室」とは状況が違った。
息子には聴覚過敏がある。その特性から、他人よりも周りの声や音が拡声器を通して聞くような、大きな音だと捉えることがある。普段ならちょっと嫌だなと思うくらいでも、気分が不安定なときほどそれは顕著に現れて「今日は校庭で工事しててうるさかった」と言ったりした。工事なんてなかったのに。
「あの子も聴覚過敏だけど、そのくらい平気で過ごせていますよ」
そう言ってくる人に感覚過敏をどう伝えたらいいんだろうと、今でも悩むことがある。その子の感覚はその子のもので、寸分違わず全く同じ感覚という人はいない。誰かを基準にしてしまったら、許容の枠から外れた子供は理解されないままになってしまう。感覚過敏は奥が深い。定型人が思いつくような普通脳ではとてもじゃないけど追いつけない。その子には平気でも、息子にとってはしんどかった。感覚はその人が感じるものだから、あの子は平気だったとしても、それが聴覚過敏の全てではなかった。
過敏性がひどく表出していた幼児期に、転んで膝を擦りむいて泣き出した男の子の横で、息子も一緒になって泣いたことがあった。息子はわんわん泣き出して、転んで泣いた男の子よりも大きな声で泣き出した。そしたら息子の泣きわめく姿にぎょっとして、その子は泣くのをやめた。そのあともしばらく一人で泣いていた息子に、園の先生は「転んだ子を思いやれる優しい子ですね」と褒めていた。
息子は子供の泣き声が苦手だった。泣き声なんかこの世から無くなればいいと言っていた。
会話ができるようになったころ息子に聞いたことがある。
「泣き声とか怒鳴り声とかを聞いたとき、どんな気持ちになるの?」と。
そしたら息子は顔をしかめて答えた。
「すごく嫌な気持ちになるんだよ、もうやめてって思うんだ」
あのときもそうだった。息子は転んだ子を思いやって泣いたわけではなかった。思いやりがあるとかないとかの、目に見えない世界線にはいなかった。息子が不快だと感じる音ランキングで断トツトップの泣き声は、息子を苦しませる元凶だった。嫌だった、やめてくれと思った、その感情は「怖い」とか「不安」に通じているように見えた。特性が派手に出る幼少期は、この世の終わりかと思うような絶叫パニックを繰り返していたが、それは誰かを思いやって泣き叫んでいたわけじゃなかった。
感覚過敏があると社会で生きづらいうえに、周りの理解も得られにくい。せめて親である自分くらいは熟知していたいと思うのだけど、生憎わたしは凡人でそのすべてを理解できるわけじゃなかった。外での出会い頭の大きな音に、これは嫌がるだろうからと息子の耳を塞いだけれど大丈夫と言ってケロッとしていた。聴覚過敏を持つ子のなかには機械音のつらさを訴える子もいると聞くけれど、息子は気にする素振りもなかった。しれっとしていた。
本人の感覚っていうのがよく分からないんだと、当時の主治医に訴えたことがある。「前頭葉の話になるけど、あなたはそういうことが聞きたいんじゃないんでしょ」と直球どストレートの返しをされた。その通りだった。「そういうものだと思いなさい」それが医師からもらった考え方だった。それからは息子の感覚を『そういうもの』なんだと思うようにした。納得したわけではなかったけれど、そう思うしかなかった。
息子が2歳のときに療育センターへ通うようになってから、定期健診の主治医の他に、言語療法、作業療法、心理療法の先生たちと順々に繋がっていった。その、どの先生もが言っていたのが「環境設定」だった。発達障害の息子を見ていて思う。環境設定のない支援など、支援のうちに入らない。あんこの入っていないあんぱんと同じだ。支援している風に見えても、肝心の「あんこ」という中核がなければ「あんぱん」とは呼べない。環境設定はあんこと同じ。支援の要だ。
環境調整は特性を爆発させずに穏やかに過ごすための基本になる。癇癪やパニックは子供本人の負担にもなるから、目で見て分かりやすい環境と不安にさせない環境を作る。それをやるのは大人の役割。幾度となく聞いてきたことだった。
環境設定は、『そういう感覚なんだから』よりも遥かに分かりやすくって、やりようがあった。だけどそう思うのはわたしが障害児の親で、息子の成長を近くで見てきたからで、何度も失敗して、泣いて笑って時間をかけて、体に浸み込ませていって辿り着いた感情なのかもしれない。『環境調整は当たり前』そう思うようになるまでに、わたしにもそれなりの月日があった。
