火がつく 火を灯す 命灯会
火はつけるものなのだろうか、つくものなのだろうか
noteはトップの画像をギャラリーから選べるようになっている。イメージに合った画像を探すのが楽しいのだが、ふと、昨日「その画像を見て何か思うことを書くというのはどうだろう」と思いついた。
毎月、東日本大震災の月命日に当たる10日(日本時間の11日)に命灯会 in Hawaii を仲間とやっている。命灯会は東日本大震災を忘れないためにと、気仙沼のキャンドル工房で始まった。ハワイにもお話に来てくれた杉浦恵一さんが発起人の一人だ。
空や海をイメージさせる2本の青いロウソクに、1本は今日を生きられなかった人のために、1本は今を生きる自分のために火を灯す。曹洞宗のお坊さんである佐藤良規さんがもう一人の発足人だが、超宗教の催しだ。
今は東日本大震災に限らず、命について考えたり感じたりする時間を共有するような催しに発展しつつある。現在、命灯会の本を作るためのクラウド・ファンディングが開催中だ。
ハワイではパロロ本願寺や大神宮でやらせてもらったり、個人宅やお店などでやらせてもらったり。コロナ以降はzoomやFacebookやインスタを使ってやってみたり。いろいろありながらも、私にとっては日々の生活に紛れてしまう亡くなった方への思いや、命について思いをめぐらす時間。
命灯会について、藤田一照さんは良規さんがやっているポッドキャストで、こんなふうに話している。エネルゲイアとしての命灯会。なるほど。
つい先日も友人宅に集まって、青いロウソクに火を灯した。
ロウソクを灯した後には、その時の気持ちや思いをみんなでシェアするということを続けている。毎回泣いていていたのだが、10年を過ぎた頃からなんとなく、「これからの時間」に気持ちが向き始めたことに気づいた。
悲しみや無念さ、罪悪感。表面的に過ぎるさまざまな対応への無力感や一貫性のなさへの怒りなどなど。これらの「痛み」になんでわざわざ、目を向けるのかという問いに、ずっといい答えが見つけられないでいた。けれども、先日から傾倒しているジョアンナ・メイシーによれば、「痛み」に目を向けることは、システムのフィードバックを起動することになる。気づかないふりをしたり、大したことないと抑え込んだりすると、フィードバック機能が働かなくなってしまう。
灯す前後のみんなとのおしゃべりや美味しいものも、命灯会が続いている理由だ。
突然、書きたい衝動に火がついた。
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