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肩書は複数必要か? 肩書を足して潜在能力を引き出す

日経COMEMOのお題、「 #肩書を複数持つ必要ありますか ? 」。

肩書。なんと魔力のあるものなのか。

実際、昇格したときに、肩書が変わるだけで周囲の反応がこんなにも違うのか!とあきれ返りました。椅子に座っている人の中身は変わらないのに、座っている椅子が変わるだけでこんなに違うものか、と、今でも慄いてしまいます。(だから悪用する人がいるのですね・・・)

とはいえ、「立場が人を作る」という言葉もある通り、肩書の持つ魔力をプラスの方向に使うと、自分の潜在能力が引き出される場合がしばしばあります。周りの反応が変わることにより自分のふるまいも変わっていくわけです。

さて、その肩書を複数持つ。潜在能力はどのように発揮されるのか?少し思考実験してみました。

今の私に他の肩書があり得るのか?嘘にならない範囲で自称の肩書をつけるとしたら何になるのか?

仕事以外でやっている活動というと、note上に文章を公開することくらいです。

となると、note社が使う「クリエイター」という呼び方。これを肩書にする・・・

いや・・・極めてこっ恥ずかしい。「そ、そんなクリエイティブなことできないし・・・」とぶんぶん頭を振りたくなる呼ばれ方です・・・。

とはいえ、半年強で45記事も書いて、さらに有料記事で慎ましくも4000円弱の売り上げを上げているわけで、さすがにnote社がいうところの「クリエイター」の裾野の末席にはいるといってもいいでしょう。

一方で、「ブロガー」という肩書はどうか。書いている内容は、note社が言うところの「創作活動」というよりは、ブロガーが書くものの方が近い感じがします。ただ、エッセイとは何が違うのか?エッセイは創作活動っぽいし・・・。そうなると「エッセイスト」という肩書もあるかも?

・・・。

自分に何の肩書をつけるのか、これを考えてみると、自分が自分に持っている輪郭と、肩書のもつ輪郭の差分が可視化されてきます。肩書が自分の輪郭を狭めてしまって、それ以上に拡張できないときもあれば、肩書の輪郭の方が自分の輪郭よりも大きい場合は、伸びしろととらえることもできます。自称クリエイターを名乗ってみると、もう少し自由に文章が書けるし、そのうち潜在能力が引き出されてくるかもしれません。

翻って、仕事上の肩書。

複数の肩書を持つことは、それぞれの肩書から連想される役割やふるまいに適応できるということでもあります。これからの時代、一つの組織に埋没するのではなく、複数の組織や団体に関与したり、個人で幅広い領域を動きまわりながら働くというのは、リスクヘッジという観点でむしろ安定した働き方になると思います。

役割のシフトチェンジを促すときに、肩書は魔法のツールかもしれません。「今は執行役員」「今はコンサルタント」「今は教員」と、その場によって自分で自分の肩書を設定して暗示にかける。周りもその肩書に応じた接し方をするから、普段とは違うふるまいが引き出されてきて自分を再発見していく。それを積み重ねていくと、自分の輪郭がどんどん拡張していくことになるでしょう。

ちなみに、この記事は、クリエイターという肩書をつけたと仮定して書いてみみました。普段より楽しく自由に書けました・・・!これが肩書の持つ暗示力。名刺に刷らなくてもよいので、自称の肩書をつけて遊んでみるのは意外と役に立ちそうです。

#日経COMEMO #肩書を複数持つ必要ありますか

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