だけど学校の先生は、産まれてから小学校に入学するまでの乳幼児期の息子を知らないから「そういう感覚なんだから」も、「環境調整は当たり前」も、同じ土俵で話せないこともあった。そこで頼りにしたのが発達検査。それは息子がどんなことに強みがあって弱みがあるのかを丸裸にしてくれた。わたしはこれに思いっきり頼った。検査報告の書類に考察をつけますかと聞いてきた心理士に、ぜったいに付けてくれとお願いしたし、発達障害のことを全く知らない人にも分かるように書いてほしいと口を出した。これは学校に提出する息子の命綱になるものだ。伝わらなければその年度は親子ともども爆死する。
専門家が出すものは、親が言うことの百倍効果がある。それを思い知る、苦い経験をする機会は何度もあった。専門家の言葉は親より重い。だから検査結果は余すことなく聞きつくし、詳しい考察をさらに自分で嚙み砕き、学校生活のあれやこれとリンクさせて担任の先生に話した。その年の我が子の支援を確保するために、安心して学校生活を送れる環境を勝ち取るために。失敗するわけにはいかなかった。
それを好意的に受け取ってくれる先生がいる一方で、あんまりグイグイ来られるのはちょっとムリと顔に書いてある先生もいた。「こっちは専門家じゃないんで」と言われたときには背筋が凍った。警戒されるのは非常にマズい。そのことがあってから、先生の前で専門用語を使うのをやめた。環境設定が専門用語なのかは謎だけど、嫌われないように振る舞いながら環境調整をしてもらえる言い回しは必要だった。どんなことを伝えれば興味を持ってもらえるか、なるほどと思える話し方はないのか、そんなことばかり考えていた。ときどき超特大の知識と経験値を持つズバ抜けた神レベルの先生もいたけれど、そんな先生は一握りだ。支援級の先生全員が、専門家と同じ関わり方ができるわけじゃなかった。
だから、岐阜県飛騨市の学校に『学校作業療法室』ができたというポスト(X)が流れてきたとき、学校に作業療法士がいるなんて凄いと思った。息子の悩みの8割は、環境調整で解決できるものだったからだ。
特性がぶつかり合う支援級で、みんな仲良くは難しい。近づいたり離れたりしながら、相手との適度な距離を知るのも社会性。療育に行くと毎回学校の様子を聞かれたが、言えば環境設定の話をされる。よくわからないと返事するようになっていった。学校で親ができることは限られていて、その学校に理解されないのなら療育に賭けるしかないと思っていた。子供の成長は待ってはくれない。学校と療育が連携しながら進めていくことが子供にとって望ましいのは明らかなのに、双方を繋ぐことは簡単じゃなかった。学校には学校の考えがあったし、専門家はいつも学校から遠く離れた場所にいた。
だけど包括的に考えられる専門家が学校にいれば、着地点を見つけようとするだろう。専門性に頼りたいのはきっと親だけじゃないはずで、子供に学校生活を楽しく送ってもらいたいと思う気持ちは親も先生も同じはず。
障害のある子供の悩みは本人だけのものじゃない。一緒に暮らす家族の生活にもそれは大きく影響してくる。刺激の多い学校は、成長させてくれる場でもあるけれど精神にも深く密着する。残念だけどいいことばかりがあるわけじゃない。どんなときでも専門性を持った人達が学校に存在する安心感は、子供達はもちろんのこと、先生と親にとっても大きな意味を持つと思う。
学校は変わっていけるんじゃないか。そう思わせてくれたのが『学校作業療法室』の動画だった。同じ国だとは思えないほど飛騨市の事業は超一級品で、聞いたこともないめちゃくちゃすごいシステムだった。わたしは何度観ても飛騨モデルに魅了されるし、飛騨市だけじゃなく、日本全域に広がっていくことを願わずにはいられない。
学校と家庭と療育が仲良く手を繋ぐことは難しいと思っていたけれど、それを可能にした飛騨市の政策は改めてほんとうに凄いと思う。学校はまだまだ整備されていない。理解されずに困っている子をどうか助けてほしい。環境設定を「当たり前」にすることは、子供が学校生活を安心して過ごせるか否かの分かれ道になると思うから。どの子にも、障害のある子にも、誰にでも、飛騨モデルの恩恵を受けられる未来があると信じたい。
↑飛騨市『学校作業療法室』のポストです
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