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余命宣告を受けた

【12.06 12:30】
 余命宣告を受けた。それも医者からではない。
 帽子を目深にかぶり、ロングコートを羽織った黒尽くめの男は「死神」だと名乗った。

 僕は路地裏で煙草をふかしていた。禁煙の看板を掲げた世の中では肩身の狭い思いをする。檻みたいな場所で他人の息づかいを一緒に吸うのはこりごりで、こうして路地裏に避難するのが日課だ。

ぼんやり空を見上げていると、突然肩を叩かれた。振り返ると男が立っている。驚いた拍子に煙草が手から滑り落ちてしまった。

(滅多に人が通らない道なのに、煙が上がってるのが見えたのだろうか?わざわざこんなところまで注意しにきたのなら、とんだ正義中毒者だ。)

ため息をのみこんで煙をふみつけると、にへらと人好きのする笑顔を浮かべる。営業一筋10数年。人に頭を下げるのは得意分野だ。

「すみません、邪魔でしたかね」

 へらへら立ち去ろうとする僕の肩をつかみ、有ろう事か男はビルの壁に打ち付けてきた。怒りと驚きで声をあげようとするが、目の前の光景に言葉が詰まる。

僕の目の前で、僕が横たわっている。

 それに、コンクリートの壁に身体を打ち付けられたというのに、全く痛みがない。呆気にとられている僕に男は表情ひとつかえず「死神だ」とそっけなく言う。

「お前はここで死ぬ。」

反射的に助けを呼ぼうとするが、声がでない。男は手を離し、僕の目を見据える。

「あとはお前次第だ」

____ジリリリリリ
 頭の上でガタガタと震える時計の音で目が覚めた。身体を起こし、音を止める。辺りを見渡すが僕の部屋だ。寝汗をびっしょりとかいた背中にため息をつく。なんだ夢か…。ほっとしながらデジタル時計を見つめ、息をのむ。


【12.05 7:30】

…昨日だ。

時間が戻っている?
いや、そんな、馬鹿な。

全て夢?
あまりにもリアルで長すぎる夢に冷や汗が止まらない。

 必死で記憶を呼び起こす。
 昨日は朝起きてすぐにテレビをつけた、射手座が一位でラッキーアイテムが揚げ物だとアナウンサーがにこやかに笑うのを見て、お昼を唐揚げにしたのだ。

早鐘のように鳴る胸に手をやりながらリモコンのスイッチを押す。画面には笑顔のアナウンサーが映る。

「一位は射手座のあなた!ラッキーアイテムは揚げ物です!」

背筋が凍りついた。

 気分が悪い、と会社を休んだ。
 普段から遅刻もせず出勤している僕は特に咎められる事もなく、上司からゆっくり休めと声をかけられ電話を終えた。
 
あれが、予知夢だとかそういう類いだったとして、僕は明日の昼間、休憩中に倒れるとして…。
部屋の隅で埃をかぶる、ギターを見つめた。

 テレビの中の人達はいつもキラキラしていて僕もここに行きたいと思った。自分には才能があると信じ切っていて学校では、周りが全員下手くそに見えた。…狭い世界でうぬぼれて、誰にも相手にされなくなったときようやく自分の評価に気が付いた。

(もしも、明日死ぬならば。)

 ギターを手に取り、日焼けした楽譜をそっとひらく。コードが上手く押さえられなくて笑ってしまう。
  営業の仕事も嫌いじゃない、成績は悪くない方だ。でも、楽しい、と思ったことはなかった。普通の仕事なんてそんなものだと、端から諦めていた。

  手を止めて低い天井を見上げる。もう若くはない、でも、挑戦してもいいんじゃないだろうか。今度こそちゃんと諦めず努力をして、それで叶わなかったとしても、こんなにわくわくして過ごせるならば…。
 早鐘のように鳴る心臓が、今度は嫌じゃなかった。


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目を開けると白い天井に透明の袋と管が見える。消毒液の匂いが鼻についた。

「あなた、目が覚めたの?」

 ベッドの横に腰かけた、年配の女性が嬉しそうに声をかけてきた。
ああ、そうか、そうだった。僕は。

「僕はもうすぐ死ぬんだな」
「そんなこと言わないでください」

 ぎゅっと手を握る妻が悲しそうに言った。
 僕の前に死神なんて現れていない。夢を諦めて就職した会社で定年退職をした。そこそこの年齢で結婚し、子供を儲けて、そこそこ幸せに人生を歩んできた。

 そうだ、結局何も行動を起こせず、日頃の不摂生が祟り床に伏せた。大好きだった煙草も吸ってはむせるだけになってからどのくらいの年月が経ったのだっけ。
 そうさ、時間は巻き戻らない。何もしなかったやつに奇跡なんて起きない。僕は…。僕は…。

重くなってきた目蓋をゆっくりと閉じた。

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