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何事にも時がある
コロナという文字にもそろそろ飽き飽きしてきた。テレビつければコロナ、買い物に行ってもコロナ、Yahoo!ニュース見ればコロナ。
必要な情報ではあるけれど、その必要な情報が不正確ときたもんだ。前々からそうではあるけれど、もう何も信じてはいけない世の中ではないか。
今まで起きてきた震災の時も、確かにその現地の人たちは国のやり方を批判していた。その時と今と、国の長は変わらなくて、変えるタイミングはあったのに、それでも国民がどこか他人事で無関心で、その結果が今自分たちに降りかかってるわけで。
人は結局自分がその境地に立たないと、物事を理解しようとしない。
自分が飢え死にしそうになって初めて、何年も前から抱えてきたであろう問題に気付く。気付いた時にはもう遅い。平民にはどうにもこうにも変えられない世の中が出来上がっている。
今私たちにできることは一体なんなのか。
娘の休園が始まってからそろそろ1ヶ月。最初は子供と過ごせる時を感謝しよう!とか思ってたけど、そろそろ子も親もいっぱいいっぱいになってる家庭がたくさんあるのではないだろうか。
とはいえどうすることもできないんだけど。
こうして失業中になって最初は、それでも私たちが創ることを諦めてはいけない、芸術が心を豊かにすると信じて職としている私たちが、芸術を発信することを辞めてはいけない、そう思って、明るく頑張ってきた。
ある時から、そんなこと言ってる場合じゃないって感じになってきた。自分の身と、子供と、家族を、幼稚園がなくても充実した毎日になるように、栄養あるものを食べさせてあげられるように、家庭を明るくすることに精一杯になるようになった。
自分が自分の精神状態を子供が辛くならないように、ポジティヴの方向に向かい続けるように持っていくことで精一杯になった。
徐々に楽器からは離れていった。
今、幼稚園に行かないと友達から変なこと教わってきたり機嫌悪くなったりしなくていいやーん。ホームスクーリングの長所はこれかー!とか思ってたのとは全く逆で、子供が私の知らないところで築いていた自分の周りのネットワーク、友達関係、その中での自分のポジション、今の時期だから必要な友達とのぶつかり合いや仲間を作る方法、本気でぶつかってくれる仲間がいる大切さ、自分の主張がなにかの権限によらずに受け入れられ、議論できること。。
幼稚園ってものすごく大切な場所だったんだなということをしみじみと感じている。
全ての物事にはそうするにふさわしい『時』がある。
その時はそうだと感じなかったことも、後になってみると、あの時こうでよかった、と思うことはきっとたくさんある。
これから自分がしていく選択は、どうしてもこのコロナの影響が関わってくると思う。
今はそう思えなくても、あの時こうしてよかった、あれがあったからこうなったんだな、って思える日が来ればいいなと思う。
今は、軽率に行動せず、周りを見ながら、長い目で判断できる力をつけて、一先ずあと半月を乗り切りたい。
せっかくの子供との時間、もうヤダって思う気持ちではなく、楽しみを見つける努力をしながら、精一杯向き合っていきたい。
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