九の坂

長い付き合いの友人は田舎で6人姉妹の末っ子で育ってきた。初めて会った時、私よりずっと大人で生活の知恵も沢山持っていてすごいと思った。教えてもらう事も多かった。姉が沢山いたので知識とか情報を得るチャンスが多かったのだと思う。

お互い70才後半になった頃「79(苦)才の坂はしっかり越えようね」と言われた。9の付く年齢のときは身体に気をつけて次の年代に進もうという事だ。
若い時は忙しかったりして気にする間もなかったが79才頃になると身体の不調などもあり人生の中で一番大変な坂道らしい。80才になれば一段落するので、他人に年を聞かれたら80才と言うとよいと教えられた。

私の79才は大変だった。年のことはそれほど意識していなかったが 思い返せば「九の坂」だったのかと思う。

春 帯状疱疹になった。
秋 台風が来て屋根の一部が飛ばされた。台風が来そうなときは予め土嚢やブロックでシャッターや水の入りそうな所は手当てをしておく。
主人は認知症になっていて台風がなにかわからなくて、いつも通りゆったり過ごしている。
翌朝 台風が去った後外を見たら屋根が剥がれて散乱している。屋根材、土嚢、ブロック、ベランダの片づけと息つく暇も無い。疲れた〜 そんな時膝に違和感を感じた。湿布を貼り寝んだ。翌朝膝がパンパンに腫れあがっていた。痛みも強いが 主人を起こし、着替えさせ食事をさせてデイサービスに送り出した。 
病院に通いなんとか家事をこなしていたがなかなかよくならない。そしてしばらくしたら 今度は反対の膝が悪くなり全く歩けなくなった。情けない。

主人の世話も出来なくなり施設に入ってもらった。急に状況の変わった主人は戸惑ったと思うが認知症が進んでいて私のことも分からないし、言葉も失っているので嫌なことをされなければおとなしく過ごしてくれている。
せっかく頑張って建てた家なのに 連れて帰ることは出来ないと思うと申し訳なくて涙が止まらなかった。
それから 私のいじけた生活が始まった。

主人が夜2時間置きくらいにトイレに行きたがるので睡眠障害も起こしていた。熟睡ができない、身体は疲れているのに眠れない。昼間は朦朧としている。昼間 寝る時間はあるのに上手く眠れない。イライラの連続😣

そんな時友人が1か月早いけど誕生日のお祝いをしてくれる事になった。デパートに行きお祝いを買ってもらい、食事も古民家の懐石料理を予約してくれていた。誕生日プレゼントも嬉しかったし、食事も美味しくて久しぶりに嫌なことを忘れていた。写真を見るといい顔をして食事をしている。少し元気になっているなと自分でも思った。

その後 子供達が80才のお祝いに温泉旅行に連れて行ってくれた。いつもは遠くに住んでいて久しぶりに会い ゆったり温泉に浸かり 美味しいものを食べ おしゃべりをして楽しかった。
そして今まで「今までジイジの介護をしてくれてありがとう。これからは自分のために楽しんで生きて!」と励まされた。嬉しかった!

膝もほとんど良くなり睡眠時間も回復してきてます。痛みが和らいだ事でストレスもなくなり飛び上がりたい気分です。
私は「九の坂」をなんとか乗り越えたんでしょう。
これから何を始めようかと模索している。

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