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二度目の高校入学

あかりの入院は莉沙と同じく長期戦となり
いくら、特別児童扶養手当があり
自立支援医療受給者証があっても
入院費は高く
だんだんと療育には通えなくなり
家計はひっ迫していた。

現職のパートに加えて、かけもちでパートをして
私はほとんどの日々を働いて
病棟へ行き家事をして
夜は泥のように眠った。

だけど、私は幸せだと日々思った。
どんなに忙しく疲れていても
子ども達が生きていること。
私が健康で働けること。
あかりが一時外泊で3人で食卓を囲むときなどは、特に幸せで
このまま続いてもかまわない。
とすら、思った。

暑い夏が過ぎ、秋も終わりを迎える頃
莉沙は唐突に切り出す。
「受験代をちょうだい」

洗濯物を取り込みながら
夕飯の手順と明日までの家事の段取りなど
頭の中で考えていたときだった。
「受験代」
なんの事だか理解が遅れ
ポカンと莉沙を見る。

「高校受けるから。願書は仕上がったし、あと受験代!」

莉沙は編入をほとんど1人でこなした。
在籍していた私立高校の先生も手伝ってくれたとは後から聞いたが
それでも、決断のほとんどを
莉沙はたった1人でしていたのだ。

自閉症は選択をしたり決断をしたりすることが苦手です。
そう聞いていたのに、日々の忙しさに追われ
かまってあげられなかった。

この頃には自分で電車やバスを使って
通院していた精神科で
将来の夢を語っていたという。
「私は自閉症で産まれて、ここで入院もした。妹も今は入院してる。
見えない障害は分かってもらえないけど、ここではみんなが分かってくれた。
私のように困ってる子の手助けができる、お医者さんか、ムリなら看護師さんになりたい」と。

その際、主治医が
「その為には、莉沙さんは普通の人の倍くらい。いや、もしかしたら10倍くらい頑張らないといけないかもしれない。
それでもやりますか?」
と尋ねたらしい。

その答えが
「ムリはしない。
その時は自分で決めて諦める」

主治医は驚いたという。
賢い子ですね。
療育や自己認知の勉強をしっかり身につけていると言われ
私も驚いたし、とても嬉しかった。

年が明けて、肺炎で受けられなかった
志望校に今度こそ受験を果たし
莉沙見事、合格した。
県内でもトップクラスの高校だ。

みんなよりも1年お姉さんだけど大丈夫?
と言うと
「病気してたから〜?
あ!事件起こして少女院に入ってたって言おっかな」
と、いつも通りのおふざけに
まーた。そんな事言ってー。
と、笑い合った春。

ない袖を振って
なんとか購入した制服や
体操着やカバン。
16歳の莉沙はもう一度、高校1年生になった。


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