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what appeals to you about her ideas 4

ジョアンナ・メイシーの理論的柱は3本。仏教とシステム理論とディープエコロジー。中でもシステム理論を援用した「痛み」に目を向けることの意味に惹かれた。

ジョアンナの本には「世界の痛みを大切にする」の部分がしっかり書かれている。

 痛みは、危機と苦難に溢れかえった世界の中で意識的に生きるための代償だ。これは自然であるばかりでなく、集合体としての癒しに無くてはならないものだ。全ての有機体にとって痛みには意味がある。痛みは一種の危険信号であり、修復機能のスイッチをオンにする役割を担っているのだ。
 となれば、問題は私たちが世界の痛みを感じることにあるのではなく、痛みを抑圧していることにある。〜〜〜システム理論的にみれば、それはフィードバック回路の遮断であり、効果的な応答をブロックすることになる
ジョアンナ・メイシー モリー・ヤング・ブラウン著 齊藤由佳訳
「カミング・バック・トゥ・ライフ 生命への回帰 つながりを取り戻すワークの手引き」より

 「温暖化による環境危機への対処」も「落ち込み気分へのケア」もそれらに対しての不安や痛みをキャッチしなければフィードバックが起こらない。「大変だ、なんとかしなくちゃ!」という部分が発動しない。

 逆に言えば、「なんとかしなくちゃ!」と思ったところで「どうしようもない」という無力感しかわき起こらず、そこからはどこにも行けないと先取りし、「私とは関係ない」と切り離すことで、フィードバックが起こるまでに達さないでいる、ということだ。

だから、何かものごとを変えたり、前に進めたりするには「痛み」が大きなきっかけになる。ジョアンナの本には「痛み」を大切にすることについての大いなる意味、なぜ抑圧されるのか、抑圧されることで起こっている不利益について、きっちり書いてあるのだ。

ジョアンナ・メイシーの本を読むことで、そして養成講座に出ることで、仲間ができ、「世界の痛み」についての見方がそうそう、間違いでもなかったことが確認できた。さらに、「痛み」に目を向けることで、そのことはほぼ同時に「新しい目で見る」ことにつながり、それは「前へ進む」ことになる。

このプロセスがワークを通して実感レベルで体験できたことも大きかった。Kids Hurt Too Hawaiiでのファシリテーター役割は、子どもたちが「前へ進む」ところまで見届けることがなかなか出来ない。グリーフのプロセスが進むことで、グループに出る回数が減って行き、やがて来る必要がなくなり、多分、次なる居場所へと進んでいっているのだろうが、直接、その後について聞くチャンスが少ないからだ。「確かにこっち方向に進むなぁ」という実体験は大きな納得となって、自信の元になった。

他にもハワイでの暮らしが始まってびっくりした、日系移民の文化や特に第二次世界大戦下での厳しい立場、そして、こちらも悲しみの歴史を抱えているローカルハワイアンのカルチャー、私自身の日本語やTOKYOの喪失など、これらもジョアンナ・メイシーの視点でかなり整理がつきそうな、軸が見つかりそうな気がしている。

ふぅ。とりあえず、こんなところかな。前半に移住前の話をちょっと入れて話したら、きっと持ち時間いっぱいになっちゃうね。(終わり)

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