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その人は、その人であるということ

上橋菜穂子さんの、「獣の奏者」シリーズ。
私はこのシリーズが大好きで、小学校高学年で出会ってから今まで何度も読み返しては涙している。

人は見てきたものや感じたことでできているのだと思うのだけれど、私にとって「獣の奏者」は今の私が出来上がっている大きな要素の一つであると思う。

この物語の全体の雰囲気も大好きだし、私が「こうありたい」と感じる箇所が何か所もある。

今日は闘蛇編を読み返して、「そうだった、私は、こうありたい」と改めて思った箇所があったので書き記してみる。
今日の午前中、クリーニングにスーツを出した帰りにふらっと立ち寄ったカフェで一気読みした勢いで書いちゃう。
少しでも上手に気持ちを言語化できるようになりたいな。

このシリーズの主人公”エリン”は、霧の民と呼ばれる人々の血をひいており、珍しい緑色の目の少女。
霧の民は謎の多い民族で、周囲の人に差別の目で見られることも多い存在。
そんな中、後にエリンの親友となる”ユーヤン”がエリンにこんな言葉をかける場面がある。

「(前略)違うところがあったら、気になるんが、人ってもんやん。わたしはなぁ、無視するんじゃなくて、その違いを、勝手に悪い意味にとるような、くだらんまねはせんって、はっきり伝えることのほうがずっと大事だと思うん」

獣の奏者 Ⅰ闘蛇編 より引用

私も、こんな考え方でいたいと思った。
もちろん、”違うところ”が人に迷惑をかけるようなものなら話は違うかもだけど。
人と違う、例えば”性的マイノリティー”、”生まれた国の違いによる文化の違い”、より身近なところだと”友達との付き合い方”とか…

同じ人なんてどこにもいなくて、みんなどこか人とは違うところを持っていて。
違うことなんて当たり前で、それが差別となるのは人が作り出している考え方(=社会)の力なんだろうなって。
お互いに、その違いをなかったものにするんじゃなくて、認め合っていけたらいいなと思う。

人に迷惑をかけるのなら、それはちょっとどうかとなるのかもしれないけど。

あなたは、あなた。
私は、私。

あなたはそういう人なんだねって否定も過度に肯定もせずに認め合うだけで、ここちよい空気になるんじゃないかとおもったりする。

私は、自分とは違う存在のことを、そのまま受け入れたい。
受け入れたいなんておこがましいな。なんていえばいいんだろう。
認めたいっていうのもなんか上から目線だよな…。

ただ、そのまま、お互い心地よくいたいな。

ひとり一人、みんな、つくってきた自分を、大切に愛しんですごせたらいいな。

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