自分に「かわいい」って変かな?

ecomom連載記事を掘り出しました。10年前の記事です。子育て中のお母さん向けに書いていました。

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自分に「かわいい」
このあいだ、自分の映っているホームページを見て「この写真はかわいい」と言ったら、娘(中1)から「え~、何言ってんの? お母さん、おかしいんじゃない?」と、大ブーイングのお言葉。「自己満足、自己満足」とかわしたけど、よーく考えてみると、娘の言わんとしていることと、私のつぶやきとは、違うことについて話しているのだよね、と気がつきました。

思春期の娘の言い分
娘が言っているのは、「一般的な『かわいい』の基準から見たら、お母さんはちっともかわいくない。眉毛は濃いし、まじめな顔をすると怖い顔だし。しかも、自分で自分をほめるって、どういうこと? そういうのって、おかしいんじゃないの?」というようなことだと思います。あんなにかわいがって育てたのに、無残な言葉が出てくるようになるんだなぁ~としみじ
み(涙)。そういえば、自らを振り返ってみれば、家族に向かって痛烈なことを言い始める時期でしたね。中学生のころって。「そういう言い方ってないよな~」と思いながらも、周りとあれこれ比較し始めるのが前思春期から思春期。ちょうど娘の年頃です。女児なのでより、視線が厳しいのかもしれませんね~。


人生を経てきた私(母)の言い分
さて、私のほうが言おうとしたのは「日ごろの私の写真と比べると、『かわいい』な」ということ。たま~に、雑誌などに小さな顔写真が載ることがあるのですが、それらと比べて、これまでになくかわいげに映っている、ということなのです。写真が載るときには「自分以上でも自分以下でもない」という呪文を唱えているのですが、なんせ、今回のはPC上の写真なので、肌の色とかシミとか輪郭とかを修正してくださったんだろうな~と思うのです。「いつもの私」や「これまでの私」と比べて、「いいんじゃない」という判断なんです。周りの方との比較ではないのです。


「比べる」ということ
「人と比べてはいけない」とよく言いますよね。けれども、自分について考えていくときに周りと比べること自体は当たり前のことだと思います。例えば背が高いとか低いとか言うときも、同じ学年の子たちの中で前のほう、みたいにね。このこと自体、悪いことではない。うっとおしいことになるのは、そこに「どっちのほうがいいか」というようなことが絡んでくるときだな~、と思うのです。「背が高くてカッコいい」とか「背が高すぎてみっともない」とか…。「どういう状態か」ということと「それについてどう評価しているか」というようなことをじっくり見分けていけると、いいんじゃないかなと思ってます。

「以前の自分」と比べる
 そしてもうひとつ。比べるときには「以前の自分」と比べるといいと思っています。周りではなくて、以前の自分とか日ごろの自分と比べてみる。そうすると、「前だったら絶対にできなかったけど、早起きして、お弁当作りができるようになった」とか「いつもはやらない拭き掃除をやった」とか「前回はできなかったけど、今回は締め切りの大幅遅れを回避した」とか、自分の○がたくさん見つかり始めます。
 お母さんたちには元気のモト、たくさん必要ですからね。

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