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終戦は終戦日に在らず。

育ての祖父は戦争に行った。

祖父が先に亡くなり、数年後祖母が亡くなった後、
かつて戦争に行ったその日が記された
祖父の出征旗が古い鰹節の箱に
綺麗に折りたたまれて入っていたのを見つけた。

その古い布には、いってらっしゃい、おめでとうという言葉もあった。

博物館寄贈のたぐいではないのかと叔母に言ったが、
この旗をばあちゃんが降って三途の川のほとりに行けば、じいちゃんは川の向こうで気が付くからと、
ばあちゃんのお棺の中に入れて、
涙ながらに大真面目にそんなこと言うものだから…
まるで三途リバーツアーだねって言って、笑った。

ばあちゃんはバスガイドさながら出征旗を振りながら、
川を渡った。たぶん。

ずっと前のこと。私が中学生位の頃だろう。

ばあちゃんや叔母には戦争の話をしたがらなかったどころか、殆どしたことはないくらいだったと後に聞いた。

私とじいちゃん、2人で、
冷蔵庫の奥にあった忘れられたいちごのパックを見つけた。傷んでいるところは取ればいいと言い、テレビを見ながらダイニングで傷んだ部分を取りつつ食べることにした。

私が1つ2つと仕分けた、その傷んだほうに手を伸ばしたじいちゃんに
それ傷んでる方だから!と言ったら、
俺は戦争に行った人間だから何でも食える。と。
知らないからねと言った私にマシな方を食べろと言っていたと思う。

そうして、フィリピンからまた船に乗せられ別の島に行った話をしてくれた。

日本から潜水艦に乗り、ずっと暗い中で過ごしたこと。
上官からキツく体罰を受けたこと。横に居る子の悲痛な叫び。逃げ場もなく時間もわからず、どこに行って自分がどうなるのかも知り得ない。

それでも自分のいた部隊はマシだったのかも知れないと思ってしまう異常さ。

海軍だったからと、その一言は重かった。

きっと名も知らぬ島はガダルカナルだった。

何時間も夜中歩いたと。とにかくジャングルを歩き、歩き、飢えと渇きと戦った。
人を踏み外しながら、人の形を為すことだけが後に繋がる。人の肉は口にしなかった、これはやらずにすんだ、これはしてしまったと、ひとつひとつ詳細は消えることなく脳裏に多くの傷を残す。

よく夜中うなされていたのを知っている。

夢をみてるとか、そんなんじゃない。

地獄の音だった。

不思議と怖くはなかった。
じいちゃんはじいちゃんである、私にとってかけがえのない存在である。

ただ葛藤をしてる姿は、まだ戦争は終わっていない…そう感じるには充分だった。

ガダルカナルでは隠れ、身を潜めながら、さらに歩き進めてもう力など1つも残っていなかった。ふらふらとする人を支え2人で連隊の最後尾に付いていた。

夜明け前か、隊長の最後の命令が響いた
「全員進め!」

前進しながらもお母さんとか何か皆叫びながら、前へ走ったという。

じいさんは支えていたもうひとりに、荷物をそこで捨てさせ、自分も全部捨て、
あろうことか2人で全く反対の方向へ走ったそうだ。

この行為を、裏切りと言える人は居ないだろう。
この時すでに終戦を迎えた後であった。
知り得ない終戦である。

こんなにも走る力があったのかと、生きたいと思う衝動に駆られ走れるだけ走り、2人で穴を掘りそこに埋もれるようにして入って時を過ごしたそうだ。

その後、アメリカ軍に見つかったのが幸運だった。

彼らが日本軍に見つかれば、どうなっていたかは察しがつく。終戦後であっても。

アメリカ軍には戦争が終わっていること、真っ直ぐ日本に帰れ無い事など説明され、捕虜という形で保護された。いま日本に帰れば袋叩きにあい、命の保証は無いからと、満州へ連れて行かれた。
辛い労働もあるが、命は取られないからと励まされたそうだ。

そして、ある時日本へ帰る船に乗せられ、降ろされた所から徒歩で家に帰ったという。

もう一度会えたら、もっとちゃんと聞きたいとも思うけど。聞いたって聞いたって、苦しみを変わってあげることも出来ない。

そんなこと100年も前の事ではない。

ほんの少し前のこと。

どうだろう、天国ではもうあんな地獄を忘れただろうか。どうか忘れていてほしい。そう願ってやまない。

あのとき、彼が自分の命を諦め無かったことで私は生きている。
命を繋ぐとは、子供を生み育てることではない。
自分の命の重さを自ら知るということだ。何にも屈しない、生きるということに素直であるということだ。
自分の命を全うするということは、いまを生きるということだ。

明日の話は明日しろ。

よく言っていた。

その背中を見て育った。

命を十二分に生きてくれた、その生き方を誇りに思う。帰国後もどれだけの葛藤と後悔と懺悔と繰り返しながらも、そこに生きていてくれた事に。

俺は戦争に行った人間だから。

その言葉は愛だった。

人が人でなくなる、そういう場所で
ちゃんと人で在りたいと思ってくれた。
愛そのものだった。

私にとって、全てだ。
感謝してもしきれない。
生きていてくれて本当にありがとう。
出会ってくれて本当にありがとう。
今もこうして愛してくれて本当にありがとう。

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