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紫とうがらしの花が咲いた

 ここのところ続いた暴風雨で、大切に育てていた野菜たちがメタメタにやられてしまったのだが、
ある朝ベランダに出ると思いも掛けない光景を目にした。
 ぐにゃりと曲がっていた紫とうがらしの枝が少しずつまっすぐ上に向かって伸び始め、花が咲いているのだ。
それだけではない、折れた枝の付け根から新たな芽が出てきたのだ。
ひょうたんも必死に支柱にツルが巻きついて耐えきっていたのだ。
 その時思った。うまくいかないときは、不恰好に折れ曲がってもいい、ポキっと折れてしまわなければ、
今は不本意な格好でもとにかく生きるのだ。1日でも長く生きること。そうすれば、状況が変われば、
また曲がった状態から上にまっすぐ伸びて、本来の格好に戻ることもできるのだ。これだけ嵐に打ちのめされても、
また芽が出て小さな花が咲く。自分のスタイルに固執すると、かえって嵐でポッキリと折られてしまうけど、状況に合わせて回り道かもしれないけど、とにかく流れに身を任せながらも、自分の目的を忘れずなんとか少しでもいいから生きて、
前に進むことが大事なのではないか、そう思ったのだ。
 だから、今不本意で介護の仕事をしているし、本業での復活の兆しが見えないから、もう人生終わりだ、と短絡的に思わず、
この介護の仕事で日々感じる成長、自分の課題に自然と向き合える今この時間、時期が自分の人生の成長に必要なのでは
ないか、と思う。どうか読者の皆さんも、コロナで思うようにいかない状況の人も多いと思う。でも、一旦後退するような
決断でも、一か八かの賭けに出るのではなく、不本意な形でも耐え凌ぐ、そして、本来の自分とは違う形であっても
それを受け入れて、チャンスを待つ、そんなある種植物のしたたかな生き方も必要だと思うので、ぜひ一緒に頑張りたい。
 全然自分のやりたいこと、向いていることと違う仕事に就くことのメリットとして以下のことをあげておきたい。
僕も含めみんな個性がある。その個性がいい時には個性と取られ、裏目に出ると、欠点と取られてしまう。
普段自分のことを指摘されると受け入れられない状態でも、僕の介護のように、明らかに向いていないし、下手だから、
色々指摘される。でもその指摘の中には、自分の意識しなければいけない人格の課題だったりも入ってるものだ。
それを明らかに向いていない仕事の場合、
「そうだよな、仕方ないな」とすんなり受け入れやすいのではないだろうか。
自分でも自信を持って仕事しているジャンルだと、なかなかプライドもあって受け入れがたいことも、
すんなり胸に入ってくるという利点もあるような気がする。

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