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緻密な世界戦の交わり

大学を卒業してから半年に1回は集まり、あーでもないこーでもないと次の日には忘れるような会話をダラダラと話す。
卒業当時から彼女たちの結婚式に呼ばれるのを楽しみにしているけれど、一度も招待されていないし、してもいない。
今年はやっと、会って話ができる環境が整ったから集まることができた。
梅雨もまだ始まっていないこの時期に忘年会の約束して解散した。



会話の中に作家の名前や作品ストーリーが自然と登場しながらも、通常運転で話がすすむのが好きだ。作品を読めばその人の性格や特徴がなんとなくわかり、その作家とは昔馴染みかのように「あの人はそんな感じだよね」と、共通の友人かのように話す。
異なった時代を生きるその作家とは実際には誰も会ったことはないし、会話もしていない。遺された彼らの本を、文章を読んだだけ。
文章に現れるその人の癖を読む。
すると、読者同士でその人の在り方や性格の認識が不思議とズレない。
私はこの現象も文章の持つ魔力だと思っている。

「この感じっ江國香織のなんだっけ、短編小説に出てくるエピソードっぽいよね。」

その本を読んでいる前提ですすむ会話が私にとっては至福の時間。
そこにいる全員が1冊の本を読む。という時間をそれぞれの人生で作っていて、それぞれのこころの中に残っているストーリーが、一堂に会するのだ。

複雑に入り組むそれぞれの人生の世界線が、その一瞬だけ交わるところが必然のような偶然で成り立ち、予告のないその集合の瞬間をなんと日本語でいうのか、私が知らないだけなのかものしれないけれど誰か共感してくれはしないだろうか。と思う。

もし、この感覚に共感する方があわられたとすると、この世界線での交わりかたはさらに複雑なものになる。



そんなことを考えたりしていると、もう、ゾクゾクとしてしまうのだ。







会話に登場した本はこちら。


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