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身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

2月に発令した緊急事態宣言の延長が決まった。そして、麻生財務大臣が、持続化給付金などの給付政策に後ろ向きな発言をした。わずかばかり期待していた現金給付が消え、心がまた一つ折れた。
淡々とした毎日を送る。もはや介護の仕事以外今月は本業の仕事はない。来月にまたテレビの制作が入った。
でも今月はない。施設に行くと、入居者のおばあさん達が待っているのがせめてもの救いだ。本当はこんな仕事やりたくはないが、それしかない、しかも、そのやりたくない仕事をしている時間こそ一番嫌なことを忘れたり、ちょっとした喜びを感じることができる数少ない場所でもある。
 一人また看取り契約となるおばあさんが出てきた。看取りとなった翌週、営業スタッフが次の入居希望者の家族と面談をしている。なんというか・・・
「〇〇号室のお客様は来月で退去されますので・・・」的な感じなのだろうか。。。
認知症の流れを逆回転させることはできないけど、少しでも生きていられるよう、自分のできることをしたい。
ほとんど動かなくても、声かけに
「はい、そうね。うふふ」
とコミュニケーションが取れるのだ。自分はこんな性格ではなかった。他人のことや老人の気持ちや幸せなど何も考えなかった。自分の欲だけを見てきたのかもしれない。誰も教えてはくれない。経営のこと、仕事をするということ、手探りで、本を読んだりしてやってきた。その結果、自分は失敗した。自分と話をしてくれるのは、目の前の認知症のおばあさんしかいない。どうせ、とも思うが、でも、自分の弱さゆえ、ボソリと介助中話しかけてしまう。
「どうしたらいいんだ、ビジネスってどうしたらいいの?」
「会社の経営って、何を大切にしたらいいの?」
答えなんて返ってこない、期待する方が間違い、分かっている。でも、トイレ介助中、古本屋を経営していたEさんにポロリと吐露する。
するとじっとこちらを見据えて
「そうだねー、誠心誠意だね!それしかないね、こんな言葉があるんだよ。
身を捨ててこそ渡る瀬もあれ。これを大切にしな。自分自分じゃなくて、周りを立てて、良いようにしてあげれば自然と自分を周りが持ち上げてくれるんだよ。だから、あんたも頑張れ頑張れ!」
こう言いながら頭を撫でてくれた。そして手を強く握ってくれた。
 認知症だからといって常にボケてしまうわけではない、まだら模様に記憶が戻ったり、しっかり意思疎通ができる時もあるのだ。Eさんの居室にE製作所のE社長から年賀状が来ているのを思い出した。おそらく息子さんかと思う。ということは、以前はやはりEさんが社長だったのだろう。じっと目を見て話すEさん、その目は優しさもあるが、自分には怖さも感じたのだ。会社社長としてのEさん、もし自分がEさんの会社で仕事をしていたら、自分の未熟さ、欲の塊の生き方に叱責やある種の見透かされをしているんではないだろうか、と思い、怖くなったのだ。
まぁ、でもしょうがないか。いいや、それでも、今の等身大の自分の全てがこれだから。それを話して少し気分が楽になった。Eさんの言葉を自分の手帳に書き記す。自分の価値観、理念、として今後大切にしていく言葉として書き記す。
「誠心誠意ことに当たる」
「身を捨ててこそ渡る瀬もあれ」
お世話するのが仕事なのに、おばあさん達に何か救いを求めてしまう自分が情けない。
ただ、なぜかわからないが、そんな僕にこそおばあさん達は笑顔で、心を開いてくれている。
なぜだろう、今日も頑張って夜勤行ってくるか。
では!

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