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なな艸Bio 2 生い立ち〜就職 食いしん坊の私が出来上がる軌跡について

東京オリンピックの年、東京都世田谷区で製薬会社に勤める父と専業主婦の母との間に生まれる。

西洋医学寄りの父は私や弟が病気の際、すぐにクスリを飲ませていた。
そのことに疑問と危機感を抱いた母は、貝原益軒の養生訓に影響を受け、自然食を実践。
子供時代より梅肉エキスや小麦胚芽などの自然療法に親しんで育つ。

幼少期、祖父宅に行くと、お米が美味しいと言っておかずを食べず、ひたすらご飯ばかり食べて、祖母に呆れられる。
私は子供の頃から美味しいものに対して感度が高かったようだ。
祖父は電力関連会社の重役、当時新潟の最高級米を文化鍋で炊いており、対して父はごく普通の会社員だったため、一般ランクの米を電気炊飯器で炊いていたのだった。
祖父宅で、頂き物の虎屋の羊羹の味を覚えたのもこの頃。

千葉県の団地に住んでいた幼稚園時代に、家族と一緒に近くの林や川辺にツクシやセリを摘みに行き、母に料理してもらったことがとても印象に残っている。
またこの頃、父が家庭菜園で野菜を作っていた記憶がうっすらとある。
時々父が仕事帰りに買ってくる、有楽町の小洞天の焼売が美味しく、大のお気に入りだった。
(大人になってから一度そこの焼売を食べたが、当時作っていた父の友人は仕事を辞めてしまい、当時とは味が変わってしまっていた)

母は料理、裁縫、編み物が好きな人で、ペストリーや肉まん、春巻きなど手にかかるものを作って楽しんでいた。
特に印象深いのが、小学4年の時に家族全員で一日がかりで作った英国風カレーである。この時手をかけて作るものの美味しさに開眼する。

同時期、家族で裏山を散歩しながら自生している明日葉を摘んできて、茹でてお浸しにしたものに鰹節をのせて食べていた。
営業の仕事で伊豆大島に行くことのあった父が、明日葉を食べる知識を得てきたらしい。当時から明日葉の味は好きだった。

庭仕事、特に薔薇の栽培が趣味だった父に鉢に植物を植えるやり方を教わるが、その頃は全く興味を持てなかった。
一度カスミソウを育てようと種を土に蒔いて放置し、出来上がったのはひょろひょろの茎に花が2〜3個。父に苦笑された思い出がある。

中学、高校時代はお菓子作りや料理が好きで、本を見て色々作っていた。
どこでそんな料理法を知ったのか全く記憶にないのだが、骨つきとりもも肉を野菜やワインでマリネして焼くローストチキンや、同じくマリネした牛タンのボイルは家族や親戚に好評で、クリスマスやお正月に頼まれて作っていたほど。

大学は日本近世史専攻、卒業後1年間、東京の都立大駅近くにあるインテリアスクールに通ったあと、ようやく就職。
この頃、仕事が休みの週末は家族のご飯を作っていた。

一時期勤めていた会社は横浜の関内にあった。近隣には美味しい料理を提供するレストランが山ほどあった。
折しも時代はバブル期。
仕事上の会食や、同僚との食事で様々な美味しいものに触れる機会に恵まれた。



野草の勉強や観察会のために使いたいと思います。